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月下のぬくもり
二十一
「ようございました。先程はまた氷のように冷たくて…ゆうべと同じでございました」
「そうだな、言われてみると、手先が冷たくなっていくような気がした。そこから体温が奪われていくような。いま思うに、昨夜もそうだったかもしれない」
そう聞いた桂秋は、手を両手でしっかり握り締めた。
「おつらかったでしょう。もう大丈夫でございます」
「そうだな、おまえの手はあたたかい」
皇帝は、今度こそほほ笑んだ。
優しいほほ笑み。
しかしその笑みにはあまり力が感じられず、いつになく衰弱している様子だった。
桂秋は、手をさらに強く握った。

どうしてこの人はこんなにつらい目に遭わねばならないのだろう。
一体、誰がこんな目に遭わせているのだろう。
本人は恨まれても仕方がないと言うが、だからといってこんなことをしていいわけなどない。

手をじっと握り締めていると、ふとその皇帝の手が動いた。
どかせと言われたような気がした桂秋が手を離すと、皇帝はそのあいた手で、桂秋の髪をなでた。
「そんなに心配そうな顔をするな」
「……心配せずにはいられません」
「今にも泣き出しそうな顔をしている」
「……」
確かにそうかもしれなかった。
「……どうして曜和さまがこんな目に」
「仕方のないことだ」
「仕方なくなどございません!」
「桂秋、本当にそんな顔をするな」
皇帝は、再度ほほ笑んだ。
桂秋の髪を離れた手が、今度は自ら彼女の手をつかんだ。
「それより、なぜこんなに早く帰ってきたんだ?ゆっくりしてこいと言ったのに」
「……書庫で」
あふれ出しそうになった涙をこらえつつ、取られた手を元のように握り締めながら、桂秋は答えた。
「書庫で本を探したいと思いまして……。機州には、他の土地にはない様々な薬草があるそうなんです。それについてまとめた書物があるそうなので、それを探そうと。曜和さまのお体によいものがあるかもしれません」
「機州…?」

皇帝はその地名に反応した。
それは、そこが流罪の土地だと知っている顔だった。

それまで桂秋に合っていた皇帝の視線が、ふっと横にそれた。
その先には、先帝の描いた絵が飾られていた。
それに気付いた桂秋は、体をずらしてその視線をさえぎってしまった。
すると皇帝は、驚いたように桂秋を見つめた。

「曜和さま。父も曜和さまのことをたいへんご心配申し上げておりました。機州の話も、父が教えてくれたんです」
「……父親の具合はどうだった?」
皇帝は目を閉じてしまった。
「はい、おかげさまで変わらず元気でございました。曜和さまに、曜和さまこそくれぐれもお体を大切になさるよう、伝えてほしいと申しておりました。それと」
桂秋は続けた。
「自分のことなどお気になさらぬようにと。曜和さまは今現在、ご立派に国を治めていらっしゃるのだから、もうそれでよいのだと。……あと」
桂秋は、父親の話をして聞かせた。
皇帝に伝えてほしいと言われたことを。

先帝のしたことは、今の皇帝には何の関わりもないこと。
そもそも、恨みを受け継ぐという覚悟をする暇があるのならば、今しっかりとこの世を治めてもらいたいこと。
そのためには、体をしっかりと治すべきこと。
恨みを甘受したあげく座して死を待つなんて、そんな楽なことは許されないこと。
しっかりと体を治し、難題に立ち向かっていくべきこと。
それこそが、先帝のために命を落とす羽目になった者たちへの慰めになろうこと。

「それでもなお、率先して恨みを買おうとおっしゃるのであれば、ますますご健康を保っていただきたいとも申しておりました。この世からお隠れになっては、恨むこともできないと……」

桂秋の話に、皇帝は身じろぎ一つせずに耳を傾けていた。
ぴくりとも動かない。
桂秋は、先程と変わらず皇帝の手を握り締めながらその場にひざまずいていた。
だが、さすがに父親の言葉は皇帝を不愉快にさせたかと、手を握る力をそっとゆるめた。
すると、それはすぐに握り返されたのだ。
力強く。
「曜和さま…?」

皇帝は目を開けると、まずは無言で体を起こした。
その動きはゆっくりではあったが、弱々しいものではなく、力が込められているのがわかった。
桂秋は手を離した。
「曜和さま、ご無理をなさっては…」
「いや。おまえの父親の言うとおりだ」
皇帝はそう言うと、目の前の桂秋に笑いかけた。
「おまえにもずっと心配をかけてばかりで。これ以上、おまえに心配をかけるわけにはいかないな」
「曜和さま…」
「陸仙強を呼んでくれ。あいつも心配しているだろうから」

桂秋が隣室にいた陸仙強を呼ぶと、皇帝は彼に、早くなんとかして自分のこの体調を治すよう言った。
いまさら当たり前のことではあるが、それを聞いた陸仙強は、目に涙を浮かべるほどだった。
「おまえはいちいちおおげさなんだ」
「なにがおおげさなことでしょう。これまで何度申し上げても曜和さまはお聞き入れになってくださらず…」
「悪かった。おまえはずっと一生懸命やってくれていたのに、当の俺がまったく無関心で。だがこれからはきちんと言いつけを守ろう」
陸仙強は目元を押さえながらうなずいた。
「承知いたしました。必ずや治してみせましょう」
「毒の件は結局どうなっている」
いまだに何の手がかりも得られていないと聞くと、人を呼んで徹底的に調べるよう命じた。

桂秋が陸仙強に、機州の薬草の話をすると、陸仙強は今から書庫に行って探してくると言う。
「先生、わたしも参ります」
「おまえは曜和さまについていてさし上げなさい」
「そうだぞ」
と言ったのは本人だ。
「おまえがいないとつまらなかった」
「……」
桂秋が笑うと、皇帝も笑った。


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