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はじまりの恋
接近/5
 会計時に財布を出した藤堂を無理矢理下がらせ、それを開かせなかったのはなけなしの大人の意地。正直、男としては小さいけれど、やはり自分の方が歳上だし、社会人と学生という立場からしたら、こちらが支払うのは当然な気がして譲れなかった。

「ご馳走様です」

 でも逆にすぐに引いて僕を立てた藤堂の方がスマートで大人だと思ってしまった。

「だいぶいい時間だな」

 なんだかんだと長居をしたカフェを出て、時計を見れば十二時になるところだ。通りは人も増えて少し賑やかになってきた。

「ここから近いですよね。更に通りが混む前に行きましょうか」

 先程までは昼前で人がまばらだったが、駅前のこの通りは休日は人で溢れ返る。その混雑は正直辟易するほどだ。それを想像してわずかに顔が険しくなった僕の顔を覗き込み、藤堂は目を細めて笑った。
 その表情の意味を、僕はなんとなくわかり始めてきた。

「いま思ったことは口に出すなよ」

 ふいに口を開きかけた藤堂よりも先回りして、その言葉を制すると、彼は一瞬目を丸くしてそれを瞬かせる。

「可愛い」

「だから言うなって言ってるだろう!」

 予想通りの言葉に僕が眉をひそめるのに対し、藤堂の顔は楽しそうに頬が緩む。

「無理です。だって」

「可愛くない!」

 なおも言い募ろうとする藤堂を一蹴して、僕はずかずかと大雑把に歩き始めた。足早に歩き出した僕の後ろを、藤堂は少し慌てたように追いかけてきた。

「ちょ、先生」

 焦ったような藤堂の声に、してやったりと僕はほくそ笑んだ。



 人の波を縫って歩いてく。
 目的もなくぶらぶらして歩くことがあまり好きでない僕は、のらりくらりと道を歩くのも好きじゃない。隙間を見つけては目の前の人を追い抜き歩みを進める。だがその歩みを引き止めるように、ぐいと左手を強く掴まれた。突然触れたその手に驚き、肩を跳ね上げれば耳元で小さなため息が聞えた。

「意外とせっかちですね」

 その声に顔を上げると、藤堂が困惑した面持ちでこちらを見ていた。

「あぁ、悪い。つい癖で」

 隣に並んだ藤堂の姿に我に返り、申し訳なく思い僕は頭を下げた。
 昔からとにかく人混みが嫌いで、無意識にそこを早く通り抜けようと足早になってしまう。この癖のせいで、いままで付き合っていた子達に大ひんしゅくを買い、散々文句を言われていたことを思い出した。

「俺は別に構いませんけどね」

「……?」

 人の心を読み取ったかのようなタイミングで、ぽつりと呟いた藤堂の横顔を思わず凝視してしまう。

「俺は見失ったりしませんから」

 僕の視線に気がついたのかこちらにちらりと目を向け、藤堂は微笑みを浮かべた。そして掴まれたままだった手にはいつしか藤堂の指先が絡みつき、ぎゅっと強く握られる。
 繋ぎ合わされたその手に気づくと、僕はその手と藤堂の顔を見比べ水面に顔を出す魚のように口をパクパクとさせる。

「こうしていれば、はぐれないでしょ?」

 繋いだ手を持ち上げ僕の指先に口付けた、藤堂の大胆な行動に僕は言葉も出ない。だが、わずかに揺れた周りの空気に我に返ると、僕はわき目も振らず先程よりも早い足取りで歩き始めた。
 理性より本能が勝った瞬間だ。あそこで立ち止まって状況確認などしていられない。本能的に僕は逃げた。

「せ、せんせ……」

「いまはなにも言うな!」

 歩くというより、もはや小走りに近い僕に藤堂はなにか言いたげに口を開くが、いまそんなことを聞いている余裕は僕にはないのだ。
 混んでいるとはいえ、道の真ん中で男二人が手を繋いであんなことをしていて目立たないわけがない。藤堂の手は繋がれたままだが、この際それはどうでもいい。とにかくこの場所から逃げ出したい。

 ついでに穴があったら入りたい。
 

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