龍の宝珠 十七 「おまえが持っていてくれたなんて……」 聡影は、それを繰り返した。 そして机の上の短剣を改めて手に取り上げた。 「そう、気付いたのは、馬車に乗る直前だったんだ。 改めて見てみたら、龍が手にしていた宝珠がないんだ。 確か、前の日に摘花に見せたときにはあったから、なくなったのは部屋の中だろう。 摘花に見せたということは趙修令には話していなかったので、ただ、前日にはあったとだけ話したら、探しておくから今は早く馬車にと言う。 それでとにかく馬車に乗り込み、道中趙修令からの連絡を待ったが、見つかったという連絡は来ない。 ただ、都に着いたら真っ先に陛下に申し上げるようにというんで、そうしたら、陛下はもう趙修令から聞いていたそうで怒りもしなかった。 趙修令からはどう探してもないと連絡があって、それならと陛下は水晶だけを新しく用意してくれたんだ。でも、大きさは寸分たがわず正確なはずなのに、なぜかはめてもすぐに外れてしまって。何人かに作らせたが、なぜかどれも駄目だった。 まるで、龍がそれでは気に入らないみたいなんだ。 陛下も、不思議なことだ、作った職人ではないと駄目なのかもしれないとおっしゃって、もういいだろうということになったんだ。 これを作らせた職人は、当時すでに鬼籍に入っていたから。 ただ、班夫人がそのことをどこかから聞きつけてね。 これが班夫人の言う、『“あれ”の不備』なんだ」 説明してくれた後、もう一度聡影は繰り返した。 「おまえが持っていてくれたのか……」 「やっぱり、すぐに趙修令さまに申し上げるべきでした。申し訳ありません…」 「いや、おまえは私との約束を守っただけだろう。だって私はおまえに、見たことは誰にも内緒だと言ったのだから」 摘花は小さくうなずいた。 「私もおまえなら何か知っているかもしれないと思ったんだが、誰にも言えなかった。それに、おまえが知っているかもと考えることは、それだけで楽しかったんだ。だがまさか、おまえ自身がちゃんと保管してくれていたとは…」 聡影は笑った。 そして、摘花の手から水晶をつまみ上げると、龍の手のくぼみにそれを押し込んだ。 水晶は音もなくしっくりとはまる。 そして、それからは二度と落ちることはなかった。 聡影は短剣を握り締めると、摘花に声をかけた。 「父上のところに行こう」 「父上…あの、どちらのお父さまですか?」 「ああそうか。陛下だ」 「阿周さまは…聡影さまは、お父さまもお母さまもたくさんいらして、いいですね」 摘花の言葉に、聡影は笑った。 皇帝のもとに向かうと、そこには趙修令もいた。 皇帝は椅子に腰を下ろし、趙修令はその傍らで疲れきったような顔をしていた。 「話したのか?」 と尋ねたのは皇帝だった。 「はい」 「そうか…」 皇帝は満足そうにうなずいた。 「それで父上、ご覧ください」 聡影は、手にしていた短剣を皇帝に渡した。 趙修令もそれをのぞき込み、あっと声を上げた。 「水晶が…」 「おまえこれは、どうしたんだ?」 皇帝の驚きに、聡影は摘花を見やった。 「この子が大事に保管していてくれたんです」 「摘花が?」 と言ったのは趙修令だ。 「申し訳ございません…。わたしが持っていたんです」 「なぜおまえが?もしかして…」 趙修令は、聡影を見やった。 「あの当時、この子には見せていたのでは」 聡影は苦笑しつつうなずいた。 「父上のお言い付けを守らなくて申し訳ありません」 聡影は、摘花から聞いたそのときの話を、二人にして聞かせた。 それを聞いた皇帝は、感心したように大きくうなずいた。 「なるほど、それではどこを探しても見つかるまい」 だが摘花は、聡影の背後で身をすくめた。 「わたしがこの水晶を持っていたがために、不必要な騒ぎを引き起こしてしまったそうで…。趙修令さまに、すぐにお渡ししておけば」 「いや、そんなことはない。よくぞ大事に持っていてくれた」 皇帝は、短剣を改めて見つめた。 「どんな名工に修理させても直らなかったのは、この龍が知っていたからなのだろう。落としてしまった宝珠は、あるべきところにきちんとあるのだと。いずれ必ず手元に戻ってくるからと」 しかし、そこまで言うと、ふと首をひねった。 「父上?」 「いや…違うか」 皇帝は、そこで摘花を見やった。 そしてほほ笑んだ。 「きっと、龍はわざと落としたのだ。おまえの前で、わざと。必ずまた会えるから、それまで持っているようにとな」 「……」 趙修令が、安心しきったように吐息をもらした。 「ようございました…。これですべてが整いました。ようやく、肩の荷をすべておろした心持ちがいたします」 「いや、まだ残っておるではないか」 「何がでございますか?」 「聡影の妃の件だ」 あっという顔をした趙修令に対し、聡影は応えた。 「それも大丈夫でございます、父上」 そして、摘花を見やった。 「私は、この娘を妃として迎えたいと思います」 「え?」 摘花は目を丸くした。 だが、聡影のその言葉に、皇帝は深くうなずいた。 そして隣の趙修令を見やった。 「趙修令、すべておまえのおかげだ。この皇子を立派に育ててくれただけではなく、妃まで用意しておいてくれたのだから」 「陛下…」 趙修令が涙ぐんだ。 「もったいないお言葉でございます…」 聡影とともに皇帝の前を下がった摘花は、半分上の空だった。 さっきやってきた道を、聡影の隣について戻る。 頭の中がふわふわとしていて、自分がどこにいるのかもわからない感じだ。 口を閉じておとなしい摘花を、聡影は時折見やってはくすくすと笑う。 部屋に戻ったところで、聡影が尋ねた。 「どうした?随分とおとなしいな」 「あ、あの、だって、今のお話は…」 「私がおまえを妃として迎えるという話?」 「……」 摘花は、うなずく前に赤くなった。 「おまえと出会えてよかった。昔も、今も」 そう言って、摘花の髪をなでる優しい手つきは、まったく昔のままだ。 「阿周だった自分と、今の自分と、どちらも知ってくれているおまえがそばにいてくれたら、こんなに嬉しいことはない。だからどうか、私のそばにいてほしい。これから先、ずっと」 「……阿周さま?」 呼びかけると、聡影はうなずく。 「聡影さま」 「そうだよ。どうした?」 「ううん、どうもしていません」 摘花は笑って首を振り、それからうなずいた。 「わたしこそ、夢でした。阿周さまとずっと一緒に過ごすことが。もうかなわないことだと思っていたのに…まさか、再びお会いできるなんて。それだけでも、うれしいのに」 そこで、摘花は聡影を見つめた。 「本当に、ずっとおそばにいてよろしいんですか?」 「ああ、今度こそ」 聡影は、目の前の摘花をそっと抱き寄せた。 「もう二度と、おまえに『また明日』なんて言いたくない」 摘花もうなずいた。 また明日、と言わなくていいのだ。 これからは、ずっと一緒にいられるのだから。 そのとき、扉の外から聡影を呼ぶ声がした。 「聡影さま、陛下からご連絡がございまして、再びいらしてほしいそうでございます。洪佑生さまが見えているそうでございます」 「あ」 と言ったのは摘花だった。 それに対し、聡影は笑った。 「まったくおまえの父親は、毎日大変だな」 「は、はあ…」 [*前へ][次へ#] [戻る] |