[携帯モード] [URL送信]

欅(けやき)の木陰にて憩う

数人いる中で、彼は真っ先にこちらに近づいてきた。
そして梨夜の腕を強くつかんだ。
「はなしてください!」
梨夜はそう叫ぼうとした。
だがその途中で、口元を海靖の手で覆われてしまった。
「静かに」
「……!」
大きな手で覆われては、もう何を言っても無駄だ。
それでも梨夜は、とにかくはなしてと体をよじらせた。
だがそうすると、海靖は梨夜を抱きすくめたのだ。
「静かに。まずはこちらの話を聞きなさい」

……話?
自分を捕まえに来たのではないのだろうか?

梨夜が静かになると、海靖はそっと彼女から腕をはなした。
腕を解き、口元からも手を離した。

海靖と一緒にいたのは、彼が信頼している側近ばかりだった。
よく見ると、海靖はもちろん誰も明かりを持ってはいない。
さらに海靖は今、剣は身につけているが甲冑を着用してはいなかった。
「浅瀬を渡るつもりなのだろう?」
海靖の問いに梨夜がうなずくと、彼は言った。
「我々も渡るつもりだ。一緒に行こう」
「え…」

どういうことだろうか?
この浅瀬の向こうは、劉義法の陣営なのに。

「思っていたより早かったな。おまえの天幕を見たら空っぽで…」
海靖は低い声でそう話しながら、梨夜の腕を取った。
話している言葉はわかった。
だが、それが何を意味しているのか、梨夜にはわからない。
わからないでいると、次に梨夜の体はふわっと宙に浮いていた。
海靖が抱き上げたのだ。

梨夜は海靖の両腕の中に抱えられ、川を渡り始めた。
はるか下のほうから、水音が響いてくる。

渡り終えたところで、海靖はそっと地面に下ろしてくれる。
「濡れなかったか?」
「……」
訳のわからないままうなずくと、海靖はそれならいいとこちらもうなずいた。
そして梨夜の背を押して歩き出した。

歩き出すとすぐにたいまつを持った兵士が近づいてきた。
劉義法の軍の者だった。
「誰だ!」
「見慣れない顔だな」
すぐに三々五々と兵士たちが集まってきて、剣が突きつけられる。
そうされると海靖は、梨夜を自分の背後に隠すようにしてくれた。
そして、兵士たちに向かって言ったのだ。
「劉義法に会いたいのだが」
だが兵士たちは、海靖の顔など知らないのだった。
「怪しいやつらだ。劉さまにご報告を」
兵士たちはまず、海靖たちから剣を取り上げた。
だが海靖もその側近も、何も抵抗しない。
まるでこれは、初めから予定通りのことであるように、されるがままになっている。

周囲には次々に兵士たちが集まり、すぐに数十人になる。
それぞれが持つたいまつが明々と照らされ、まるで昼のように明るくなる。
突きつけられた刃が、たいまつの光に異様にきらめく。
だがそんな中でも海靖は、梨夜をかばうようにして立ったまま微動だにしない。

数人がどこかへ駆けて行ったかと思うと、やがて一人の人間を囲むようにして戻ってきた。
その中年の男性の顔に、梨夜は見覚えがあった。
「劉さま!」
それが劉義法だった。

梨夜が海靖の陰から姿を見せると、劉義法は目を見開いた。
「もしや梨夜?梨夜か?」
「はい。お久しぶりでございます。王渓長の娘の梨夜でございます」
そして彼はすぐに、海靖のこともわかったようだった。
「海靖さま!」
そして彼は言ったのだ。
「まさか、本当にいらっしゃるとは…」
「直接話をしたほうが、おまえも信用できるだろうと兄上が」
「皇太子さまが?ああ、おまえたち、早く剣を下ろせ。この方は怪しい者などではない。さあ、ではとにかくこちらへ」
劉義法は兵士たちに道をあけるよう命じると、海靖の先に立って歩き出した。
それまで海靖たちを取り囲んでいた兵士の何人かが、明かりを手についてくる。
奪った剣もすぐに側近の手に返される。
海靖は、劉義法の後から歩を進めた。
梨夜の背を押しながら。

背中を押されなければ、梨夜はその場に突っ立っていたかもしれない。
だって、なぜ海靖が、劉義法のもとを訪れるのだろうか?
彼は、劉義法を討つために、わざわざここへ来たはずではなかっただろうか。

歩きながら劉義法は、梨夜に話しかけた。
「おまえが無事でよかった。陛下はおまえのことを探しているそうではないか」
「はい。ですが海靖さまが…」
「そう、確かに皇太子さまから、おまえの無事は聞いてはいたが」

皇太子から、とは?
まるでこれまで、連絡を取っていたような言い方ではないか。

劉義法は、一つの広い天幕に海靖を案内した。
そして中にあった椅子を勧めた。
そこに座る前に海靖は、劉義法に一通の書状を手渡した。
「兄上からだ」
書状を受け取った劉義法は、自分は海靖の前に立ったままそれに目を通し始めた。
梨夜はよくわからないものの、ひとまず隅に控えていた。

書状は、海靖が言ったとおり、皇太子からのものだった。
読み終えた劉義法は、それを丁寧にたたみなおすと、海靖の前にひざまずいた。
「わたくしなどにもったいないお言葉でございます。喜んで仰せの通りにいたします。今の今まで、わずかとはいえ疑っていた自分が恥ずかしくてなりません」
「疑うのももっともだ。恥ずべきことではない。だから私が直接来たんだ」
海靖はそれをおそらく、梨夜に向かって言った。
「これで国内の軍はすべて、父上を討つことを目指すこととなった」
「…どういうことでございますか?」
梨夜の言葉に、劉義法が振り返って答えた。
「海靖さまは、初めからそのおつもりで軍を率いてここまでいらしたんだ。
皇太子さまは、おまえの父親の件で、陛下のなさりようにはもう我慢がならなくなっていらした。海靖さまもだ。
ここまで来たら強制的に退位させるよりほかないが、軍を動かせば、さすがに陛下にすぐに筒抜けだ。
そこへ我々が挙兵するという話を耳にされた皇太子さまは、一計を案じた。
我々を討つという名目で軍勢を集めたあと、その軍を我々と合流させて陛下を討とうとおっしゃるのだ。
初めにこのお話をうかがったときには信じられなかった。正直言って、今でも信じられない思いだ。
だが、現にこうして海靖さまはここにいらっしゃる。しかもおまえまで連れて」
「……」
梨夜は海靖を見つめた。
海靖は、静かに目を伏せている。

こういうことだったのだ。

「海靖さま…」
「話さなくて済まなかった。話そうと思ったが…」
「いいえ、当然のことでございます」
計画を他人に話せば話すほど、どこから漏れるかわからない。
国の行く末を左右する大事なことなのだから、秘密裏に事を運ぶのが当然だ。
「それよりも、知らぬこととはいえ、わたしはずいぶんと失礼なことを…」
海靖は首を振った。
「それこそ当然だ」


[*前へ][次へ#]

7/12ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!