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作品1ぴよさん



何かで頭をいっぱいにして、身体を動かすのよ、さあ。――繰り返す呪文で、自分の背中を強く押し出す。




『リナリー、いつ任務が入ってもいいように休んでおけよ。』

リーバー班長の気遣いにも、首を振って答えて。
何かしないと。していないと。唱えて、唱えて、資料室まで小走りに駆けた。

所狭しと棚が並ぶ資料室は、年期の入った紙の匂いでいっぱいだ。私は過去の任務内容が記された報告書を、引き抜いては一心に手元に纏める。失敗をやらかしてしまったのはその作業の途中。棚から報告書を抜いた事によって、横にあった無関係の束を床に撒いてしまった。
しゃがみ込んで拾おうとして、私は、指を竦ませる。
報告書に書かれた、担当エクソシストの名前を見つけてしまった。

「――――。」

考えちゃダメって、逆方向に逃げてみても。たった一瞬で挫かれる。
虚勢を内側から食い荒らされて、どうしても涙を堪えられなかった。壁に寄りかかってうずくまると、弱い私は情けなく身を震わせる。
――恋が破れるのが、こんなに辛いなんて。




三日ばかり、昔の話をしようと思う。
午後の修練場で、私は座禅を組む神田の傍らにいた。他のエクソシストはほとんど任務に出払っていて、ファインダーの人たちも任務への同行や他の用事を抱えているのか、修練場はいつになくがらんとしていた。
私がかねてから秘めていた願いを口にしたのは、そのときのこと。

「――いつかこの戦争が終わって、私達にエクソシストの肩書きがなくなった後も、」

神田と二人、っていうこの状況が大事だった。何故ってこの言葉は、私にとって特別な意味をもっていたから。

「私は、兄さんと……神田と、一緒にいられたらいいな……って。」

恥ずかしさも加わって、消極的な言い方になってるなってすぐに反省した。

「ううん、一緒にいたいの。神田に、そばにいてほしい。」

神田は座禅のために閉じていた目をちゃんと開けていて、私の言葉を聞いてくれている様子だった。
その彼に、私は子供の頃から約束を結ぶときにそうしていたみたいに、立てた小指を差し出した。

「……ずっと先の未来も、こうして一緒にいてくれる? だめじゃなかったら……ゆびきりして。」

人生のうちで、あんなにどきどきした瞬間もなかったんじゃないかと思う。
仲間としてでなく、幼なじみとしてでもなく。あのときの私は、神田の事が好きっていうだけの女の子。そんな私なりの、精一杯の告白だった。

息を詰めて神田の答えを待ちながら。私、心のどこかでは自惚れていたんだ。
今までどんなに無茶に思える要求をしても、最後には神田が折れて指切りをしてくれたように。今度も、憎まれ口を叩きながらも私を甘やかしてくれるんじゃないかって。
今になって考えると、ほんと、ばかみたいな話。

「――だめだ。」

はっきりと想いを断ち切られてから、身体が実感に冷えていくまで、それなりに時間がかかった。

「未来は約束してやれない。」

その後、神田に何て言って、修練場を出て行ったかは覚えてない。
考えないようにって自分に呪文をかけて、あれから、今まで逃げて来たんだから。






どのくらい、資料室の壁にうずくまって泣いてたんだろう。ハンカチを顔に押し付けて嗚咽を上げていたら、キイ、とドアが開く音がして肩が跳ねた。
どうしよう、こんな顔。
気付かれるのを恐れつつ、現れたその人を確かめる。表情は窓からの逆光のせいで分かりにくかったけど、誰なのかは明らかだった。

「……この部屋から、泣き声が聞こえてきたものでな。」
「マリ……。」

自然と、肩に入っていた力がほぐれていく。

「一人になりたいようだったら、遠慮せず言ってくれ。そうでないなら、隣にいることを許してもらえるか?」

隣にいて、とお願いすると、マリの大きな身体が私の隣に並ぶ。頭にぽんと乗せられる温かい掌が優しくて、ほろっと涙が零れてくる。
泣きじゃくって昂っていた気持ちが、ちょっとずつ安らいでくる。マリの声は、心を癒して落ち着かせる音楽みたいだ。

「――大好きな人がいたの。」

話したくなったのは、隣にいるのがマリだったからかもしれない。
顔を覆っていたハンカチを掌で丸めて、私は頼りない声を押し出した。

「……今も、大好きなんだけど。……結局、振られちゃった。」

マリは黙って、耳を傾けてくれている。
今は、優しさに寄りかからせて欲しかった。

「戦争が終わった後も一緒にいられたらいいなって、思ってたのは私だけだったの。昔からそばにいてくれたから、この先もずっとって期待しちゃってた。……だけど、未来の約束はできないって、それが返事。」

私の未来には、兄さんと、神田がいた。そして、神田の未来に私はいなかった。
理想と現実の隔たりが、痛くて苦しい。
触れるとまた傷口が開いて、尽きない涙になっていく。

「興味本位に詮索するつもりはないから、これは私の独り言として聞いてほしいんだが……。」

涙を拭うハンカチから顔を離すと、マリはうっすらとした笑みを浮かべていた。言葉を選んでいるのか短く沈黙したあと、折り曲げた膝の間で指を組み合わせて、話し始めた。

「リナリーの言う好きな人と、よく似た人間を一人、知っている。」

私の頭から離れない彼と、マリが知っているという、よく似た人。思い違いとは思えないほど、同じ人物が頭の中で無理なく重なる。
胸がどきどきしてきた。

「――バカまっしぐらで、その上、不器用な奴でな。幸せになる方法なら他にもあるのに、一つの約束に自分を縛り付けて、未来を捧げてしまおうとしている。」

……未来。
時々、神田の瞳が遥か遠くを眼差しているふうに感じられるときがあった。

あれは、未来とその約束に注がれていたの?

「そいつのように、たった一つの約束のために、他の未来を約束することが出来ない奴もいる。バカだから、それこそまっしぐらにしか生きられないんだろうな。そいつ自身の問題だろうと、見ている方はもどかしくてかなわんが……。」

私の知っている神田も、そうだ。
昔からバカでつくくらい真っ直ぐで、ぶれなくて、真面目で。
だから叶えられる範囲ぎりぎりまでは手を差し出してくれるけど、軽はずみな約束は絶対にしない。……それが、不確定な未来ならなおさらだろう。

「――私はせめて、何も出来ない代わりにそいつを見守ってやろうと決めたんだが、本当はもっと強引に踏み込んでやるくらいでいいのかもな。」

あのときの私は、あれ以上を踏み込んでいけなかった。神田に拒絶されたのが悲しくて、向き合うことも出来なかった。

「こっちも同じくらいバカになれというわけじゃないが……まっしぐらにぶつかっていくのも、時には必要なのかも知れない。」

見守ること。ぶつかっていくこと。
それって、どっちも大事なことだ。
私が今、選ぶとしたら……。

「……と、まあ、そういう奴もいるという話だ。突然こんな話、すまなかったな。」

腰を上げるマリに、はっと我に返った。

「マリ!」
「ん?」
「あの……ありがとう。」

軽くかぶりを振って、笑顔を浮かべるマリ。この人の優しさに、どれだけ救われてきたかなんて計り知れない。
部屋から出て行く姿を見送ると、私は握りしめていたハンカチをポケットに押し込む。涙を拭うためのものなら、もう必要なかった。








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