商い物 5 悪夢のような高校1年生の半年を、ようやく夢に見ないようになった頃。 僕は旅館の女将さんの勧めと援助もあって、大学で経営学を学び、幼い頃からの夢でもあった司書の資格も取って、再びお世話になっている旅館へ就職した。 旅館は老舗だけど、割と自由にあれこれやらせてくれる。 僕の企画で、旅館の一角に小さな図書室を作らせてもらった。 メインは旅館周辺の観光地やグルメなどの情報発信だけど、この旅館でもゆったり過ごして時間を忘れてもらえるよう、雑誌や人気の本も置いた。 案外それが好評で、時間を忘れて本を楽しめる図書室のある老舗旅館、と話題を呼んでいる。 「永瀬さん、お客様がお呼びですよ。」 「?僕にですか?わかりました。」 女将さんに呼ばれて、掃除をしていた僕はお客様の待っている図書室へ向かった。 疑いもしなかった。 図書室は僕に任されていて、滅多に呼ばれないとはいえ、お客様に呼ばれることもあるから。 「ここ、とーまくんが企画したんだってねぇ。」 そこには、かつて自分を支配していた人物がいた。 あの頃より髪が伸びて、身形もスーツを着ているけれど、中性的で綺麗な顔立ちと、本を持つすらりとした指は間違えようもない。 誰もいない図書室で、木漏れ日の光が幻でも見させているのではないかと思った。 「…散歩は楽しかったかな?」 パタリと本を閉じて、僕の方を見るその顔は…。 「どうして…、奏真さん」 「言ったでしょお?『散歩』って…」 ーーー今度はわざとでも逃がさないから。 無理なんだ。 一度交わした契約は違うことなどない。 へたりとその場に座り込んだ僕の頬を、両手で包み込んで優しい優しいキスをする。 懐かしい熱を宿す体に、逃れるすべなどなかった。 「良い子だね、とーまくん。ちゃあんと僕のことを覚えてる。良い子、良い子だねぇ。」 そう、図書館の悪魔はとても綺麗に、まるで幼子をあやす聖母のように笑った。 [*前へ][次へ#] [戻る] |