[携帯モード] [URL送信]

月下のぬくもり
二十六
翌朝、陸仙強から改めて説明を聞いた皇帝は、真顔でうなずいた。
「よくわかった。ご苦労だった」
「ご快復なさるまでは安静を保たれることが大事です。完全によくおなりになるまでは、くれぐれもお静かに過ごされますように」

その陸仙強の言いつけをきっちりと守って、皇帝は静かに過ごし始めた。
そしてまた、以前よりもさらに熱心に政務を見るようになった。
小さなことにも真摯に対応するその姿は巷間にもすぐに伝わり、人々はますますご立派な方だと褒めたたえる。
政務を優先するあまり多少無理をするようなことがあるのは桂秋も心配だったが、立派だと思うのは同感だった。

二日に一回は大きな発作が起こっていたが、薬草は十日たたないうちに無事に宮中に届けられた。
それを煎じてきちんと飲むようにすると、体調はみるみるうちに上向いていった。
まず大きな発作は起きなくなり、次いで食欲も戻ってくる。
息苦しさや頭痛なども徐々におさまってくる。

体が楽になったようだと自分でも言うようになって、陸仙強は涙を流さんばかりに安堵していた。
周囲の人間も、皆揃ってよかったと言い合っている。

だが一方、毒を盛っていた犯人というのは、なかなかわからなかった。
用州にやっていた使者も戻ってきたが、何も収穫は得られなかった。

一方で皇帝は、あれ以来後宮に足を向けなくなっていた。
なるべく安静にし、夜も早く休めという侍医の注意を聞いたからというのが表向きの理由だった。

後宮からは、来なくなった皇帝に対して見舞いと称する書状がたびたび届けられた。
皇帝は、それには口頭で返事を伝えさせる。

桂秋が直接呼ばれることも多くなった。
あちらへ呼ばれこちらへ呼ばれ、皇帝の具合はどうかと尋ねられる。
わざわざ桂秋の口から聞かなくとも、皇帝の調子がよくなっていることは当然後宮にも届いていた。
だが後宮の女性は桂秋を呼び寄せる。
そして、少しでもいいから顔を出すよう伝えてほしいと言われる。

体調はよくなっているのに、皇帝の足が後宮から遠ざかる日が続くと、なぜ来ないのかということもそれとなく聞かれるようになる。

宋紅芭にももちろん呼ばれた。
彼女の様子には、ひとまず変わったところはない。
ただ彼女だけは、桂秋の父親のことをいつも気に掛けるのだ。
そしてどうも、他の女性よりも、皇帝の快復を喜んではいないように見えた。
でもそれはあくまで桂秋がそう感じるだけで、目に見えるような証拠は何もないのだった。

その日も桂秋は、宋紅芭のもとに向かった。
紅芭の前に別の女性のところにも呼ばれており、そこから直接向かった。

顔を合わせた紅芭は、皇帝の具合を尋ねるより前に、桂秋の父親のことを尋ねた。
「お父さまの具合はどう?」
「ご心配ありがとうございます。おかげさまで変わりなく過ごしております」

最近、桂秋はよく実家に帰るようになっていた。
皇帝が勧めてくれるのだ。
皇帝の体調がよくなってきたこともあり、その言葉に甘えてよく帰るようにしている。
もっとも、帰ってもすぐに宮中に戻ってきてしまうのではあるが。

「それならよいのだけど。でもこう言ってはなんだけど、せっかくご健在なのだから、もっとそばでよくよく孝行しないと。陛下のことも心配でしょうけどね」
そう言われたので、桂秋は尋ねた。
「紅芭さまのお父さまは…?」
「実の父はもう亡くなったの。父が宋家の出で、それで父の死後、宋家に養女に入ったのよ」
「そうですか…失礼いたしました…。お父さまは何をなさっていらした方なのですか?」
「役人なの。長い間用州にいたのだけど、亡くなったのは都でだったわ。たまたま、直前に都に栄転になったの」

それは桂秋の耳に入っていることと同じだった。
宋紅芭の実父は用州で役人をしていたが、やがて都に赴任し、そして都で病死したそうだった。

「家族を残して赴任して、落ち着いたら呼び寄せてくれるということだったんだけど、結局二度と会えなかった」
「……」
「ああ、私のことはいいわ。とにかくあなたはしっかり親孝行なさいね」

それから紅芭は、思いついたように二言三言皇帝の様子を尋ねた。
「あなたに尋ねればよくわかるから。陛下はあなたのことをとてもかわいがって、いつもおそばに置いているそうね。間近で見ていればご様子もよくわかるでしょう」

桂秋がきめ細かに皇帝の世話をしていること、そしてそんな桂秋に皇帝がとても目をかけていること、それは宮中ではすっかり知られるようになっていた。
だからそれを紅芭が知っていてもおかしくはないのだが、まるで自分には関係のないことのように言うのは、桂秋にとっては少し腑に落ちなかった。
後宮の女性にしてみたら、これはあまり面白くはないと思うのだ。

現に、他の女性は桂秋に対して敵意の視線を送ることもあるのだ。
陛下はなぜ来ないのか、とにらまれる。
後宮に来ないのはあなたのせいでは、と言われることもある。
たとえ本人はそう言わなくとも、周囲の侍女がはっきりと言う。

陛下を引き止めているのはあなたではないのか。
そうでなければなぜ来ないのか。
体調不良ということはわかっている。
だがそれもよくなっているとあなたは言う。
なのになぜ陛下は足を運ばないのか。
あなたが何か言っているのではないのか――。

それは自分を買いかぶりすぎだ、と桂秋は思う。
自分にそんな価値はない。

自分はあくまで、侍医の助手なのだ。
皇帝の体調が完全によくなったなら、自分はもういる必要はない。
そのときはここを去らねばならないだろう。

家に帰るたびに、すぐに宮中に戻ろうとする桂秋に母親も言うのだ。

なぜそんなに急ぐの?
陛下のご体調は落ち着かれたはず。
陛下があなたをかわいがっていらっしゃるのは、お父さまのところに見えるお客さまから聞いて耳にしているわ。
とてもありがたいことだけれど、あなたはそれ以上にはなれないのよ。
あなたのお役目はもう終わりでしょう?
早くうちに帰っていらっしゃい。


[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!