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月下のぬくもり
二十七
紅芭のところから戻った桂秋は、すぐに皇帝に呼ばれた。
だいぶ前から何度も呼ばれていたが、桂秋がずっと戻らなかったのだと聞いた。
「申し訳ございません、すぐにうかがえなくて」
そう言うと、それに対しては皇帝は笑って首を振った。
「今日もまたあちこち呼ばれていたそうだな」

後宮に呼ばれたとき、皇帝に伝えてほしいと言われたことがあればそれを伝えるが、そうでないときは、桂秋のほうから呼び出されたことを話すことはなかった。
つまり呼び出されて、なぜ陛下は見えないのだとなじられただけのようなときは。
だが、皇帝の耳にはすべて入っているらしかった。
現に今も、誰に呼ばれたのかを知っていた。

何を言われたのか聞かれたので、桂秋は当たりさわりのないように答える。
「ただ紅芭さまは…」
「紅芭がどうかしたのか?」
「いいえ、大したことではないのですが、紅芭さまはいつも父のことまで大変お気に掛けてくださるんです。あまりにご心配いただくので、かえってどうかなさったのかと思ってしまって…」
「ふうん?」
皇帝は、大して興味がないように聞き流した。
それに桂秋は少しほっとした。
どうも自分は、紅芭を疑ってしまう。
それは言葉の端々にあらわれてしまうかもしれない。

「しかし…」
そこで皇帝の顔から笑みが消えた。
眉間にかすかに不愉快な影が浮かんだかと思うと、息を大きく一つついた。
「みんなして、毎日毎日おまえを呼びつけることはないだろうに」
「いいえ、わたしは別に。みなさま曜和さまのことがご心配なんでしょう。おそばにいるわたしの口から、ご様子をお聞きになりたいのでしょう…」
「……」
いつになく不機嫌な様子になった皇帝にとまどいながら、桂秋は恐る恐る口を開いた。

「あの…ご体調も落ち着かれたことですし、そろそろ後宮にいらしても…と思うのですが…。みなさまご心配なさっておりますし、それで曜和さまのお気が晴れるのであれば、そのほうが…」
皇帝は即答した。
「気分は今のままで十二分に晴れているからいい」
しかし、そこで不意に桂秋を見やると、真顔で尋ね返した。
「まさかおまえ、いまの言葉を本気で言っているんじゃあるまいな」
「え…?」

そんなわけがない。

他の女性のところに行ってほしいなんて、誰がそんなことを願うだろう。
でも、自分の立場ではそう言わざるを得ない。

桂秋は思わず口ごもり、皇帝から目をそらしてしまった。
そうしてから慌てて口を開こうとしたが、何と言っていいのかわからない。
言葉が出てこない。
本当のことなど言えるわけがないのだ。

桂秋が口を閉じてしまっている間に、皇帝の言葉が再度聞こえてきた。
「……わざわざ呼びつけたあげく、なぜ陛下は来ないのかと問いただし、あなたのせいだとなじるようでは世話がないな」
皇帝はそう吐き捨てるように言うと、一つ乱暴に息をついた。
そんなことまでしっかりと耳に入っているのだった。

「それはわたしは構いません。気にしておりませんから……」
「おまえはそう言うだろうが…」
皇帝の表情がさらに険しくなる。
そして、あきれたようにもう一度息をついた。
その様子に桂秋が困ってしまうと、それを見た皇帝の表情がふっとゆるんだ。

「ああ、おまえにそんな顔をさせてしまっては意味がないな。まあこれは俺が何とかすればいいことだ…。そうそう、それでおまえを探していたのは」
皇帝は、そこでいつものように笑った。
「宴を開こうと思って」
「宴…?」
皇帝はもうすっかりいつもの様子で、楽しそうに口を開いた。
酒宴を開くというのだ。

「皆に心配をかけてしまったし、元気な姿を見せれば安心するだろう。それに後宮の女も呼べばいい。そうすれば皆しばらくは騒がないだろう」
「まあ、少しのお時間でしたら…。ああでも、お酒はあまり召し上がらないようになさってください」
皇帝は、後宮から足が遠のくのと同時にめっきり酒量が減っていて、桂秋は安心していたところだ。

「大丈夫。おまえがそばで見張っていればいい」
「え?」
そして皇帝は、桂秋からふと目をそらしてほほ笑んだ。
「おまえにも本当に心配をかけた。でももう大丈夫」
「……」
大丈夫だというのは、桂秋には体調のことだと思われた。

そうか、そういうことであれば、その宴が終わったら申し出てみよう。
もう自分の役目は終わったのだ。
家に帰らせてほしいと。
いつまでもここにいては、自分がつらくなるばかりだ。

毒を混ぜた犯人はまだ見つかっていないが、これはもう自分がいても解決するような問題ではない。
皇帝の体調自体はよくなったことだし、もう潮時なのだろう。
いつまでここにいても、きりがない。
かえって辞めづらくなるばかりだ
楽しかったと言えるうちに、辞めさせてもらおう。

それをまず陸仙強に話したところ、陸仙強は言葉も出ないほどに驚いた。
その驚きに、桂秋もまたびっくりしてしまうくらいだった。
「先生、あの…?」
「いや、ああ、まあ確かにおまえの言うことには一理あるな。とはいえ、まさかおまえが本当にそんなことを考えているなんて」
「母が心配しておりまして…」
「それは蘇朔からも聞いている。父君はともかく、母君がたいそう心配しているそうだな。なんでも、嫁ぎ先を決めているとかいないとか」
「それはたぶんまだかと…そうは申しておりますが…」
「いや、おまえの言いたいことはよくわかった」
陸仙強はうなずいた。
「だが、わしが思うに、曜和さまがおまえを手放さないと思うのだが…」
「そんなことは……。たとえそうだとしましても、きっと今だけでございます。辞めてしまえばもう……」
自分のことなど忘れてしまうだろう。

「いやあ、それはご本人にお聞きしないと。ただ、皇子だったご時分からおそばでお見受けしているが、特定の女性にこんなにお目をかけるなんてついぞ見たことがなかった。
確かに今回も、初めはただの気まぐれだと思っておったし、おそらくご本人もそうであったとは思う。
だが今ではどうだ。おまえといるときが一番楽しそうで、また穏やかなお顔をしていらっしゃる。
わしが一番驚いたのは、お休みになるときには決して他人をそばに寄せ付けない曜和さまが、おまえだけはそうでなかったことだ。……よほどお気を許せるのだろう」
「……」
「おまえがどうしても辞めたいというなら、口添えはしてあげよう。だがまあとにかく、おまえから曜和さまにお話し申し上げてみなさい」


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あきゅろす。
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