溺れる(元イジメ 後悔 ヤンデレ) 俺には、消し去りたい過去がある。 大学に入学して2週間が経った。 一人暮らしを始め、サークル勧誘や授業科目の選択など高校生の頃とは全く違う空気にやっと慣れてきたかなと思った矢先のこと。 それは言葉にできないほどの衝撃だった。 なぜなら。 「もしかして君、沢田君?」 「上、野…」 なぜなら消し去りたい「過去」が、俺の前に現れたから。 上野の存在を忘れたことなど一度もない。 ずっと後悔を引きずって生きてきた。 10年前、俺は目の前にいる上野英紀をいじめていたのだ。 上野は同じクラスメイトだった。 綺麗な顔立ちをしていて、優しい子供だったと記憶している。 多分俺は、そんな彼に惹かれていたのだろう 。 けれど幼さゆえに好意の表現方法を知らない俺は、彼にちょっかいをかけることでしか気持ちを発露することができずにいた。 気付けば彼への行為はどんどんエスカレートしていき、始めは肩をちょっとこずく程度のものだったのが、いつしか痛みを伴うような強いものへと変わっていた。 上野は最初こそは笑っていた。ただのおふざけの範疇だと。 けれどだんだんとこの状況についていけなくなった彼の表情が、日に日に曇っていき、俺を避けるようになっていくのを感じた。 そう、俺は分かっていたのに、それでも自分を抑えることができなかった。 そしてクラスの中でも割とリーダー格だった俺の行動に倣って、周りの奴らまでも上野に対して言動が荒くなり、その頃にはもう、いじめと認識されても反論できないところまできていたように思う。 怖くなった。 違うのに。俺はこんなことをしたかったわけじゃなかったんだ。 ただ、彼の気を引きたかっただけなのに。 どうして。一体どこで間違えたんだろう。 上野の取り巻く環境の著しい変化に恐怖を覚えた卑怯者の俺は、それから上野を視界に入れないようにすることで、全てをシャットアウトした。 彼がはじめから存在しなかったかのように。 そして誰も上野と口をきかなくなった。 俺が周りに命令した訳ではなかったが、だからといってその行為を止めることもしなかった。 俺は彼が孤立してくのを見て見ぬ振りをして逃げたのだ。 状況は改善されぬまま夏を迎えた。 そしてその後の長い休みを終えて学校へ行くと、教室に彼の姿はなかった。 転勤のために引越しをすることになった上野は、クラスメイトへの挨拶もないままひっそりとこの場から去っていたのだ。 家に帰ってから俺は泣きじゃくった。 どうしてこうなる前に彼に謝罪しなかったのか。クラスメイト達を止めることができなかったのか。 ただただ、後悔しか残らなかった。 最悪な結末を迎え、その時になって初めて俺は彼のことが好きだったのだと自覚し、そしてもう二度と自分に人を好きになる権利は与えられないだろうと思った。 それから誰とも心を通わせることなく10年間生きてきた。 「沢田君と同じ大学になるなんて、本当に驚いたな」 「…あぁ」 あのあと二人で大学内のカフェテラスへ向かった。 謝罪の機会を窺って気もそぞろな状態の俺に対し、上野は落ち着いたものだ。 目を細め、感慨深げな表情で俺を見つめている。 子供の頃から整った容姿をしていた彼は、歳を重ねてさらに凛々しく清廉な雰囲気をまとわせるようなっていた。 誰からも愛される存在。 いっときとはいえ、それを俺が奪った。 改めて己の罪の重さを思い知り、冷たい汗が背中を伝うのを感じた。 10年もの月日が過ぎていたにも関わらず、迷うことなく相手を認識できたのは、過去の記憶が強烈に残っていたから。きっと、俺だけでなく上野も。 「ふふ、懐かしい。元気にしていた?」 「…」 今は何を言っても嫌味にしか聞こえないかもしれない。 そう思うとまともに言葉を発することが出来ず、俯いてしまう。 あぁだめだ。 今すぐ彼に謝罪と償いを。 そうでなきゃ、俺と上野の時間はいつまでたっても進まない。 「上野、あのさ、俺小学生の時のこと…!」 「あ、ストップ!」 「…え?」 意を決し俺が謝罪の言葉を口にしようとした瞬間、なぜか上野に制された。 「…あの時のことなら、今は話すのやめて。ねぇ、それよりもさ!今日暇?」 「え…うん、まぁ」 「じゃあ、夜ごはんでも行かない?」 どうして上野は止めたんだろう。 「今は」ということは、ここではない場所で改めて話をつけたいということだろうか。 そうであれば、この誘いを断るわけにはいかない。 「わかった。行くよ」 「うん。じゃあ18時に…ていうお店で…」 俺の返事に嬉しそうな表情を見せる上野をぼんやりと眺める。 どうしてそんな風に自然でいられるんだろう。 お前を苦しめていた張本人がすぐ目の前にいるのに。 もう、上野の中であれは過ぎたこととして処理されているのか。 俺だけがずっと忘れられずに、過去に囚われたままなのだろうか? わからない。 目の前にいる上野の気持ちが読めない。 だけど…。 「あ、れ」 「あぁ、気付いた?」 目を開くと、すぐそばで上野が俺を見下ろしているのが目に入った。 「…なんで」 俺は…眠っていたのか? どうして。だってついさっきまで上野と待ち合わせをした店で飯を食ってて、それで…、 「記憶飛んでるの?ふふ、眠剤飲むのは初めてだった?重くて運ぶの大変だったよ。車で来て正解」 俺の髪を優しくなでる上野の言葉の意味を理解できず、ぼやけた頭でもう一度彼を見る。 …あぁ、やはりそうか。 穏やかな瞳の奥に狂気を孕んだ色を捉え、彼が俺を許していなかったことを悟る。 ぎこちなく身じろぎするとガシャリ、と無機質な音がした。 そちらに目を向けると自分の右手が手錠にかけられ、もう一方の輪はベッドの手すりと繋がっているのが見えた。 どうやら俺は拘束されているようだ。 「…俺のこと殺すつもり?」 「まさか。なんで俺がそこまでのリスクを負わなきゃいけないの。馬鹿らしい」 水飲む?と声をかけられ、黙ったままうなずくと、上野は冷蔵庫からペットボトルを取り出してこちらに戻ってきた。 「俺、沢田のこと入学式の時から気付いていたよ。面影が残ってたからすぐに分かった。それでどうやったら君に復讐できるかって今日まで考えてた」 「…」 「ねぇ、どうだった?俺に声かけられた時。怖かった?それとも面倒くさいと思った?あぁ、そういえば沢田も俺にすぐ気付いたよね。もしかしてこの10年間良心の呵責に苦しんで俺のこと忘れられずにいたのかな?そうだとしたら…おかしくてたまらないよ」 キャップを開けながら楽しそうに話す上野がリアルだとは思えなくて、俺はひらすら彼を凝視し続ける。 俺に暴力を振るう気はないらしい。 そもそも上野はそういうタイプではないのだろうが、それにしたってこの状況で、どうやって俺に復讐を? 少しずつ意識がクリアになってきて、彼の次の行動を予測しようとするも、何をしたいのか全く分からない。 そしてようやく、自分の身に起きていることを理解し心臓がどくどくと波打つように鼓動し始めた。 そんな俺とは正反対に落ち着いた様子の上野は、ゆっくりとペットボトルの水を口に含み、こちらに向き直る。 「っ、」 俺の頬に上野の手が優しく触れた。 まるでスローモーションで映画を見ているような感覚だった。 上野が俺に顔を寄せ、口移しで水を流し込んできたのだ。 彼の行動の意味を理解できずに、されるがままに口内に流れてきた液体を飲み込む。 茫然と上野を見上げると、鋭い眼光が俺を突き刺した。 「…俺が、君を許していると思う?」 「思ってない」 「ふーん、じゃあ今日俺に付き合ったのは過去の自分を清算するためかな?…だったら俺の望みを聞いてくれるよね。…これから3ヶ月、ここで君を飼うよ」 「な、」 全く予想だにしなかった彼の言葉に、俺は声を失うほど驚いた。 「大丈夫、ひどいことは絶対にしない。誰よりも何よりも君を優先するし、優しく囲ってあげるから」 「…なん、で」 「それでさ、溶けちゃうくらいに甘やかして沢田が俺なしじゃ生きていけなくなったら…ごみくずみたいに捨ててやるよ。そして二度と君のことは思い出さない。それでチャラにする」 「…」 そう言って上野は綺麗に微笑んだ。 あぁ、これがお前の復讐なのか。 「わかった」 「…」 俺の返答に、上野が軽く息を飲んだのがわかる。 いいよ、俺はそれで構わない。 上野がそう望むなら。 それでお前が救われるなら。 10年来の想い人に溺れて焦がれ死ぬ。 真綿に包まれるような優しく穏やかな二人の世界。 そこから排除されたら身体が無傷でも心は確実に死んでいくに違いない。 全く自分にはお似合いの結末じゃないか。 償えば俺と上野の時間が動きだすなど、なんて甘い考えだったのか。 彼はそんなこと望んではいなかった。 彼の未来に俺が存在することはないんだ。 あまりにも滑稽で、口からふっと息が漏れた。 これ以上現実を見ていられずにゆっくりと目を閉じる。 すると、なぜか涙が一筋零れた。 end. [*前へ][次へ#] [戻る] |