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はじまりの恋
休息/5
 強くなる雨足。
 突然走り出した僕に、背後から戸惑いの気配を感じた。しかしそれには応えず、僕は藤堂の腕を掴んだまま裏門に当たる出入り口へと急いだ。

「佐樹さん?」

「話はあと」

 ほんのわずか、引かれた手を振り返るが、それでもなおスピードは緩めない。だが、裏門まであと数メートルのところで、急に空からバケツをひっくり返したような雨が落ちてきた。
 一瞬で濡れ鼠になる。

「大丈夫ですか?」

「急に来たな」

 屋根のある場所へ入り、土砂降りになった空を見上げる。暗い空から降り注ぐ雨で、地面にはいくつも水たまりが出来て、川のように流れている場所もある。

「佐樹さん風邪引きますよ」

 屋根の外へ身を乗り出していると、ふいに後ろへ身体を引かれた。そして藤堂は僕の髪から滴り落ちる雫をハンカチで押さえ拭う。

「とりあえず出よう」

「良いんですか?」

「多分これ、しばらく止まないから。車あるうちに移動してしまった方が良い」

 園内から外へ出ようとした僕に、藤堂はほんの少し眉を寄せた。けれど、僕はそれに首を振って外のタクシー乗り場を指差す。
 短い列が出来始めているその列は、おそらくあと五分か十分で長蛇になるはずだ。

「藤堂は明日朝早い?」

「……いえ、明日は夕方からなので早くはないですけど」

「じゃぁ、大丈夫か」

 不思議そうに目を瞬かせる藤堂を尻目に、僕は独り言を呟きながら携帯電話を取り出した。そしてタクシーの後部座席へ押し込まれた藤堂は、目を丸くしたままそんな僕を見つめる。
 我ながら少々強引だと思ったが、すっかり雨に打たれたこの状態で、藤堂に風邪を引かせても困る。

「聞いても良いですか?」

「ん?」

「どこ行くんですか?」

「ん、実家。ここから多分車で二十分くらいだと思うから、雨宿りついでに乾かした方が良い」

 首を傾げる藤堂にそう言えば、ますます困惑した表情に変わった。いきなりの展開にさすがの藤堂もついていけていないのだろうか、その後、更にその顔は戸惑いに変わる。夏休みの予定が少々早まってしまったが、まぁ、この際は構わないだろう。



 去年の夏ぶりの実家。
 玄関を開けば、待ち伏せていたのかと思えるほどタイミングよく、母の時子が満面の笑みで出迎える。

「雨酷かったでしょ。言ってくれれば佳奈を迎えに行かせたのに」

「母さんなにしてたの玄関で」

「何って、さっちゃん待ってたに決まってるでしょ」

 しれっとした顔でそう答える母に、僕はうな垂れて肩を落とした。しかし息子の反応など気にも留めず、彼女は後ろで立ち尽くしてた藤堂にタオルを手渡す。

「いらっしゃい。風邪引いちゃうからどうぞ」

「ありがとうございます。急にお邪魔してすみません」

 僕の横をスルーして藤堂に歩み寄る母。元々ミーハーで面食いではあるが、このテンションの高さはなんだろう。

「いいの、いいの。上がっちゃって。えっと、はじめましてかしら」

 そういえば明良以外の友達を実家に連れてくるのは、かなり久しぶりだったかもしれない。選択肢を誤っただろうか。

「はじめまして、藤堂です」

「そう藤堂、なにくん?」

「え、あ、優哉です」

 母の勢いに気圧されながらもそう答える藤堂が可哀想になり、思わず身体が動いてしまう。あれこれと質問攻めにする母に笑みを浮かべながらも、藤堂はすっかり及び腰だ。いきなりこんなとって喰われそうな勢いで話されたら誰だって引いてしまう。

「もう良いだろ。ほら、藤堂こっち」

「さっちゃんたらケチねぇ。佳奈ぁ、優哉くんだって」

「呼ぶなっ」

 後ろを向いて大声を出す母は、リビングにいるだろう姉を呼ぶ。一人でも騒がしいのに二人揃えば更にうるさいのはわかりきっていた。
 藤堂を急かし家に上げると、僕は彼の腕を取り慌ただしく廊下を抜けて奥へ駆け込む。

「相変わらず騒がしいなあの人は、鬱陶しくて悪いな」

「いえ、むしろ可愛らしいお母さんですね」

「それは本人に言うなよ。図にのるから……とりあえずこっち」

 至極楽しげに笑う藤堂に僕は苦笑いを浮かべ、突き当たりにある風呂場へと続く脱衣場の扉を開いた。そしてそこへ藤堂を押し込み後ろ手で扉を閉める。

「やっぱり失敗したかな」

「なにを?」

 思わず口にしてしまった言葉に、藤堂は訝しそうな顔で首を傾げた。

「母さんも姉さんも軽くあしらってくれて良いからな」

 母の時子や姉の佳奈に、これからあれやこれやと詮索されるであろう藤堂を思うと、なんとかしなければと頭が痛くなる。
 物腰も柔らかく、真面目で気が利く藤堂は、間違いなくうちの女性陣が好きなタイプだ。しかも顔も良ければ尚更のこと、色めき立つに違いない。

「どうしたんですか、ため息ついたりして」

「なんでもない……脱いで」

「は?」

 大きく息を吐いた途端、なんの脈絡もなく発した僕の言葉に藤堂は目を見開いた。そしてその驚いた表情のまま、固まった。僕はその表情を見て首を傾げたが、やや間を置いてやっと自分が言った言葉の意味を理解した。いまのは捉え方によっては誤解を招く。

「あっ、いやそうじゃなくて、乾かすから、服」

「あぁ、すみません」

 慌てて首を左右に振れば、藤堂はホッと息を吐く。そんな様子にこちらが恥ずかしくなる。でもいきなりあんなこと言われて戸惑わないはずはないだろう。なんだか申し訳ない気分になった。

「これ、乾くまでの着替え。うちにあるお義兄さんのなんだけど……大きいか? 丈も足りるか?」

 姉の旦那さんは背の高さは藤堂とさほど変わらないが、体型がだいぶ違う。すらりとした容姿の藤堂に対して、姉の旦那さんはどちらかと言えば体育会系な容姿。
 Tシャツは問題ないとして、大いに問題あるのはその下だ。お義兄さんには申し訳ないが、足が長い藤堂にそれが足りるのか心配だ。

「大丈夫じゃないですか、これウエストはゴムだし七分丈みたいですし」

「そりゃ良かった……って、まだ脱ぐなっ」

 いつの間にかシャツを脱いでいた藤堂が、その下のタンクトップに手をかけていた。そしてそれを目にした途端、なぜか僕はその手を制して後ろへ一歩飛び退いた。
 不思議そうに首を傾げる藤堂に、僕は引きつった笑みを浮かべた。やたらと動悸がするのはなぜだろう。
 

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あきゅろす。
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