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春を待つ君に
まだ見ぬ春(1)


ヒヤリと頬を掠める冷たい風に身を震わせながら、街角に佇(たたず)む小さな喫茶店の扉に手を掛ける。
想像していたより重かったそれを引こうとすると、背後から大きな腕が伸びてきた。視界の端に映り込むベージュ色の袖口に振り返ると、自然と笑みが零れ出る。

「マナ!」
突然抱きつかれた顔が、一瞬驚きに目を見開き、表情を緩めた。
「わぁ〜、イブは相変わらず元気だねぇ。薬は忘れずに摂ってるかい?」
顔をトレンチコートに埋(うず)めたまま、コクリと頷く。
じんわりと伝わってくる体温と彼の残り香に包まれて、鼻の奥がツンとする。

・・・あったかい。

隙間風が入ってこないよう、敢(あ)えて喫茶店の隅に空いたテーブルがないか辺りを見回す舞菜(まな)。
外出する度に気を遣わせて悪いとは思っているが、こうでもしないと満足にお茶をすることすらできないのもまた事実だ。

席に着いて物思いにふけっていると、カシミヤの生地がふわんと揺れて、肩の上に広がる。

あ。
「クマ・・・・ムシ?」
少し不格好ではあるが、長丁場続きの忙しい中で縫ってくれたのかと思うと、堪(たま)らなく嬉しかった。

「ん〜、茶色で合わせたらそれしかなくて・・・。でも気に入らなかったら」
「ううん、あったかくて好き。ありがとう」

肩にかけられたそれをわざとらしくかき寄せてみせた。
素直に喜ぶ様子に、舞菜が少しホッとしたような顔を見せる。

「お待たせしました」
注文が届くと、彩吹(いぶき)は尽かさずティーカップを両手で包んでずずっと啜(すす)った。
久しぶりに見るその愛らしい笑顔に、無意識に喉が鳴る。



「─────マナ?」
ハッと我に返ると、テーブルの下で彩吹の足を軽く自分のそれに絡めていた。
慌てて解(ほど)くも、時は既に遅し。
どちらも何も言い出すことができないまま、しんみりとした空気が流れた。

「ちょっと、トイレ行ってくる」
なんとか気を紛らわそうと、彩吹が呼び止める声に耳も貸さず、トイレに駆け込む。

どうしよう・・・。
先ほどいつ退院したのかと聞かれて、十日前だと嘘を言ってしまったからだ。
本当は二日前に退院したばかりなのに。
でも、それを言うのはイヤだ。
だって、そういうときの舞菜は決まって、ぼくを家に送り届けてからすぐに帰ってしまう。

無意識なのだろうけれど、長年付き添ってもらっているからわかる。
久しぶりに舞菜に逢えたっていうのに、顔を合わせていられるのは残り僅(わず)かな時間だけだ。

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あきゅろす。
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