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龍の宝珠
十六
「父上は私にまず、都の皇后様の皇子が危篤状態で、もう明日をも知れぬお命であることを話した。
それは大変だと思った私に、父上は言ったんだ。
私が皇子であること。
短剣は、その証拠であること。
陛下が、私を呼び寄せたいと願っているということ。
だがそれは、ただ呼び寄せるのではなく、亡くなるであろう聡影さまの代わりとしてであること。

皇后様は、私の存在を知っていたそうだ。
聡影さまのお命が尽きるということになって、陛下に頼みこんだそうだ。
私を連れ戻し、聡影さまの身代わりとしてほしいと。
聡影さまと私は同い年、ほんの数か月しか違わない。
いずれにせよ私は本来第一皇子なのだし、第一皇子として応分に育ててやれることが出来るならと、陛下は皇后様のその要求を呑まれた。
陛下もまた、私のことをずっとお気に掛けてくださっていたそうだ。
父上の元にも、時折お手ずからの書状が届けられていたそうだ。

それに後から聞いたのだが、当時の皇后様の前には、陛下も頭が上がらないほどだったらしい。
皇后様ご自身もお気が強かったし、皇后様の実家がまた当時はひどく権勢をふるっていたそうで、下手に皇后様に反論しようものなら、実家の面々がそろって陛下を詰問しにやってくるような、そんな状況だったそうだ。
今はもうそんなことはないがね。

父上は私に、どうするかと尋ねた。
だがどうするかと聞かれても、私には否定の返事をする選択はないこともわかった。

都からの使者は、すでに迎えの馬車も用意してきていて…。
その夜中に、何も持たず、ただ短剣だけを持ってその馬車に乗り込んだんだ。

私は、これでいいと思ったんだ。
長じるにつれて、私はなんとなく自分が夫妻の実子でないことには気付いていた。
父上と母上は私のことをかわいがってくださるし、何不自由なく育ててもらってはいたが、常に何かが足りないような気がして、常に何かを探している、そんな感じだった。
自分の居場所を探しているような。
その理由がわかったと思ったんだ。
だが、ただ一つだけ心残りがあった」

 聡影は、そこで摘花に向かってほほ笑んだ。

「おまえに、『また明日』と言ったことだ」
「……」
「また明日と言ったのに…。約束を破ることになって心苦しかった。それ以上に、おまえと別れるのは寂しかった。せめて別れの挨拶が出来ればよかったのに、それは許されなかった。

父上は、私に説明してくれた。
今後も父上や母上と会えないことはないが、ただし会ったときは決して父上や母上と言ってはいけないこと。
臣下として接すること。
それは理解できた。
ただし、おまえとは会えるかどうかわからないと言われて……あれはあの当時理解できなくて、ただ悲しかった。

宮中での生活は、思っていたより楽しかった。
皇后様も、私を迎えた時点でそれまでとは人が変わったようにお優しくなったそうで、それはおおよそ班夫人の言う通りなんだと思う。
いざ私を迎えて入れ替えたのはよいが、秘密が出来たことで少しお気が弱くなられたのだろう。
陛下は言わずもがなお気に掛けてくださるし、光賢という弟も出来た。

何かを知りたいといえば、この国で一番の者がやってきて教えてくれる。
何もかも、この国で一番のものを与えてもらえる。

父上と母上からは、趙修令とその夫人からとして、時折書状が届けられた。
あまりそれに喜ぶと皇后様がお気になさるので、陛下のところでこっそりと読んだりもしたが、それでも十分だった。
毎日充実して楽しかったのだが…。

だが、おまえのことだけはよくわからなかった。
おまえの父親の動向はわかるんだが、おまえのことはわからなかった。
趙修令が時々教えてはくれるんだが、彼とて直接会っているわけではない。

変な話だと思った。
何でも知ることが出来るのに、おまえのことはわからないとは。

だが考えてみると、私が変わっているようにおまえだって変わっているはずだった。
私は死んだとされた件は承知していたから、あの日突然この世からいなくなった私のことをいつまでも気に掛けているはずはないと思った。
だから気にはなっていたが、もう自分にはどうしようもないと思って、なるべく思い出さないようにした。

前回、数年前におまえの父親が都での官職についたとき、おまえは都には来られなかったな。
都に来てもそう簡単には会えないとわかってはいたし、そもそも、たとえ会ったとしても私はもう阿周ではないのだが、それでも残念なものは残念だった。

そうしたら、今回また父親が都に戻ることになったな。
今回はどうだろうと思っていたら、今回は家族共々都に来ると趙修令が教えてくれた。
そうしたら趙修令は、今回はどういう風の吹き回しか、会ってみるかと言うんだ。
会えるものなら会ってみたいと強く思ったが、何しろもうあれから十年もたった。
私も変わったし、おまえだって変わっただろう。
そもそも、阿周のことなどもう忘れていてもおかしくはない。
趙修令が会って、話を聞かせてくれればそれでいいと思ったんだ。
おまえがすっかり変わってしまって、さらには阿周のことをすっかり忘れているのをこの目で見るのは怖かったのかもしれない……。

いや、阿周はもう死んだのだし、そもそも私は阿周と名乗るわけには決していかないんだ。
それは十分にわかってはいたが、それでも会う勇気は出なかった。
そうしたら趙修令が、おまえを母上の侍女にと決めてしまって。

先におまえと会った趙修令から、おまえは全然変わっていないと聞いて少しは安心した。
だが、それでも少しは気がかりに思っていたのだが、おまえはいきなり迷子で現れて」

 聡影は笑い出した。
「一目見てすぐにわかった。あまりに懐かしくて、何と言っていいのかわからなかった。初めておまえを見つけたときを思い出して。あの時も迷子だったな」
 聡影の笑顔に、摘花もつられたように笑った。
 だがその目には、すでに涙が浮かんでいた。

 間違いない。
 もう間違いない。
 阿周は生きていたのだ。
 そして、いま、自分の目の前にいるのだ。
 目の前で笑っている、この方こそ阿周なのだ。

「様子を見ていると、本当に変わっていなくて私は一人でうれしく思っていた。あまりに変わっていなくていつもいつもおかしいほどだ。元気でおしゃべりで、でも考えるより前に行動してしまって騒動を引き起こしては父親に叱られる、以前のままだ。
ただ、おまえの心の中で阿周はどうなっているのかは気になっていた。すっかり忘れているのか、それとも少しは覚えているのか。
そうしたら、おまえは「形見」を大事にしていて…。あんなに大事にしてくれていることに、こちらが驚いてしまうほどだった。
ただ同時に、「形見」は少し衝撃だった。
いや、当然だ。阿周のものはおまえにとっては形見だろう。
だが、現に私はここにこうしているのに、おまえの目の前にいるのに、と思ってしまって…。
私は初めて後悔した。なぜ阿周を捨てて聡影になってしまったのかと。
おまえは阿周にあんなになついていたのに、聡影の前ではどこか他人行儀で。
仕方のないことだとわかっている。でも…」

「……阿周さま?」
 摘花が呼びかけると、聡影はうなずいた。
「本当に?」
「ああ」
「……本当に阿周さま?」
「そうだよ摘花」
 聡影は立ち上がると、摘花に腕を回して抱き寄せた。
「ずっと会いたかった…」

「阿周さま?」
 聡影の腕の中で、摘花は何度も同じ問いを繰り返した。
「本当に?」
 聡影は、何度もうなずいてくれる。
 うなずいているのが伝わってくる。
 抱き締める腕に力が加わった。
「また明日と言ったのに、こんなに時間がたってしまって悪かった」
「阿周さま……」

 既ににじんでいた涙が、聡影の胸元に吸い込まれる。
「もう二度と会えないかと……。だって、死んでしまったって聞いたから。お葬式だって……」
「あれは趙修令と夫人が、踏ん切りをつけるためだったそうだよ。そうでもしないとつらかったと聞いた」
「わたしだって……」
 摘花はしゃくりあげた。

「なんでいないんだろうって。どうして阿周さまはいないんだろうって、いてくれたらって、何度思ったことか……」
「すまないことをした」

 泣きじゃくる摘花を、聡影はじっと抱き締めてくれていた。
「もう決してどこへも行かない。おまえを置いて、決してどこにも」
 摘花は何度もうなずいた。

「……そうだ」
 涙がかれるまで泣き続けたところで、摘花はようやく自分が水晶を握り締めていることを思い出した。
「聡影さまが阿周さまなら、わたし、これを返さないと」
 そして、大事に握っていた水晶を改めて聡影に見せた。
「あの日、阿周さまが来る前に、お部屋で見つけたんです」
「そう、それが不思議だ。一体どこにあったんだ?」
「あの赤い椅子の、座面と背もたれの間です」
「あの摘花の椅子の?」
 摘花はうなずいた。
「阿周さまが来る前に見つけて、返さなきゃと思っていたんですけど、阿周さまはなかなか来なくて。それなので、お顔を見たときにはすっかり忘れてしまっていたんです。家に帰ってから気がついて、明日返せばいいやって……」


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