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はじまりの恋
告白/8
 案の定、思考停止していた時間の分だけ仕事に追われ、すっかり陽も暮れてしまった帰り道。僕はいつもとは違う、一つ手前のバス停を降り一人歩いていた。

「静かだな、ここは」

 一本向こうの道へ行けば、忙しなく車が行き交う繁華街がある。けれどいま歩いている道は、音が建物に吸収されたかのように静かだった。
 ほんの少し表通りから内に入るだけで、明るさや騒音がこんなにも違うのかと驚く。そして足を止めたその場所で上を大きく振り仰いで見れば、柔らかいライトアップの中で、粛々とした佇まいを見せながらも、大きな存在感を感じさせる建物がそびえていた。

「ん、ここ。なんか見覚えがあるぞ」

 その建物の名は――ホテル・シャルール。それは全国でも屈指の高級ホテルだった。

「あ、姉さんの結婚式か」

 ぼんやりした記憶を掘り起こせば、何年か前に姉の結婚式で訪れたことを思い出した。ここはホテルに併設された立派なチャペルがあるのだ。

「それにしてもなぜここ?」

 首を傾げながら手元に視線を落とす。片平が残した名刺の地図を頼りに、辿り着いたのがここなのだ。

「タン・カルムってレストランはホテルの中にあるお店なのか」

 小さな独り言を呟き腕時計を確認すると、時刻はすでに二十一時を四十分と少し、過ぎたところだった。名刺に書かれている通りだとすると、あと一時間ほどは営業しているようだが、いくらなんでも高級ホテルのレストランに一人で、しかも着古したスーツなどで入る勇気はない。
 小さく唸りながら右往左往と少しウロウロしてから、僕はため息をついてホテルの前を通過し、駅へと足を向けた。

「なにやってんだか」

 自分の行動に失笑して思わず肩が落ちる。全くどうしようもない。いい大人が年甲斐もなく生徒なんかに振り回されてどうするんだ。

「西岡先生?」

 だが、うな垂れわずかに丸まった背中を、聞き覚えのある声が呼び止めた。突然の呼びかけに肩が大きく跳ね上がった。

「……藤堂?」

 恐る恐る振り向けば、驚き目を丸くした藤堂がそこに立っていた。

「どうしたんですか、こんな所で」

 不思議そうに首を傾げる藤堂は制服姿だった。暗闇と柔らかい光の中で白いブレザーが際立つ。
 うちの高校の制服は、それが着たいという為だけに選ぶ生徒がいるほど洒落ている。白のブレザーに淡いブルーグレーのズボン。えんじのネクタイがそれに映え、少し大人びて見える。正直、着る人間を選ぶ制服だが、藤堂は背も高くモデルのような体型なので、文句なしに良く似合う。

「いや、それはこっちの台詞だぞ」

 やや間を置いて我に返ると、僕は目の前の藤堂を窺うように目を細めた。

「あぁ、実はここでバイトしてるんです」

「このホテルで?」

 僕の問いにニコリと微笑んだ藤堂と、彼の指の先にあるホテルを見比べる。

「正しくはその中のレストランですけどね」

 そう答えた藤堂に思わず頭を抑えた。
 なるほど、そういうことか――いまようやく片平の言った、頑張ってという言葉の意味がわかった。

「先生? 大丈夫ですか、具合でも」

 最初から片平は、僕と藤堂を学校外で引き合わせるつもりだったのだ。そして好奇心に誘われ、僕はまんまとその罠にはまってしまった。これは間違いなく片平に躍らされている。

「いや、大丈夫。具合は悪くない」

「そうですか。でも少し汗かいてますよ?」

 身を屈め、心配げに覗き込んできた藤堂の顔が、視界いっぱいに広がる。
 

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あきゅろす。
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