商い物 はじまりの日 心臓を潰されるかと思うほどの恐怖にオレはただただ震えることしかできなかった。 地に倒れ伏した勇者一行は、絶望的な光景に完全に心が壊れてしまった。 最愛の神子とやらの胸は真っ赤に染まった魔王の腕によって貫かれていた。 勇者一行の一縷の望みすら砕かれ、残っているのは魔王からの攻撃を受けなかったオレだけだ。 「お前は殺さない。」 どしゃりと神子を投げ捨て、赤く染まった腕を軽く振り払い、ゆるりと仮面をつけた顔をオレに向ける。 コツリ…と1歩魔王がこちらへ踏み出した。 オレはビクリと体を震わせる。 「ある話を聞いた…。我が同胞の話だ。」 コツリ…また1歩近く。 「神子が降りた時、そこにいたのは2人だったという話だ。1人はソレ。もう1人は…お前であろう?」 ジワリと服に隠れた傷が痛んだ。 「1人は多くの者を魅了した。1人はその身代わりとして使われた。…愚かしい話だ。」 あぁ、そうだ。 こちらの世界に巻き込まれて召喚されて、言葉はわかるし話せるのに誰一人オレの意見など…意思など無視した。 神子の身代わり人として、神子が負う厄災の全てがオレに流れるよう術をかけられた。 神子は無鉄砲で、常に危険と隣り合わせだった。 たくさんの怪我をした。 慣れない環境のせいで病気にもなった。 毒を盛られたこともある。 でも、その全てはオレに流れた。 神子は知らなかったんだ。 知ろうともしなかった。 自分の力だと思っていた。 言葉で親友を語りながら、慮るなんてこと一度だってしたことがない。 だが、といつの間にか距離を縮めていた魔王にあごをとられ目線を合わせられる。 「敵であるはずの我が同胞を助けたのは…何故だ?」 酷い仕打ちを受けた。 心抉られる思いだってした。 だから、 「人は疲れたんだ。もう、関わりたくない…でも、オレは1人でこんな世界で生きていけない。だから、関わってしまっただけ…」 寂しかった。 でも関わりたくもなかった。 だから人以外なら、オレは受け入れることにした。 たしかに、人以外の動物と関わるうち、魔物と呼ばれる類のものとも関わったような気がする。 生気のないものに生気を吸わせたり、食事を分け与えたり…。 怪我をしていれば手当てをした。 身代わり人のオレは、生きてさえいればいいから見張りは付けども自由な時間が多く、本の知識を貪欲に脳に入れた。 災厄を受け入れた時に、よく医者にも世話になったからその時も知識を手に入れた。 あの医者のおじいさんだけは、好きだったが歳も歳だったからすぐ若い人に交代してしまったんだよな…。 「でも、もういいや…もう楽になりたい」 疲れてしまった。 安らぎが欲しい。 楽に、なりたい…。 知らぬ間に涙がほろりと落ちた。 仮面の奥、息を飲んだ音が聞こえたような気がした。 「ならば、私のものになれ。」 「え…?」 「私がお前に飽きるまで飼ってやろう。」 目の前で仮面を外し、現れた美貌は今まで見たどんなものより美しく、気高かった。 そして、その形の良い紅く薄い唇がオレの唇と重なった。 「今日からお前は私のものだ。」 [*前へ][次へ#] [戻る] |