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はじまりの恋
接近/6
 通りを抜け切り、目的の場所へたどり着くと、僕は上がった息を整えるように両膝に手を付き俯いた。その目の前では藤堂がしれっとした顔で立っている。
 こんなところで年の差を大いに感じて、自分の体力のなさが恨めしく思ってしまった。いや、日頃の運動不足も大いにあるのかもしれないけれども、それでもちょっと走っただけでこんなにも息が上がるとは情けない。

「大丈夫ですか?」

「……全然、大丈夫じゃない」

 心配そうな藤堂の声に思わず棘のある言い方をしてしまう。そしてそんな僕の様子に藤堂の気配が変わる。情けないくらいにしょげた様子を見せる藤堂の姿に、僕は大きくため息を吐いた。
 だから、弱いんだってその顔。

「怒ってますよね?」

 僕のため息の意味を、別の方向で捉えてしまったらしい藤堂は、ますます困ったように眉尻を下げる。

「……怒ってない。もういい」

 実際、数秒前まで怒ってはいたが、もうホントにどうでも良くなってきた。なんだかんだと僕は藤堂に甘いようだ。
 とういうより、つい甘やかしたくなる。

「なんでだ?」

 そして思わず自分で自分に聞いてしまう。なんでこうも僕は藤堂に弱いんだろうかと、不思議でならない。確かに藤堂はすごくいい奴で、真っ直ぐで素直だし、優しいし、ずっと傍にいてもちっとも不快にはならない。最近はなぜかモヤモヤすることも多かったけど、やはり嫌じゃないし――って、なにか違う方向に考えがいってしまっている気がする。
 結局、考えても僕が藤堂に弱い理由が思いつかなかった。

「先生?」

 急に考えこみ始めた僕を見て藤堂が心配げに眉を寄せるが、僕はなにも答えずにじっとその顔を見つめた。
 不可解な感情がまた一つ増える。

「なんでもない」

「そう、ですか」

 戸惑いがちに見る藤堂の目はまだ僕の機嫌を窺っているようだ。そしてそれがやはり可愛いと思う。
 思わず口端が緩んだ。

「……?」

 突然にやけた僕を、藤堂はまるで自分の目を疑うかのように何度も瞬きをして見ていた。

「行くぞ」

 珍しく固まってしまった藤堂にそう言って、僕は近くの入口へ足を進める。そして開いた自動ドアをくぐり抜け、後ろを振り返ると、藤堂はやっと我に返ったのか僕の元へ駆け寄ってきた。

「すみません」

 謝る藤堂を一瞥して僕は上階へ行くエレベーターを呼んだ。



「有名な人なんですね」

 エレベーターの中でふいに藤堂が小さく呟く。背後に立っていた藤堂を振り返れば、壁に貼られた写真展のポスターを見つめていた。
 大きなポスターには、今回の写真展を主催するたくさんの会社と雑誌社の名前が記載されている。そこには簡単な経歴も載っていてそれはそうそうたる物だ。

「あぁ、そうなんだよ。結構大きな賞とか獲ってたりしてて、色んなところからオファーが来るらしい。最近は風景だけじゃなくて人物も撮るようになったみたいだけど、まだそれは見たことないなぁ」

「へぇ」

 曖昧な相槌を打つ藤堂を横目に僕もポスターを見上げ、その画を見る。
 数枚の写真が綺麗にレイアウトされたそのポスターからも、独特な世界観が垣間見えた。何気ない日常のはずなのにそれを切り抜く視点に感動を覚え、その美しさには何度見ても心が震える。目に見るより色鮮やかで、世界はこんなにも美しいのかとため息が出てしまうのだ。

「でも、本人はかなり変わってるけど」

「先生の、どういった知り合いなんですか」

 あの人のことを思い出し思わず笑っていると、藤堂がなぜか眉を寄せて振り向く。

「え? あぁ、知り合いというか。友達の知り合い? 好きだって言ったら紹介してくれたんだ。いまは友達かな?」

 少し不機嫌そうな藤堂の表情に戸惑いながらそう答えると、ますます眉間のしわが深くなる。なぜこんなに突然、機嫌が悪くなったのか、その理由がよくわからない。

「そんなに好きですか」

「あ、え? うん、まぁ好きだよ」

 問い詰められるような勢いに目を瞬かせ、小さく頷くと、ふっと目が細められる。どこか冷たい視線に胸のあたりがざわりとした。

「……そうですか」

 藤堂の様子がおかしくなった訳がわからず、困惑しながら首を傾げている僕にため息を吐き、藤堂は頭をかき上げふいに視線を落とした。

「藤、ど……」

 急に落ち込んだ様子を見せる藤堂に声をかけようとした瞬間。エレベーターの中に階の到着を告げる音が響き渡った。
 それに気づき、ゆっくりと開き始めた扉の向こうを見た僕は、その隙間から見えた人物に目を見張った。そしてその向こう側の人物も僕の姿を見て目を丸くする。

「あれ、佐樹ちゃん?」

 開ききった扉の向こうで、彼は何度も目を瞬かせ僕の名を呼んだ。
 

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