月下のぬくもり 十八 翌朝、桂秋がいつものように陸仙強と皇帝のもとに向かうと、皇帝はすっきりとした顔で寝台に起き上がっていた。 「曜和さま、ご気分はいかがでございますか?」 陸仙強の問いに、笑って答える。 「ああ、なんだか久しぶりによく眠れたようだ」 確かに、顔色は良い。 「ようございました」 そして、脈を取ろうとした彼に対し、手を振り払った。 「曜和さま、お元気になったかと思えばまた…。今朝は何でございますか」 「桂秋に診てもらいたい」 「承知いたしました」 昨日の今日なので、桂秋も心配していた。 そのため、何も疑問に思わずそばに近づくと手首をとったのだが、そうすると皇帝は、桂秋の耳元に息を吹きかけたのだ。 「…!」 また飛びのいてしまった桂秋を見て、皇帝は笑い転げた。 「曜和さま!」 桂秋が叫ぶと、さらに腹を抱えて笑う。 陸仙強が改めて脈を取る。 だがその顔つきは、やや難しいものだった。 それを見た皇帝が、相変わらず笑って言う。 「そんな顔をするな。その顔を見れば健康なやつだって病気になろう」 陸仙強が改めて顔をしかめたのを見て、また笑う。 それから再び桂秋を見やった。 「な?俺は大丈夫。だから、安心して家に帰って来い」 「……」 部屋を出た陸仙強は、桂秋に言った。 「お顔の色もここ最近に比べるとよいし、ご気分もすこぶるおよろしいようだが、やはりどうもな…。何しろ昨日の今日だし、しばらくは安静にしていただかなくては」 桂秋は、今出てきた扉を見やった。 「だが、ああおっしゃってくださっているのだ、おまえは家に帰ってきなさい。でないと、きっとお気になさるから。こちらは大丈夫」 確かにそうだと思われた。 あんなに気にしてくれるのだから、ここは素直に帰宅したほうがかえっていいに違いなかった。 朝食後、桂秋が薬湯を持って顔を出すと、皇帝はいつものように笑顔だった。 しかし、朝食はほとんど残してしまったと、桂秋は給仕をした側近から聞いていた。 「曜和さま、お食事をあまり召し上がらなかったそうですね」 「ああ、でも大丈夫。一食や二食食べずとも問題はあるまい」 桂秋が心配そうに眉根を寄せると、皇帝は笑顔でもう一度大丈夫と言った。 「そういうわけには参りません。せめてお食事くらいは召し上がっていただきたいのですが…。お好きなものだけでも構いませんから」 「気にするな。おまえがそんな顔をすると、本当に体調が悪くなりそうだ」 「曜和さま!」 皇帝は他人事のように笑う。 ではせめて薬湯をと、桂秋は、差し出す前に説明を始めた。 「……こちらのお薬湯でございますが」 昨日までの解毒剤とは、処方を大幅に変えてみたと。 だが説明を聞こうともせず皇帝は手を伸ばすと、さっさと飲み干した。 「味が違うな?」 「今からご説明申し上げようと…」 「まあ、なんでもいい。体のことは陸仙強に任せてあるから」 「曜和さま」 桂秋が顔をしかめると、皇帝は肩をすくめて笑った。 「昨晩のご不調は、もしかしたら混ぜられていた毒物に解毒のお薬が反応してしまったのかもしれません。いま、先生が文献をお調べでございます」 「ふうん?」 そして皇帝は、これまた他人事のように桂秋に問いかけた。 「ということは、昨日の夕食に混ぜられていたと?夕食をとってすぐだったものな、おまえが来たのは」 「いいえ、それはまだわかりません」 「そうなると紅芭が?」 「誰も紅芭さまとは申しておりません」 「まあ、本人ではないかもしれないがな。ただ後宮の女は皆、何を考えているのかさっぱりわからん」 「……それでもいらっしゃるのはどなたでございますか」 皇帝は笑った。 「別に何を考えているかなんてどうでもいいことだから。ちょっと行ってちょっと楽しければそれで。向こうだってそうだろう。俺が来るか来ないかだけ気にしている」 「そんなことはございませんでしょう。みなさま、曜和さまのご体調を心配なさっているとうかがっています」 「そりゃあ、皇帝が体調不良と聞けば、誰もが興味を持つだろう。それを心配と言い換えればそれで済むことだ」 確かに、と桂秋は思った。 自分もそうだったのだから。 しかし、後宮にいる女性たちとは、誰とも深い交流がないのだろうか。 そういう口ぶりだ。 そこまでは求めていないのだろう。 本人の言うとおり、そのときだけ楽しければいいというのだろう。 後宮は休息の場ではないのだ。 美女とひととき楽しむだけの場。 だから毎回、自室に戻ってきて休むのだろう。 「ま、いずれにせよおまえは家に帰って二、三日ゆっくりして来い。馬車の準備はもう出来ているから。父親にくれぐれもよろしく」 「ありがとうございます。曜和さまこそ、くれぐれもご無理はなさいませんように。我慢も決してなさいませんよう。少しでもおかしいと思ったらすぐに陸先生をお呼びになってください。昨日の今日なのですから、なるべくお静かにお過ごしください。あと…」 「わかったわかった。おとなしくしているから」 桂秋の言葉をさえぎって皇帝は笑いながら立ち上がった。 そしてその背を押すと、一緒に部屋を出た。 「早く帰れ。帰るのを見届ける。そうでないと、おまえは結局ここにいそうだから」 「曜和さま!」 馬車の準備は確かにもうできていた。 皇帝は自分で言ったとおり、桂秋が馬車に乗り込んでそれが動き出すまで、その場で見送ってくれていた。 そこまでしてくれなくともいいと、桂秋が何度も言ったにもかかわらず。 [*前へ][次へ#] [戻る] |