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はじまりの恋
すれ違い/1
 鳴り響く予鈴を聞きながら教室の戸を引けば、ふいに室内の視線がこちらへ集まった。早過ぎる担任の姿を想像していたらしい彼らは、俺の姿を見るなり一瞬だけ驚いた顔をしたが、いつものように口々に挨拶をし、また自分たちの会話に戻っていった。
 そんな中で一際早く動き出して、こちらへ向かって来た弥彦に俺は片手を上げる。

「優哉、休むんじゃなかったの?」

「ん、あぁ」

 驚きに目を丸くしている弥彦に曖昧に返事をすると、急に額に手を当てられる。自分の額にも同じように手を置き、一人唸るその様子に思わず笑ってしまう。

「別に風邪じゃない。ちょっと朝が辛かっただけで」

「そっか、だったら良いけど。でも、最近は低血圧とかそんなにひどくなかったんだし、気をつけなよ」

 心配そうに覗き込んでくる幼馴染の肩に軽く手を置き、俺は思わず苦笑いを浮かべた。

「あぁ、気をつける」

 とはいえ、頭や身体が重苦しくて、目覚めた瞬間どうしようもなく気分が悪かった理由は、いつもの低血圧などではないのは明らかで、いまの自分にはたった一つしか、その原因に心当たりはなかった。

 好きの意味がわからなくなった。

 正直あの一言で一瞬、目の前が真っ暗になった気さえした。たぶんあれは自分に向けられたものではないのだろうと思う、いや思いたい。
 あの程度のことで、自分がこんなにダメージを受けるとは思いもしなかった。いままでこんな思いをしたことは一度もない。

 嫌われたくはない。
 離れたくはない。

 そう思うほど逃げ出したくなり、珍しく向こうから触れてくれたのに、それさえも怖くなった。そしてそれほどまでにあの人が、自分にとって特別なのだと改めて思い知った。

「大丈夫? やっぱり顔色よくないけど」

 立ちすくんでいた俺の目の前で手をひらひらと振りながら、弥彦は眉間にしわを寄せた。

「心配ない」

 そう言って肩をすくめると、俺は教室の一番奥にある自分の席へと足を向けた。

「そういえばさ」

「ん」

 前の席に座った弥彦に首を傾げれば、なぜか少し困ったような表情を浮かべる。そして訝しげにその顔を見ていると、突然机の周りをクラスメイトに囲まれた。

「藤堂、創立祭の実行委員やってくんない」

「名前だけでいいから」

「ちょっと顔出してくれるだけでいいから」

 突然囲まれ、矢継ぎ早に三人同時に話し始めた彼らに、思わず首を傾げれば、急に拝み倒すように手の平を合わせ頭を下げられる。
 いつも賑やかな三人組。それはなんとなくある彼らの印象。一人に覚えはあるが、他の二人はあまり記憶にない。そんな相手になぜ拝まれなくてはならないのか。

「話が見えないんだけど。というより、俺はそういうのは絶対やらないっていつも言ってるよな?」

 基本的にバイトが優先なので、部活はおろか役員関係もやらないと、予め担任にも言っておいたはずだが、眉をひそめて見れば、三人はいまにも土下座しそうな勢いだ。

「そこをなんとか! 藤堂がやってくれると女子の志気が上がるんだ」

 三人組の一人。真ん中で一際小さい、黄色い頭の神楽坂が拳を握りしめ力説する。けれどこちらにして見れば、まったく興味がない話だ。

「断る。放課後は時間がない」

「大丈夫! 放課後に会議はやらないって」

 大丈夫の意味がわからない。放課後にやらなくていつやると言うのか。ため息混じりに目を細めたら、神楽坂は本気で土下座した。

「マジで頼む! じゃないと会長に殺される」

「は?」

 頭を下げて、合わせた手だけをその上に掲げながら、神楽坂は半泣きで震えだした。

「さっきと話が違うみたいだけど?」

 神楽坂の言葉に、あからさまに不快な表情を浮かべれば、彼は飛び上がりそのまま床に正座した。

「女子のやる気度が上がるのはホント、ホント。藤堂がちょっと頑張れって言ってくれれば百人力さ」

 慌ただしく両手を上げて、身振り手振りする様はまるでコマ送りの盆踊りのようで、その両脇で首を縦に何度も振るそれは、さながらネジを巻き過ぎて壊れたおもちゃのようだ。

「でも、会長に殺されるのもホントなんだよ! 級友を救うと思って、この通り」

 両腕を伸ばし、床にひれ伏した神楽坂に思わずため息がもれる。

「もしかして神楽坂って今回、創立祭の実行委員長?」

 神楽坂のいう創立祭とはこの学校の七十周年の特別行事。とはいえ、文化祭のような賑やかな催しではなく少々格式張った父兄向けだ。

「イエス! そうなんだよ。面倒くさい役回りなんだよ」

 身体を勢いよく持ち上げ、神楽坂はがっくりと肩を落とす。
 こういった単発のイベントごとは生徒会が主催し、各学年、各クラスから自薦他薦で実行委員が選出される。そして実行委員長はその中から学年問わず、比較的ランダムに選出されるので、実行委員の中でも委員長に選ばれる確率はきわめて低い。

 よほど神楽坂は運がないらしい。

「うちのクラスは仲は悪くないのに統一感がなくてさぁ。俺が委員長だから、このクラスからはあと一人で良いのに、全然決まらないんだよ役員」

 教室を見回せば他人事のように頑張れよっという声がかかり、我関せずな雰囲気。別な意味では良すぎるくらいの統一感だ。

「みんなマイペースだからな」

 ほとんどが二年からの繰り上がりで、見知った顔が多いが、体育祭だとか文化祭だとか。意気揚々とした姿は見たことがない。

「そろそろ俺、ホントに殺されちゃうかも。だから名前だけでも貸して、あとは俺が頑張る」

「別に俺じゃなくても良いんじゃないか?」

「と、藤堂じゃなきゃ駄目なんだ!」

 粘る神楽坂に渋れば終いに泣きつかれる。けれど、やけに食い下がるその様子に思わず目を細めてその姿を見下ろした。

「それって指定あり、ってことか」

 俺の言葉にびくりとした神楽坂の様子に、いままで黙っていた弥彦がふいにため息をついた。

「だから言ったのに、優哉に誤魔化し利かないって」

「三島ぁ! お前からもなんか言ってくれ」

「嫌だ」

 弥彦の膝にすがりつく姿は情けないを通り越して哀れだ。犬猫でも払うように手を振られ、ついに神楽坂は床に倒れた。

「まったく、これじゃぁ埒があかないな。どういうことなんだ」

 机に頬杖ついて神楽坂を見下ろせば、もごもごと言いにくそうに話し出す。

「いや、それが……うちのクラスの実行委員がなかなか決まらないって言ったら、藤堂にしろって、会長命令が下って」

「そういうことか」

 いまの生徒会長である峰岸一真と俺は、一時期だが友人に近い関係であったのは確かだ。それにしても、あいつの自由奔放な考え方は相変わらずだなと、思わずため息が漏れた。なにかあいつの中で面白いことでも見つけたのだろう。

「神楽坂は他に選択の余地はないのか」

「うー、これが残念ながら」

 本気で肩を落として俯く神楽坂の様子に、ホントにこのままでは平行線だと思った。面倒だが仕方がない。

「わかったよ」

 仕方なしにそう呟けば、神楽坂は泣きながら飛び上がり俺の手を掴んで振り回した。

「じゃぁ、これにサラサラーっと名前書いて」

 放課後は時間を割かないと念を押し、安堵した笑みで差し出された役員届け出書にサインをする。創立祭まで五月の連休を挟みあと一ヶ月。

 とてつもなく面倒くさいのに捕まった。
 

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あきゅろす。
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