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龍の宝珠

 その先輩である侍女にさっそくいろいろ教えてもらっていると、洪佑生がやってきた。
 どうやら、摘花の姿が消えたことを知らされて慌ててやってきたらしい。
 父親はまず摘花を連れて、皇后やまだ残っていた聡影と趙修令に平身低頭謝罪した。
 幸い誰も摘花の軽率な行動をとがめるものはおらず、皇后は
「すぐに見つかってよかったわね。宮中は広いから、見つからなかったらどうしようと思っていたわよ」
 とむしろ心配してくれ、聡影もただただおかしそうに笑うだけだった。

 そのあと、洪佑生は別の小部屋にうつると、改めて摘花を怒鳴りつけた。
「摘花!おまえというやつは!まさか宮中でもさっそくやらかすなんて…まったく最初からこんなに落ち着きがなくてどうするんだ!」
「それよりお父さま」

 摘花は、父親の叱責を聞き流して声をひそめた。
「聡影さまは、阿周さまになんとなく似ていらっしゃると思いませんか?ほほ笑むと特に」
「…はあ?」
 洪佑生は、わざとらしいほどに大きく顔をしかめた。
 おまえには呆れた、と言いたいことは、言われないでもよくわかった。
「この期に及んでもなお阿周さまか」
「わたしだってもう忘れようと思っていました。でも、一番初めにぱっとお顔を拝見したとき、似ていると思ってびっくりしてしまって。もう口もきけないほどでした。阿周さまが生きていらしたらあんなふうなんでしょうか」
 先程の驚きを思い出した摘花は、いまさらだが落ち着こうと深呼吸をした。

 その娘の姿を見ながら洪佑生は、聞こえよがしにため息をついた。
「この娘は、何を言い出すかと思えば。先日も話したが、聡影さまが一番よく似ていらっしゃるのは他でもない、お父上でいらっしゃる陛下だ。おまえもお会いすればすぐにわかる」
 しかし、彼はそこまで言って不意に言葉を切ると、何かを考えるそぶりを見せた。
「お父さま?」
 そしてやや間を置いた後、半分不服そうにしながらもうなずいた。
 その意見をあまり言いたくはないような様子だった。
「…まあ確かに、言われてみれば、阿周さまにどことなく似ているような気がしないわけでもないが…」

 父親が同意してくれたことに、摘花は声が弾んだ。
「そうでしょう?」
 上機嫌の娘を、洪佑生はにらみつけた。
「そういう気がしないわけではない、と言っただけだ」
「それでもいいんです」

 父親は困ったように首を振って見せた後、さらに続けた。
「まあ、だからこそ、趙修令さまもお気にかけるのかもしれない。趙修令さまは、聡影さまのことを実にお気にかけていらっしゃるのだ。皇子は何人もいらっしゃるのに、聡影さまに対するお心配りは並大抵のものではないようだ。聡影さまがご長子でかつお世継ぎということを差し引いてもだ。
阿周さまが生きていらっしゃれば、ちょうど同じようなお年頃だし、もしかしたら、おそれ多くも我が子同様にお思いなのかもしれんな」
 その言葉に、なるほど、と摘花は思った。
 そういうことは十分にありえる。

 なんとなく似ているあの立派な皇子に、阿周の姿を重ねているのだろう。
 阿周が生きていたら、と。

「しかし、念のために言っておくが、そんなことをまかり間違っても聡影さまに申し上げるんじゃないぞ。亡くなった方に似ているなんて、そんなことを言われては不愉快だろう」
 それは摘花もきっぱりとうなずいた。
 父親はその様子に満足したようで、今はそれ以上もう何も言わずに去って行った。

 そう、阿周はあくまで阿周なのだ。
 他の誰でもない。
 あのとき死んでしまったのだから、もうこの世にはいないのだ。
 ただ、なんとなく似ているというだけだ。

 さて、それから摘花はさっそく働き始めた。
 とはいえ働くといっても、摘花の仕事は本当に皇后の話し相手と、せいぜいが身の回りの簡単な世話であった。
 それもたとえば、新しく作る衣装の相談に乗ったり、山のようにある宝飾品を磨いたり片付けたりという程度である。

 初めのうちはさすがに摘花もおそれ多く、楽しく話し相手をするというわけにはいかなかったが、慣れるにしたがって不必要な緊張も解け、笑って話し相手ができるようになった。
 皇后が笑うのを見て、他の侍女たちは安心したようにうなずき合う。

 じきに、
「摘花さんが来てくれてよかったわ。皇后様があんなに笑うのを拝見したのは久しぶりよ」
 と言われるようになった。

 皇后のもとには、毎日誰かしらがやってきていた。
 皇帝も毎日のようにやってくる。
 それは侍女たちによると、やはり皇后を心配しているからのようだった。
 初めて皇帝の姿を見かけたとき、摘花は父親の言葉に納得した。

 聡影は、皇帝にそっくりだったのだ。
 なるほど、聡影は誰が見たって皇子だ。
 しかもとても立派な。

 その聡影も、毎日欠かさず顔を見せにきていた。
 皇后はすぐに摘花を気に入ったようで、聡影がやってきたときもそのまま同席させることが多かった。
「いまおもしろい話をしていたのよ、あなたも一緒にお聞きなさいな」
 と言って摘花との話を続けたり、あるいは聡影が語る話を摘花も興味深く聞いたりした。
 誰それと会ったときの話とか、読んだばかりの書物の話とか、あるいは耳にした都の街中の噂話などおもしろく話してくれる。
 それはすべて、母親の鬱々とした気分を少しでも晴らしたいがためであることは、摘花にもすぐにわかった。

 聡影は、時に母親にではなく摘花に話しかける。
 それに答えるうち、話が弾むこともある。
 その様子も皇后は楽しそうに聞いているのだが、摘花のほうもまた楽しかった。

 阿周になんとなく似ているこの皇子は、摘花が知れば知るほど、中身もまたあの頃の阿周に似ているように思えた。
 誰に対しても優しかった阿周のように、聡影もまた周囲の者に対し優しかった。
 多少の粗相などまるでなかったかのように接してくれる。
 もちろん皇子だからということはあるだろうが、聡影のことを褒め称える者はあっても、その逆の者は摘花が知る限りどこにもいなかった。
 阿周が生きていれば、きっとこんなふうに立派になっていただろうに。
 自分でさえこうなのだから、父親だった趙修令だってそう思っているはずだ。

 聡影が毎日足しげくやってくるのは、母后を気にかけているからだった。
 侍女たちも、そう教えてくれた。

「班夫人のせいで、すっかりお気が滅入ってしまわれて」
「最近のことよ。なんでも、聡影さまは陛下のご実子ではないと言い始めたのよ。一体どこをどうすればそんなお話を思いつかれるのかしら?
「これまでも班夫人は皇后様を目のかたきにされていたけど、このお話はひどいにもほどがあるわ」
「あのお方はとにかく、ご自分のご実子をお世継ぎにしたいんでしょうよ」
「誰も班夫人の話なんか、信じる信じないの前に気にも留めないわ。他ならぬ陛下もよ。それなのに皇后様は、その話のせいですっかりお心が弱ってしまわれて」
「本当。お気にかけているのは皇后様だけよ。聞き流せばよろしいのに。まあ、そんなふうに言われては誰もいい気はしないでしょうけど」
「昔は、ずいぶんとお気の強い方だったそうなのにね」
「そうなんですか?」
 と摘花は尋ねた。
 いま摘花が見る皇后は、とてもそんな女性には見えないからだ。
 その侍女は、小声で教えてくれた。
「だって昔は、ご自分のお気に召さない側室の方がいると、わざとつらくあたって退出するように仕向けたこともあったそうなのよ。その勢いの前では、陛下も何もおっしゃることができないほどだったとか」

 摘花は目を丸くした。
 それは要するに、いじめて追い出したということだろう。
 皇帝も逆らえないなんて、そんなに気性の激しい女性だったとは。

「なんでも、聡影さまがまだお小さい頃のお話みたいだけど。
聡影さまはご幼少の頃は本当にお体が弱くて、一時は生死の境をさまよわれたこともあったそうよ。その危機はなんとか逃れられて、今ではもうすっかりお元気でいらっしゃるけど、皇后様がいまのようになったのはその頃からだそうよ。それまでのお気の強さが一変して、お人が変わったように気が弱くなってしまわれたとか」
「よほど聡影さまのことがお心に染みたんでしょうね。聡影さまがご無事でいればもうそれだけで、と思われたのかもしれないわ」

 なるほど、と摘花は深くうなずいた。
 でも、それにしたって、聡影がそんなに体が弱かったとは。
 今の聡影は、どちらかというと他人よりも健康そうに見えるのに。

「それは、聡影さまがおいくつのときのことなんですか?」
「確か、十歳のころと聞いたわ。聡影さまはいま二十歳でいらっしゃるから、十年くらい前ね」

 そういう話をしていると、摘花は皇后に呼ばれた。
 行ってみると、そこには聡影もいたのだ。
 摘花がおしゃべりに興じている間に来訪したらしい。
 皇后の向かいに腰を下ろし、摘花を見ていつものようにほほ笑む。
 阿周に似ているほほ笑み。

「いまあなたのことを話していたのよ」
 と、皇后は言って笑った。
「わたしの、でございますか?」
「おまえが父親に叱られた話だ」
 と、聡影もまた笑った。
「趙修令から聞いた。都に来て趙修令の屋敷を訪れたとき、うるさくして叱られたとか」

 そんなことがあっただろうかと、摘花は首をかしげた。
「あら、覚えていないの?」
「わたしは父に叱られるのはしょっちゅうでございまして、一々覚えていないことが多いんです。覚えていてはきりがございませんので。そう言われてみれば、よそ様のお宅にうかがったときくらい静かにしなさいと言われたような気もいたしますが…」
「まあ」
 皇后は笑う。
「一々覚えていないなんて、一体、何をしてそんなに叱られるの」

 すると聡影が言ったのだ。
「ほら母上、初日にこの子はしでかしたじゃないですか。迷子になって」
「ああ、洪佑生が真っ青な顔で飛んできたわね」
 皇后は笑い出した。
「あんなに慌てて、かわいそうだったわね。あのときもあれから叱られたの?」
 もちろんだと摘花はうなずいた。
「ただ、言い訳をさせていただきますと、わたしはそんなに大それたことをしているつもりはないんですが…」
「それが、なぜだか騒ぎになるのか」
 聡影も笑う。

「はあ…。そのお話も、ちょっとお花を見ようと思っただけでしたのに、とんでもないことになってしまって…。幼い頃から同じようなことの繰り返しです。ちょっと壺を見ていたら割ってしまったり、ちょっと表に出たら道に迷ってしまったり」
「父親としては、気の休まる間もないじゃないの」
「そうかもしれません」
 聡影が言う。
「宮中に上がったらさすがに大丈夫と思っていただろうに、当日、しかもまだ母上に会う前にああだったからな。
だって母上、昨日洪佑生に会ったのですが、第一声が『娘が何か粗忽なまねをしでかしてやいないでしょうか』でしたから。『失礼なまねを』ならまだわかりますが、粗忽というのが…」
「まあ、本当にそうね」


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