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はじまりの恋
告白/9
 その距離は小さな吐息がかかるほどに近い。思いのほか長い藤堂の睫毛が眼鏡越しに見える。瞬くその動きに思わず息を飲んだ。

「大丈夫ですか?」

 固まってしまった僕を見て、藤堂は小さく笑うと、汗ばんだ額に貼りついた僕の前髪を指先で掬う。
 長い指、ほんの少し骨ばった男らしい、けれど綺麗な手だと思った。じっとその手を見ていると、それは次第に髪を梳くように後ろへ流れていく。

「先生の髪って柔らかいですね。すごく猫っ毛でサラサラしていて気持ちいい」

 その声にハッと我に返れば、藤堂が笑いをこらえながら目を細めた。
 すると僕の身体は反射的に一歩後退していた。そんな僕をじっと見つめる藤堂の指先が、名残惜しそうに毛先を追いながらも離れていった。

「帰るんですよね? 駅まで一緒しても良いですか」

「あ、あぁ」

 なぜだか急に恥ずかしいくらいに頬が熱くなって、それを悟られまいと俯きそう答えれば、微かに藤堂が笑った気配を感じた。
 ここまで年下に翻弄されている自分が恨めしい。

「今度お休みの日にでもうちの店に来てください。ランチくらいならご馳走しますよ」

「は? いや、ちゃんと払うし行くよ」

 並び歩く藤堂を見上げれば、彼は至極嬉しそうに笑みを浮かべる。

「……大丈夫です。ちょっと実験体になってもらいたいので」

「じ、実験体ってなんだ」

 さらりとそう言って笑う藤堂から、思わず逃げるように後ろへ一歩下がると、軽く片目を閉じ、今度は楽しげな表情を浮かべた。

「そんなに引かないでください。嘘です、実験じゃなくて、試験的に俺がランチの新しいメニューを作る機会があるので、その時に先生の意見をもらえたらいいなと思って」

「新しいメニュー?」

「えぇ、俺が作った料理食べてくれます?」

「藤堂って、もしかしてそういうの目指してる?」

 思いがけない言葉に目を見開けば、藤堂はますます笑みを深くする。

「一年の時からあそこでお世話になっていて、最近は新メニュー作りにも参加させてもらってるんです」

「そっか」

 バイト先の話をしている藤堂は楽しそうというより幸せそうだ。なんだか普段の落ち着いた雰囲気とは違って、少し子供らしくて可愛い。

「先生? どうしました」

 ふいに藤堂が不思議そうな顔で僕の方へ振り返る。急に静かになった僕を怪訝に思ったのだろう。

「あ、いやなんでもない」

 藤堂の声で我に返った僕は、誤魔化すみたいに何度も首を横に振り、苦笑いを浮かべた。横顔に見入ってたなんて恥ずかしくて口が裂けても言えない。顔がいいって目に毒だ。

「もしかして、少しは俺のこと気になってくれました?」

 慌てて首を左右に振った僕を見て、藤堂は一瞬だけ目を細めてからにっこりと微笑む。その笑みにカッと頬が熱くなった。
 

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