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月下のぬくもり
三十五
皇帝は、その後すぐに後宮の女性たちを全員実家に帰してしまった。
宋紅芭も同様だった。
誰にも見送られず、静かに宮中を後にした。
彼女の経歴を偽ったとして、その養父に対しては厳重な叱責があった。

それはすべて、桂秋が帰宅している間の出来事だった。
その間に家には宮中からの使者がやってきて、後宮に入るための準備が慌ただしく進められる。
家はいつになく活気づいて、長年家で働いている使用人たちは、旦那さまがお役人を辞めて以来久しぶりに忙しいと張り切っている。

そんな中、桂秋が父親と話をしていると、侍女がやってきて桂秋に言ったのだ。
「お嬢さま、宮中からのお使いの方がいらして、お嬢さまに直接お会いしたいとおっしゃっておいででございます」
「わたしに?」
桂秋に直接話があるという使者は、めったにいないはずだ。
「いつになくご立派な使者の方でいらっしゃいます」
「?」
その言葉が少し気にはかかったが、ひとまず桂秋は使者が待っているという部屋に向かった。
そして、部屋に入るなり目を丸くした。
「曜和さま!」

そこにいたのは、皇帝本人だったのだ。
驚いた桂秋を見ておかしそうに笑い出す。
「どうして曜和さまが直接…!」
皇帝は一人ではなく、数人の従者を連れてきてはいる。
「なぜこんなところまで軽々しくお見えになるんです!周りの方もご心配なさるでしょうに…早くお戻りに!」
「来たばかりで帰れというのか」
「ご用がおありなのでしたら、わたしのほうから参上いたします。曜和さまがこのようなところまでわざわざ足をお運びになる必要はございません。今はどうかお戻りになってくださいませ」
「今日も厳しいな。いや、おまえにならそうしただろうが…」
皇帝は、そこで真顔になった。
「用があるのは、おまえの父親になんだ」
「……」
「きっとまともに来たのでは、会ってくれないと思って」

「あの、お父さま…」
桂秋は父親のところに戻ると、まず自分が先に部屋の中に入り、そして扉を大きく開けた。
「どうかしたのか?」
父親は、その桂秋の様子に扉の向こうへ目をやったが、すぐにわかったようだった。
「曜和さま…」
「何年ぶりだろうか。…」
皇帝は中に入ってくると、まず枕元に立った。
「体の具合はどうだ?」
父親は首を振った。
「曜和さまがこんなところにまでいらっしゃるのを拝見してしまっては、あまりよろしくはございませんな」
「……」
「日頃のご活躍は存分にご承知申し上げております。わたくし宛てのお言葉も桂秋から聞いております。ですからどうか、お戻りになってくださいませ。今後はあまり軽々しいお振る舞いはなさいませんように」
その言葉を聞いても皇帝は、顔色一つ変えずただ笑った。
「なるほど、桂秋が厳しいのはおまえ譲りか」
すると、その様子に父親もまた苦笑したのだ。
「……お変わりございませんね」
父親は桂秋に、いったん席を外すよう言った。

扉の外で待っている間、中からは何の音も聞こえてこなかった。
だがややあって、皇帝の笑い声が聞こえてきたのだ。
「桂秋」
父親の声に桂秋が扉を開けると、皇帝は枕元の椅子に座って笑っている。
「お戻りになるそうだから、お見送りして差し上げなさい」
「そう言って追い返すんだな」

二人だけで何を話したのかはわからない。
ただ皇帝は笑っているし、父親の顔にも笑みが浮かんでいる。

笑顔で腰を浮かせた皇帝に、父親が話しかけた。
「曜和さま、何度も申し上げますが、どうぞわたくしのことはお気になさいませんように。おかげさまでご覧のように好きなことをして暮らしておりますから。
この暮らしに慣れてしまったら、宮仕えはもう二度と出来ません。
ただ、わたくしはおそばに上がることは出来ませんが、今後は桂秋がおそばでお仕え申し上げるでしょう。わたくしのことをお気にかけてくださるお暇がおありなら、どうか桂秋のことをお気にかけてやってください」
皇帝はその言葉に、一つきっぱりとうなずいた。
そして笑顔で父親の肩をぽんとたたくと、静かに寝台に背を向けた。

皇帝が廊下に出たところで、桂秋は戸を閉めた。
「曜和さま…」
皇帝は、すっきりした顔でほほ笑んだ。
「元気そうでよかった」
「……」
「さ、じゃあ仕方がないから戻るか。二人にそろって戻れ戻れと言われてはな」
「……仕方なくなどございませんでしょう。そもそも、こちらにいらっしゃることが間違いなんです。一刻も早くお戻りになってくださいませ」
「はいはいはい」
皇帝がいつものように笑ったので、桂秋は安心した。
「じゃあ明日。待ってるからな」
桂秋が宮中に向かうのは明日だ。


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