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はじまりの恋
接近/8
 三人のあいだに奇妙な沈黙が続く。

 次第にその沈黙に耐え切れなくなってきた僕は、後ろに立つ藤堂の腕を掴み引き剥がそうと試みた。けれど予想を裏切ることなく藤堂の手はそこから離れず、逆にもう一方の手で握られ、僕の手は押さえられてしまった。
 結果、僕は藤堂に抱きかかえられるような形になってしまう。

「おい、違う。離せって」

 抱きしめられている状況に、また心臓の鼓動が早くなる。

「嫌です」

 けれど耳元で微かに聞こえた藤堂の声には、先程渉さんに対して見せた怒気を孕ませた鋭い雰囲気はなく、蚊の鳴くような小さな声だった。
 僕は慌てて藤堂の顔を見上げる。なにかを堪えるように、ぎゅっと目を閉じる藤堂の表情に胸がキュンとした。こんな時になんでと思ってしまったが、それでもなんだか必死な顔が可愛くて仕方がなかった。

「藤堂?」

 呼びかければ、しがみつくようにぎゅっと腕に力を込める。

「嫌です」

「そうじゃなくて」

 頑なに力を込める藤堂をなだめるように、僕は笑みを浮べ、あやすみたい優しく頭を撫でた。すると閉じられていた藤堂の視線が、真っ直ぐに僕を見下ろした。
 それは視線をそらすことさえ許されないような強い眼差しで、思わず心臓が跳ねた。次第にそれに捕らわれた気分に陥り、頬は熱くなり、鼓動もさらに早くなる。

「うっわぁ、かなりジェラシー」

 僕らの様子を眺めていた渉さんが、台詞を棒読むようにぽつりと呟いた。その言葉に慌ててそちらへ視線を向けてみれば、珍しい程の無表情で渉さんは目を細めていた。
 けれど僕の視線に気づき彼はまたいつものように笑う。

「ねぇ、佐樹ちゃん。これからはそいつだけじゃなくて俺のことも意識してよ」

「は?」

 正直言っている意味がわからない。思いっきり訝しげに首を傾げると、渉さんは不満そうに口を尖らせる。否、わかりたくないのに渉さんは大きくため息をついて、僕に指先を突きつける。

「だ、か、らぁ、俺も佐樹ちゃん好きだから。というかむしろ愛してるから、そういう相手として意識してよ」

 呆然として見ている僕の前で身体を屈め、渉さんは顔を寄せてくる。言葉の意味を飲み込めずに固まっていると、さらに彼の顔が近づいてきた。けれど――。

「お断りします」

「え?」

 突然はっきりとした拒絶の言葉が背後から聞こえ、目と鼻の先まで近づいていた渉さんに僕が気づくのと同時か、あっという間に身体を押され僕は大きな背中の後ろに追いやられた。

「藤堂?」

 その背中が藤堂のものであると認識するまでに数秒要した。

「いやいや、それはずるいよね」

 藤堂の向こうで渉さんは不服そうな声を上げる。

「いつから佐樹ちゃんにくっついてるのか知らないけど。佐樹ちゃんのうっかりに便乗してない?」

「うっかりってなんだ!」

 あまりの言いように思わず突っ込まずにいられない。確かにちょっと藤堂の勢いに押されてる、そんな気はしているけど。しかし渉さんは僕の話を聞いていないようで、じっと藤堂のほうを見ている。

「君のそれはある種、つり橋効果だよね。学校っていう小さい箱の中で、突然生徒に告白なんてされたらドキドキしちゃうもんね。しかも教師と生徒っていうシチュエーションの他に男同士っていう禁断な感じ? 君はむかつくくらいに男前だしさ、ちょっと興奮しちゃうよねぇ」

 肩をすくめ藤堂を見つめる渉さんの言葉に、目の前の肩がピクリと跳ねるように動く。その反応を渉さんは見逃さなかった。ふいに満足げな笑みを浮かべて、藤堂の背後にいる僕を覗き込んだ。

「佐樹ちゃん、本気で良く考えてね。いつでも連絡して」

 片目をつむり口端を上げて微笑んだ渉さんは、僕のシャツのポケットに名刺を差し込んだ。瞬きを忘れて立ちすくんでいると、背後でエレベーターの到着音が響く。
 通り過ぎる間際、肩を叩かれ我に返れば、渉さんは手を振りながら扉の向こうに姿を消した。階下へ移動していく数字の光を目で追いながら、僕はやっと現実に戻った。

「先生?」

 不安そうな藤堂の声に僕はゆっくりと振り返る。でも頭が真っ白でなにも気の利いた言葉が浮かばない。

「悪い、ちょっと落ち着くまで待ってくれ」

 藤堂はなにかを言いたそうな顔をしていたが、いまは正直頭がついていかない。目端に留まったテーブルと椅子が置かれた休憩スペースまで歩いていくと、僕は椅子を引きそこに腰を降ろした。
 急に疲れが押し寄せて肩が落ちる。

「疲れた」

 とにかく本当に疲れた。
 ほんの十分、十五分程度の出来事のはずなのに、すごく神経がすり減った気がする。長いため息が身体中の空気を外へと押し出した。

「なんで渉さんまで」

 彼の言葉を思い出し、なぜか頭が痛くなってきた。自分の許容範囲以上の事が起きているからだろうか。前々からスキンシップの激しい人だと思っていたが、案外誰に対してもそうだったから気にも留めていなかった。

 何がどう違ったんだ? あの人の好きが良くわからない。からかわれているのだろうか。

 元々渉さんはいつも笑っていて、あまり表情が読めないタイプだ。でも今日は珍しくその仮面が外れた気がする。あんな無表情は初めて見た。それだけ本気ってこと?

「……」

 ふいにテーブルの上でコトリと小さな音が鳴った。その音に顔を上げて見れば、缶の珈琲が一本置かれている。それを置いた人物を目で探すと、少し離れた場所で椅子に腰かけ、彼は同じものを開けている所だった。

「藤堂?」

 僕の視線に気づきこちらを見た藤堂は、ひどく困ったような表情を浮かべ小さく笑った。こちらへ近寄ってくる気配はなく、黙って珈琲を口にして、視線を床へ落とす。
 いつもならどんなに咎めても、藤堂は傍に寄って来るのに――そう思って、少し胸の奥でざわざわとした変な違和感を感じた。

「つり橋効果、か。まぁ、一理あるけど」

 ある日突然告白されて、予想もしない出来事に動揺して、断る隙も与えず考えてくれと言われた。クールダウンする暇もなく、そうしたらもう頭の中は藤堂のことだらけで、驚いたドキドキと恋愛のドキドキと、脳みそが勘違いしてたりするのだろうか。
 ふと、以前聞いた言葉を改めて思い出した。

「もしかしてこれか?」

 気がついたらトラップに引っかかってる――片平が以前言っていた言葉だ。
 要するに自分はもう最初っから引っかかってたってことだよな。色んな出来事を畳み掛けられて、流されてたってことなのか?

 思わず低く唸ってしまう。

 でも多分きっとそうなんだろう。それは先ほど見せた藤堂の動揺で明らかで、最初っから藤堂はそのつもりだったわけだ。

「それに気づいたからって、今更どうすればいいんだ」

 藤堂と距離を置いて、冷静に落ち着いて考えたら本当の気持ちってものがわかったりするのか?

 ただ勢いに流されてるだけじゃない?
 優しさにほだされてるだけじゃない?

「わかるかっ」

 自問自答していた僕は、思わず自分自身に突っ込みを入れてしまった。
 大体いま現在だって藤堂に対してよくわからないのに、本当もなにもない。加えて渉さんのことなども考えるなんて到底無理だ。これ以上考えたら頭が悪くなりそうだ。

「藤堂」

 離れた場所でこちらを窺っている藤堂を呼ぶ。

「……」

「藤堂、ちょっと」

 こちらへ来るかどうかをためらっている彼の名をもう一度呼んだ。するとゆっくりと立ち上がり、藤堂は僕の目の前で立ち止まった。

「先生?」

 戸惑う藤堂をよそに、僕は目の前の両手を掴み引き寄せた。そしてそれにつられるように一歩足を踏み出した藤堂と僕の距離が縮まる。藤堂は驚きに目を丸くしているが、僕は構わず彼の身体に頭を預けた。触れたい、そう思うのは何故だろう。でもいまなら、なんとなく普段の藤堂の気持ちがわかるような気もした。

 あぁ、そうか――きっと、安心したいんだ。

「好きだとか愛してるだとか、なんかよくわからなくなってきた。なぁ、藤堂はなにが良くて僕を好きだなんて思ったんだ?」

「……」

 僕の問いかけに、一瞬藤堂が息を飲んだ気配を感じた。
 

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