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はじまりの恋
決別/3
「好き、か」

 そうだろうと予測はしていたが、改めて聞かされると胸の奥から嫉妬心が沸きでてくる。しかし聞かなければ良いものを、わざわざ聞いたのは自分だ。
 別にあいつの気持ちを確かめて、どうにかしたかったわけではない。いや、でも確かめることで牽制したかったのかもしれない、と、戸惑ったあいつの表情を思い返した。我ながら随分とあざとい真似をしたと思う。でもそれが子供じみた独占欲なのだとしても、こればかりは自分でもどうしようもなかった。
 電車のドアに映ったしかめっ面を見て、思わず自嘲気味に笑ってしまう。本当にあの人のことになると余裕がない。これ以上、不安にさせたり、泣かせたりしなくて済むような、もう少しまともな人間になりたい。

「……ホント、どうしようもなく子供だな」

 すぐにカッとなったり、後先考えられなくなったり、自制心と言うものが足りない。そのくせ、後悔してすぐにへたれる。
 ドアに頭を寄せ重たいため息をついたと同時か、制服のポケットで携帯電話が震えた。いまはまだテスト期間中なので、あの人から連絡が来ることはない。何気なく開くとメールが一通、弥彦からだった。何時に帰ってくるのかというその内容に、もうすぐ駅に着くと返せば、わかった、という返事がすぐさま返って来た。用件らしい用件を伝えられぬまま了承されても、こちらはさっぱりわからない。
 とりあえずなにかあるのだろうと、さして気にせず電車を降り、俺は帰路についた。



「優兄、おかえり」

 駅から徒歩十分ほどで自宅へ着くが、その少し手前に弥彦とあずみの家が向かい合わせに建っている。玄関先に明かりが灯っている弥彦の家を横目に通り過ぎようとしたところで、突然目の前に人が飛び出してきた。

「あ、希一?」

 驚きをあらわにしている俺の前で、ニコニコとした笑みを浮かべているのは、弥彦によく似た弟の希一だった。一瞬だけ弥彦と間違えそうになった希一は、ゆるい天然パーマで細身のひょろりとした長身、笑うと細目がさらに細くなる――そんなところさえも弥彦にそっくりだ。違う点は真っ黒な髪と少し低い身長くらいだが、中学一年で百七十センチを超えているので、そのうち弥彦に並ぶのではないかというほどの成長具合だった。

「どうしたんだ」

 まるで待ち伏せていたかのようなタイミング。いや、いたかのようなではなく、待ち伏せていたのだろうが、その理由がイマイチよくわからなかった。

「兄ちゃんがそろそろ優兄が帰ってくるから捕まえてこいって」

「あぁ、弥彦か」

 先ほどのわかったという返事はこういうことだったのか。しかも希一を外で待たせておけば、俺が素通りできないとわかってのことだろう。

「ご飯一緒に食べよう」

「まだ食べてないのか?」

 三島家の夕食は一番下に小さい弟がいるせいもあり、いつも日が暮れる頃には済んでいるというくらい早い。十八時を過ぎてまだというのは珍しかった。

「遅くなって悪かったな」

「全然、俺もさっき帰ってきたんだ」

 腕を引く希一の頭を撫でてやると、はにかんで頬を緩めた。帰ってきてからそのまま外で待っていたのか、希一は制服である紺色のブレザーにグレーのズボンといういでたちだった。

「遅いってことは、部活かなにかやってるのか」

「うん、俺、バスケ部に入ったんだよ」

「そうか、お前は弥彦と違って運動神経もいいし、身長も役に立つかもな」

「兄ちゃんは宝の持ち腐れだよね」

 どこかそわそわと落ち着かない様子で話す希一は、まだ色々と話したいことがあるのだろう。そういえば春になってから慌ただしく、ゆっくりと話す機会もなかった気がする。

「誰が運動神経ないって?」

 玄関扉を開けると、エプロン姿の弥彦が腕組みをしながら仁王立ちしていた。兄の予想外の登場に、希一はしまったという焦りの表情を浮かべて、俺の後ろに身を隠した。

「ゆうゆ、おかえり」

 弥彦の足元では、一番下の弟、貴穂が満面の笑みを浮かべている。

「ただいま」

 腕を伸ばし玄関のたたきに降りようとした貴穂を、そのすんでのところで抱き上げると、小さな手で強く抱きついてきた。癖のない真っ直ぐな薄茶色の髪を撫でれば、満足したのかその力は緩まり、頭を肩に乗せ落ち着いたようだった。

「貴穂、兄ちゃんはこっちだぞ」

 俺の腕に収まった弟に両腕を伸ばした弥彦は、いやいやとするように顔を振る貴穂の返事にがっくりと肩を落とした。

「ますます似てるところがなくなってきたな」

「うるさいな、仕方ないだろ。貴穂は母さん遺伝子九十九パーセントなんだから」

 三島家の父と弥彦、希一は三人並べると、ひと目で親子だとわかるくらいによく似ているが、貴穂だけは亡くなった彼らの母親によく似ているので、弥彦や希一とは顔立ちや容姿がまったく違う。目鼻立ちもはっきりしていて、時折女の子に間違えられることもあるほどだ。

「ほら、希一。いつまでも優哉の後ろに隠れてないで、手ぇ洗って着替えておいで」

 ため息混じりの弥彦がこちらに背を向けると、その隙にと言わんばかりの勢いで、希一は玄関の隅に置いてあった鞄を手に、目の前の階段を駆け上がっていった。相変わらず過ぎるほどの賑やかさに思わず笑ってしまう。

「優哉も笑ってないで、早く上がって手ぇ洗いなよ」

「はいはい」

「返事は一回っ」

 軽返事をすると、すかさず弥彦の声が飛んでくる。それに苦笑いしながら、俺は家に上がり弥彦のいる場所へと足を向けた。
 廊下の手前、左手にある扉から入ると、そこはリビングダイニングで、右側はキッチン、左側がリビングと分かれていた。そしてカウンターキッチンの前には広いダイニングテーブルがあり、大人の食器が三セットと小さな食器がひとつ並べられていた。俺はそれを横目で見ながら台所に立つ弥彦の元へ行き、言いつけ通りに手を洗った。この家で弥彦の言葉に逆らうものは、容赦なく食事は与えられないのだ。

「おじさんまだ帰らないのか」

「あぁ、うん。今日は残業だってさ」

「そうか」

「休みの日に遊びに来いって言ってたよ」

 会社勤めをしている弥彦たちの父親はいつも残業が多く、帰りが遅いことが多い。食器の数に俺が頭数に入っているのならば、今日もまだ帰らないのだろう。

「あ、貴穂は座らせておいて良いよ。すぐご飯だから」

「ん? あぁ」

 ダイニングテーブルへ戻り、弥彦が言うように抱きかかえたままの貴穂をチャイルドチェアへ下ろそうとしたが、首を振り嫌がるので、仕方なく来客用の椅子を引き、そのまま貴穂を膝に抱えて座った。

「おじさんは休みの日はデートじゃないのか」

「うん、そうそう。しょっちゅう、あっちゃんと貴穂も連れておばちゃんと四人でデートしてるよ。でもホント、父さん優哉に会いたがってたよ」

「……そうか」

 ここ最近、足が遠のいていたこともあって彼らの父親に俺もしばらく会っていない。でも実の親でさえそんなことを気にしないのに、近所の子供のことを当たり前のように気にするのは、ごく普通のことなのだろうかと、不思議な気持ちになった。
 弥彦やあずみたちといると、自分の中にある、普通――というものが、曖昧で不確かでよくわからなくなったりする。

「兄ちゃんご飯まだ? 優兄、ご飯終わったら勉強教えてよ」

 制服から着替え、グリーンのボーダーシャツにデニムというラフな服装に変わった希一が、バタバタと足音を立てて階段を駆け降り、教科書とノートを片手に俺の顔を覗き込んできた。

「働かざる者食うべからずっ! 食べたきゃさっさとこっち手伝いなさい。それと勉強は後で兄ちゃんがみてやる。こっちはテスト期間中なんだぞ」

「えーっ、優兄の方が頭良いじゃん」

 お玉を片手に持ち、眉間にしわを寄せて目を細めた弥彦に、希一はムッと口を尖らせる。

「優兄、良いよね?」

「あぁ、構わない」

「やったっ」

 小さくガッツポーズした希一は、機嫌良さげな笑みを浮かべ教科書とノートを自分の椅子に置くと、さらに深いしわを眉間に刻んだ弥彦がいるキッチンへ、軽い足取りで向かった。

「優哉、甘やかすなよ」

「テストは軽く復習すればいいくらいだから、別に大したことじゃない」

「あ、余裕発言。ムカつく」

 口を曲げた弥彦を笑えば、俺たちの言葉などそこまで理解していないだろうはずの貴穂が、膝の上で手を叩いてケラケラと笑い出す。

「優哉のとんかつ一番小さいのにしてやる」

「別にいいけど」

「可愛くないなぁ」

 笑い声が賑やかで明るくていつでも温かい空間。それは自分の日常とは違いすぎて、時々不安にもなる。ここに俺がいて、本当にいいのだろうかとそう思ってしまう。でもそんな薄暗い俺の不安など気にも留めず、それどころか払拭するような眩しさで、彼らはいつも俺に笑いかける。
 

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