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商い物
8

目が覚めたら、奏真さんの家ではなくて、慣れ親しんだ旅館の自分の部屋だった。
再び戻ってきた日常に、心配されたのは1カ月くらいで、旅館の目まぐるしい毎日に心配されてる暇もなかった。
小さな図書室も根強い人気があるが、僕という主人が不在だった事で雑誌や新聞以外は、離れた時のままだったこともあり、大急ぎで更新した。



忙殺される日々に、ふとした瞬間訪れる休息の時間。
思い浮かぶのは、奏真さんのことだった。



奏真さんは、とても頭の良い人だ。
図書委員長の座にいたのだから、疑いようもないだろう。
けれど、欠けた人でもあった。
何が原因かまではわからなかったけど、本来わかるはずの感情が認識できていないようだった。
それでも、己の欲には忠実だし、言ってしまえばワガママな子供だった。
なまじ、ワガママを通せるほどの力と、変に知識があったせいでより拍車がかかり、それに僕も巻き込まれた。



なのに、いつからだろう。
奏真さんがセックス中に、辛そうな顔をすることが増えた。
あの人に触られて、体が熱を持つように仕込んだのはあの人自身なのに、なんでそんな顔をするのか、意味がわからなかった。
ただただ来るはずがないと知りながら解放の日に焦がれて、叶うはずもないと諦めていた。
もう泣くことも疲れてしまっていたし。



それが、どういう訳か解放には至らなくても触れてこなくなった。
その代わりに増えたのは、何気ない日常だった。
言葉を交わし、時々変な質問をされる。
それらは全て、感情の名前の質問で。
次第に悪魔のようだと思っていたその人が、なんだか人間味を帯びてきたように思えた。
僕といると嬉しそうな顔をする。
それも、今までのように冷たさや恐怖を感じないから不思議だった。
それで気がついた。
奏真さんは、僕のことをちゃんと理解しようとしてくれてるんじゃないかって。
一方的な感情を知って、きちんと向き合いたいのかもしれない。
そう思いついた日から、僕自身も前より奏真さんに寄り添うことを考えた。



何気ない日常。
交わす言葉の重なりに、僕のことを知りたがる奏真さんがいて、なんだかくすぐったかった。



奏真さんもまた、独りだったのだと知ったのは、ぽつぽつと彼自身の事を話すようになった頃。
両親はいても、忙しく相手などしてもらえない。
身の回りの人は、自分の顔や親の権力のおこぼれに預かろうと寄って来るばかり。
暖かい世界なんてどこにもなく、寒かったと言った。
答えを間違えば、周囲の人間は離れていく。
だから、望む答えだけを出してたら、色々わからなくなってしまった、と語るその顔は迷子の子供そのものだった。



僕はその日の夜、触らなくなってからソファで眠るようになった奏真さんの寝顔を見ていた。
酷い目にあった。
人生をおかしくされてる自覚もある。
それでも、この独りぼっちをこれ以上独りにさせてはいけない気がした。
今度こそ、壊れてしまう。
そんな気が。
触れれば熱くなるだろう体を無理矢理抑えて、大きな迷子の子供の髪を撫でた。
初めて自分の意思で触れたその髪は、柔らかく触り心地が良かった。



それを繰り返して、奏真さんはずっと人間らしくなってきた。
僕も、また自分の熱をコントロール出来るようになってきた。
夜、決まって眠った後の、彼の知らない逢瀬を重ねて、次第に芽吹いた気持ち。



なのに、奏真さんは辛そうな顔を笑顔の下に誤魔化していた。
それが、僕を解放するべきだと葛藤していたのだと知ったのは手放された後だった。



「本当に勝手すぎるよ。」

「永瀬さん、ちょっと…。」

「あ、はい。何でしょうか?」



女将さんに呼び出され、裏に行くと1枚のチケットを渡された。
よくわからずに、戸惑っていると女将さんは言う。



「今、イギリスでうちの旅館の海外店を出す計画があるらしいの。それで、私か若女将がアドバイザーとして呼ばれてるのだけれど、若女将は妊娠中でしょう?私はその分離れられないし…。行ってきてくれないかしら?」

「え、でも僕は」

「あなたの考えた図書室、とても素敵だわ。イギリスで出す店舗にも欲しい、とスポンサーからの依頼でね。適任はあなただけなのよ。」

「わ、かりました。」



よろしくね、とその場を立ち去る女将さんを見送り、手元の飛行機のチケットを見る。
割と日がない事を確認して、パスポートの発行やら何やらを急ぎて進めた。



まさか、その先で再開するとは思わなかった。



「…どうして、とーまくんがここに?」

「仕事ですよ。…それともう一つ。」



ーーーあなたにお話があります。



その日、仕事を終えた僕たちは、歓迎会を終えた後、同じホテルへ戻った。
滞在中はグループ会社として、一緒に行動するためらしい。
こちらとしては好都合なわけだけど。



「…それで、話って?」

「なんで、僕を解放したんですか?」

「それは、だって…とーまくんから、色々奪ってしまって。謝って済むことではないけれど。」

「そうですね。」

「っだから、せめてもうボクから解放して」

「大きなお世話です。」

「え?」

「奏真さんが勝手に想像して、苦しんで、辛くなったからって、何で離れていこうとするんですか?」

「それ、は」

「僕だって何で酷い目にあってるんだろうって思いました。でも、寄り添おうとしてくれたじゃないですか。少しずつ、少しずつ理解し合えるようになってきたと思ったのは、僕だけですか?そんな中途半端な気持ちで、全部宙ぶらりんで、僕を」



ーーー捨てたんですか?



言葉が止まらなかった。
解放されたその日、僕は泣いた。
された仕打ちは酷くても、もう克服もしたし、関係を再構築していたと思った。
それなのに、身勝手に戻された日常。
自分から離れた時とは違う、大きな空虚に包まれた。
捨てられることは、積み重ねたものを否定されたようで。



「奏真さんが望む幸せに、ぼくはいないんですか?…少しでもいるなら、またそばに置いてください。」

「ダメだよ…。ボクはまだわからない。わからないから、また繰り返すかもしれない。それで泣く君を見るのは」

「捨てられて泣いてないとでも!?」

「…ご、めんね。」

「謝るくらいなら捨てないでください。それでも、捨てると言うなら今度は僕が奏真さんを逃がしません。」



ーーーだからどうか、捨てないで。



そう言って抱きしめれば、震えている彼もおずおずと抱きしめ返してきた。



「…とーまくん。ねぇ…あの日からずっと、胸が痛くて寒くてたまらなかった。心臓が止まってしまう事を望んだ。なのに、とーまくんに会ってから、今度は痛いのに、苦しいのに、熱くて生きたくて仕方がないんだ。これは、何なのかなぁ?」

「それは、たぶん恋ですよ。」



僕は相変わらず綺麗な顔の、悪魔の仮面が剥がれたその顔にキスをした。
今度は僕が逃がさない番。
独りぼっちはもうお互いにやめよう。
感情を言葉で重ねて、これからは一緒に。



(終)

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