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はじまりの恋
接近/7
 突然目の前に現れた彼――月島渉は、僕を目に留めるなり大きく腕を広げ抱きついてきた。エレベーターの内側から引っ張り出すように抱き寄せられ、僕はバランスを崩し彼の腕に収まった。

「久しぶりだね。まさか今日、佐樹ちゃんに会えるとは思わなかったよ」

 突然の抱擁に驚いているとバシバシと背を叩かれる。強く叩かれているわけではないから、痛くはないけれどその勢いに相変わらず戸惑う。

「まぁ、僕も渉さんに会うとは思わなかったけど」

 休日の展示場に本人がいるとはまさか思わない。
 駅前から少し外れたビルにもかかわらず、奥の受付で、ひっきりなしに人が出入りしているのが見て取れる。売れっ子写真家が白昼堂々、会場にいるなんて誰が想像しただろう。

「ほとんど顔出ししてないからね、よっぽどじゃないとばれないよ」

 戸惑う僕の心情を読んだかのように、渉さんは楽しげに笑みを浮かべる。
 その言葉を聞いて軽く辺りを見回してみれば、彼の言う通り来場者は月島渉の存在に気がついていないようだ。彼はメディアに顔出ししていればすぐに目に付く人だ。

 少し身体を引いて渉さんを見上げれば、淡いブルーのサングラスの向こう側で目を細められる。その目に気づき、僕は改めて彼の姿をまじまじと見つめてしまった。
 上下黒で統一された装いなのだが、相変わらず派手な人だと思った。彼は肩先まであるキラキラとした金茶色の髪を首元で結い、エメラルドを思わせるような緑の瞳をサングラスの向こう側に隠している。僕より確か四つ年上だった気がするが、学生の頃に会った時とあまり変わっていない気がする。年齢不詳はハーフだからなのか。いつだったか聞いた話によれば、母親がイギリスの人だった気がする。
 見るからに外国の人かと思わせる髪や瞳、白い肌。彼の顔立ちは鼻筋が高く、目は切れ長でバランスが完璧に整った綺麗な芸術品のようだ。そんな日本人離れした容姿から、なんの躊躇いもなく発せられる流暢な日本語は、実は何度聞いても聞き慣れない。

「元気そうでなにより、佐樹ちゃんが俺のこと忘れてなくてよかったぁ」

 両手で僕の頬を挟みながら、渉さんは満面の笑みを浮かべる。相変わらずスキンシップが激しい人だが、これはもはや身に染み付いた習慣なのだろうか。彼のこの反応には、さすがの僕も付き合いが長いのでもう慣れた。

「渉さんも元気そうで良かったよ」

「俺はねぇ、今日打ち合わせに呼ばれてきたんだけど。面倒くさがらず来てラッキーだった」

 にんまりと口端を上げ笑うと、渉さんは僕の頬に口付ける。これもいつもの挨拶のようなものだ。

「そう」

 そんな彼の後ろにはスーツ姿の男の人が数人立っていた。年齢は様々なようだが、突然僕に抱きついた渉さんの行動に、ほんの一瞬だけ驚いた表情を浮かべはしたが、彼らは月島渉という人物を心得ているのだろう。いまは何事もなかったような涼しい顔をしている。
 出会い頭にハグ、キスは彼の中では極自然なことらしい。

「あれ?」

 急に渉さんは目を瞬かせて首をひねった。
 それに気づき僕も首を傾げようとした瞬間、身体が勢い良く後ろへ引っ張られた。よろめき後退すると背中が温かな壁にぶつかる。

「と、藤堂?」

 背中に触れたその感触に慌てて振り向けば、藤堂が目の前に立つ渉さんをじっと見ていた。しかしそんな状況よりも、後ろから回された藤堂の腕が強く僕の腰を抱き寄せ離そうとしないことに慌てた。

「ちょ、藤……」

 背中に感じる藤堂の体温に自然と心拍数が上がっていく。このままでは動揺を隠しきれない。というか、なんでこんなことでこんなに動揺しているのか、そんな自分がわからなくて更に頭がぐるぐるとしてくる。けれど再び藤堂の名を呼ぼうとしたら、ますます腕に力がこもりそれを遮られる。そしてそれに比例して藤堂の顔が険しくなっていく。

 もしかして怒ってるのか?

 藤堂の表情はもはや不機嫌どころではない。睨みつけるように渉さんを見つめる、その表情に戸惑いながら僕は藤堂と渉さんを見比べた。

「佐樹ちゃん。このイケメンくんは誰?」

 驚きの表情のまま藤堂を見ていた渉さんは、ふいに僕に視線を落とし首を傾げてきた。

「あ、彼は……藤堂はうちの学校の」

 生徒だ、と言う前に渉さんがぽかんと口を開ける。

「え? 佐樹ちゃんって高校の先生だよね。この人も先生なの?」

「違う、藤堂はうちの生徒」

「学生? 高校生?」

 渉さんは大きく瞬きを繰り返し何度も僕と藤堂を見比べる。けれど彼の驚きはわからなくもない。僕だって初めて会ったら同じ反応をしそうだ。しかしそう思い、苦笑いを浮かべていた僕の心とは裏腹に、渉さんの口から出た言葉は予想もしない単語だった。

「あぁそっか、良かった。佐樹ちゃんの彼氏って訳じゃないんだ」

「は?」

 一人納得したように笑った渉さんを僕は唖然として見つめた。なにかいま聞き間違いをしたような気がするのだが――。

「あいつが佐樹ちゃんに手ぇ出したら殺すなんていうから、ずっと我慢してたのに。知らないうちに、誰かのものになってたのかと思って焦っちゃった」

 聞き間違いではなかった。

 そして背後で微かに舌打ちが聞こえたかと思えば、寒気がするほど黒いオーラが立ち昇り始め、恐ろしくて振り向けない。時々見せる藤堂のこの負のオーラは、普段穏やかな分だけ、藤堂の本気が見えた気がして正直怖い。
 あはは、と軽い調子で笑った渉さんとその気配の間に挟まれて、僕は引きつった笑いを浮かべることしか出来なかった。

 何がどうなっているのか、誰か説明して欲しい。

 僕の困惑と動揺を察してくれる人物は、残念ながらここにはいないらしい。
 

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あきゅろす。
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