月下のぬくもり 七 陸仙強の診察の後、皇帝は身支度を整え、そして朝食をとる。 とり終えた頃に、桂秋は薬湯を運んだ。 「お食事はきちんと召し上がりましたか?」 「あまり食べたくない」 その言葉に一瞬心配した桂秋だが、今はそうではないだろう。 「それはきっと、二日酔いでございます」 皇帝は笑った。 「どうぞ。お薬湯でございます」 「解毒剤か」 と皇帝は自分で澄ました顔で言う。 桂秋が、 「あとは二日酔いの薬でございます」 と付け加えると、それにまた笑った。 「前者のお薬は、しばらくお続けになっていただくと陸先生が」 「はいはい」 毒の種類は確定されていないが、表に現れている症状から陸仙強が推察し、薬を調合したのだった。 処方された薬に対し、不満を漏らすことはない。 きっちりと飲み干すのを桂秋が見つめていることに気付くと、おかしそうに笑った。 「そんなにしっかり監視しなくとも」 「陸先生からのご指示でございます」 「はいはい、おまえは厳しいな」 と、そこで皇帝は、何かを思い出したようにさらに笑った。 「曜和さま?」 「さっきのおまえはおもしろかった。息を吹きかけたときのあの様子。あれはしばらく思い出しては笑えそうだ」 「……」 桂秋が口を閉じてしまうと、その様子にも皇帝は笑った。 そして最後、何も残っていない湯のみの底を桂秋に見せた。 「よくわかりました。それより曜和さま」 「ん?」 「わたしもお薬を持つよう陸先生から言い付かりました。先程のように息苦しさをお感じになったら、すぐにわたしをお呼びください。陸先生をお呼び立てなさるより、わたしを呼ぶほうがおおげさにはならないでしょう。どうか我慢はなさらないでくださいませ」 「はいはい」 「曜和さま。本当にご承知いただけましたか?」 「はいはいはい、大丈夫」 「……」 安請け合いはするのだ。 そして、顔をしかめた桂秋にまた笑った。 薬をおとなしく飲むのはよいこととは思う。 だが、どうしてこうも自分の体調に無頓着なのだろう。 薬もきっと、積極的に治したいと思って飲むのではなく、目の前に運ばれてきたから飲んでいるだけだろう。 解毒の薬湯は朝晩の二回だった。 食後なるべく時間をおかずに飲むようにというのが、処方した陸仙強の指示だ。 桂秋が運ぶたびに何かとからかっては笑う。 朝食後、皇帝は午前中は政務を見る。 それが午後に持ち越されることもあったが、基本的に午後は人と会ったり、あるいは自室で過ごしたりしている。 そして夜になると、よく後宮へと向かった。 以前はよく後宮で夕食をとっていたという皇帝だが、解毒剤を飲むようになってからは、自室で夕食をとっていたので問題はなかった。 薬湯をおとなしく飲み干してから後宮に向かう。 そして、必ずその夜のうちに戻ってくる。 桂秋が出迎えると、いつもおかしそうにご苦労さまと言う。 酒の香りを色濃くまとって帰ってくることもたびたびだった。 桂秋が顔をしかめて一通りの苦言を呈するのを、聞いてはいるが改めようとは思わないらしい。 自分も薬を持っているから、と桂秋は伝えはしたし陸仙強からもそう伝えたのだが、皇帝は体調不良のために桂秋を呼び寄せることはなかった。 とはいえ、それでも桂秋はよく皇帝に呼ばれた。 それは体の調子が悪いからではなく、単に話し相手がほしいからのようだった。 手がすいたから呼んだ、ということのようだった。 桂秋が行ってみると、いつも部屋でのんびりしている。 時には外にいて庭を眺めている。 そしてこれまた桂秋をからかっては笑う。 機嫌や気分がよいのはよいことだ、と陸仙強は言う。 確かにそうではあるので、桂秋はからかわれても気にしないようにしている。 とはいえ、そこに不快な感情はさらさらわかない。 悪意はまったくないのがわかるからだ。 親しみこそ覚えても、不平不満はまったくない。 桂秋を見てはいつもほがらかに笑うので、皇帝のそばにいる人間も、桂秋がいてよかったと言うくらいだ。 桂秋が聞いたところによると、皇帝はもともと明朗快活な人柄で、不機嫌になったり怒ったりするようなこともあまりないそうだ。 確かに桂秋も、皇帝が機嫌を悪くしたり怒ったりする様子は見たことがないし、想像もつかない。 いつも明るい顔をしているか、笑っているかだ。 だがそれでもさすがに体調が優れなくなってからは、以前ほどのほがらかさは失われつつあるそうだった。 そんな皇帝が、桂秋といるときは以前にもまして楽しそうだという。 自分といて楽しいと思えるのであれば、桂秋もうれしかった。 そして桂秋もまた、皇帝といると楽しいのだ。 話が上手だからか知識が豊富だからか、いろいろな話をおもしろおかしく聞かせてくれる。 その中で、桂秋をからかってはその反応に笑うのだ。 その楽しそうに笑う顔を見て、桂秋もまた笑ってしまうことも多かった。 だがそんな桂秋が、口を酸っぱくして体を気づかうよう言っても、皇帝は聞かないのだった。 ただし同じことを繰り返して注意しても、それに対し腹を立てるようなこともない。 むしろ、それに対してさえおかしそうに笑うだけだ。 皇帝は、桂秋の話を聞きたがった。 蘇朔のところでの話に、いつも興味深そうに耳を傾ける。 様々な薬草のことや病気のことなどもおもしろそうに聞き入るのではあるが、なぜか自分のこととなるとまるで関心を示さないのには桂秋も困ってしまう。 宮中の庭にも薬となるような草が生えていることを話すと、誰かの役に立たないかとそういうことは気にかけるのに、その誰かは決して自らのことにはならないのだ。 桂秋の家族のこともよく尋ねた。 その際桂秋は、父親のことを話すときは気をつけるようにした。 それは、陸仙強が自分に対して示した懸念が頭にあるからだった。 父親がなぜ、いま寝たきりなのか。 そのきっかけが自分の父帝にあることを知ったら、皇帝はどう思うだろうか。 そう考えると、その点には触れないようにしようと桂秋は思うのだった。 しかし、桂秋といるときはいつもにこやかな皇帝ではあるが、毎日様子を見ていると、やはり時々、顔をしかめたり苦しそうな息づかいになることがあるのだ。 そして桂秋が目の前にいるときでも、一人で耐えしのいでやり過ごす。 だからましてそうでないときは、わざわざ呼んでまで薬を飲むということはないのだ。 確かに見ているとすぐに治まるので、わざわざ飲まなくても、と思うのもわかる。 薬ははいらないと強く言われ、なすすべもなくただ見守る桂秋に、皇帝は心配ないからと笑いかける。 やはり問題は、なぜいつまでもこんな状態が続くのかということであった。 解毒剤の効果というものはなかなか見られなかった。 陸仙強が言うには、食も以前に比べたらだいぶ細くなっていると言う。 少しずつ処方を変えたりして試しても何の変化もない。 見当違いの処方を出しているのではないだろうか、とは思うのだが、ではどうすれば、というのは桂秋にはわからなかった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |