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はじまりの恋
波紋/5
 講堂に整列する真っ白な制服の群れ。壇上では校長がいささか長い話をしている。生徒たちは少し退屈そうに椅子に腰かけ、欠伸をかみ締めている者もいた。そしてそんな様子を僕は、講堂の二階にある機材室から眺めていた。

「あーもう、なんでお前はそうゆうことするわけ?」

「そんなに怒んなくたっていいじゃん。不慮の事故だってば」

「ストップ、ナオそれ以上動くな。動くなって言ってるだろ、お前馬鹿?」

「倖ちゃんうるさいよっ、馬鹿っていう人が馬鹿なんだからね」

 ふいに騒がしくなった背後を振り返ると、床一面に散らばった紙の束。それを挟み、神楽坂と野上がなにやら口論していた。お互い、両手にはこの後に行われるライブで使う機材を抱えている。いまだ言い合いをしている二人の話を聞いていると、どうやら神楽坂がまとめておいた進行表を、机に足を引っ掛けた野上が見事にバラバラにしてしまったようだ。

「こら、お前たち二人ともうるさいぞ。荷物を先に片付けて二人で直せ」

 まるで子犬の喧嘩みたいにぎゃんぎゃんと言い合う姿に、思わずふっとため息をついてしまった。見た目は背の高い野上と小さな神楽坂は真逆ではあるが、幼馴染のせいなのか性格だけはどこか似通っている。神楽坂のほうが年上な分だけ少し落ち着いている感じはあるけれど、こうなると大体どちらも変わらない。

「ニッシーちょっと待ってっ、なんで俺まで」

「二人でやった方が早いだろう。それに手伝わずに後で順番が違うとか言っても知らないからな」

 不服そうな顔をする神楽坂の頭を軽く小突いて、早くと促せば、渋々といった面持ちで神楽坂は足早に機材室を出て行った。

「ちょ、倖ちゃん扉閉めるとかいじめでしょっ」

 そしてその後をバタバタと騒がしく追いかける野上の後ろ姿に、自然と肩の力が抜けた。

「……しっかりしろよ、自分」

 目の前で静かに閉まった扉、廊下から射し込む光が遮られふと我に返る。そしていつの間にか緊張して強張っていた自分の身体にため息が出た。
 時間が刻々と流れていくのを感じるたび、無意識のうちにそわそわとしている自分がいた。あれから藤堂とは話も出来ていない。実行委員なので時折すれ違うものの、慌ただしい中で声をかける暇もない。

「このまま、ってことはないよな」

 創立祭が終わったら、テスト期間が終わったら、またいつものように会えるだろうか。声を聞けるだろうか。もっと大事なことも気にしなくてはいけないこともあるのに、ずっとそんなことばかりが頭に浮かぶ。

「しっかりしろ、大丈夫だ。信じろ」

 きっと藤堂の行動には理由があるはずだ。だから僕は自分の役目をしっかり果たさなければ、動揺してもしもなにか失敗したらどうする。落ち着かなければ――。

「……西岡先生」

 小さく独り言を呟きながら床に散った紙を拾い集めていると、誰もいないはずの部屋で自分の名前を呼ぶ声に気づいた。その声に慌てて顔を持ち上げれば、閉まったはずの扉の前に鳥羽が立っていた。

「あ、どうした?」

 突然のことに声が上擦る。けれどそんな僕に、鳥羽は気づかぬ素振りでにこりと笑みを浮かべた。

「少し配置換えがあったのでこれを」

 差し出された紙は生徒会役員や実行委員の行動表だった。それには今日一日、誰がどの場所でなんの仕事をするかが記載されている。床の紙を踏まぬように傍へ行きそれを受け取ると、よろしくお願いしますと言って、すぐさま鳥羽は部屋を出て行ってしまった。
 あまりにもあっけないやり取りに少し違和感を覚えたが、僕はそれ以上は特に気にもせず、上着の内ポケットにしまっていた元の行動表と新しい行動表を見比べた。

「……なぁ、藤堂。本当にここまでしなければならないことなのか」

 明らかに意図があっての配置換えと思わざる得ないそれは、藤堂と数人の実行委員の変更だった。基本的に僕自身は生徒会役員と一緒に行動することが多いが、藤堂の配置はすべて僕のいる場所からはずされていた。

「なにがあったんだよ」

 胸の内から湧き上がってきた感情に喉が熱くなった。にじみ出たものがこぼれ落ちないように強く目をつむるが、一粒だけぽつりと手にした紙を濡らした。
 せめてなにがあったのかだけでもわかれば良いのにと思う。けれどここまで藤堂が徹底していることを考えれば、知ったところで僕が藤堂にしてあげられることはなにもないのかもしれない。

「でも、お前の重荷になるのだけは嫌なんだ。僕のせいでまたすべて諦めてしまうことになるのだけは嫌だ」

 初めて出会った時も再会した時も、藤堂はなにもかも諦めたような、そんな暗い目をしていた。でもいまはやっと自分のやりたいことを見つけて前を向いて歩き出せた、これからなんだと思っていた。それなのにまたあの頃に戻ってしまうようなことになったら、しかもその原因が自分なのだとしたら、僕は一生自分を許すことが出来ない。

「僕は、どうすれば良い?」

 ずっと傍にいてほしいなんて言わない。ただなにも見えないことが不安なんだ。
 でも多分きっと、連絡さえも出来ない状況なんだろう。走り去ってしまった藤堂に、一言でも謝りたくて何度もメールをした。でもいくら待っても返事はなく、意を決して電話もしてみた。けれど電源が入っていなくそれは繋がらなかった。もしかしたら三日前からメールすら見ていないのかもしれない。

「僕のことで悩んでいたりしてないだろうか。もしかしてバレたとか? いや、それなら僕に対してなにかあるはずだし」

 けれど安易に連絡を取れない状況なのはきっと間違いない。いまは気を抜かずにいなければ、僕からボロがでることだけは絶対に避けたい。藤堂が一生懸命に守ろうとしてくれているのがわかるから、それを無駄にはしたくない。

「……?」

 きつく握り締めグシャリと音を立てたその手元に、違和感を覚えて僕はふと視線を落とした。
 鳥羽から渡された新しい行動表の厚みが、少しだけ元の行動表よりも厚いのだ。よくよく見れば、一番下に重ねられたものが二重になっているのに気がついた。

「なんだこれ」

 糊付けを失敗でもしたのだろうかと、わけもわからずそれを破れぬようゆっくりと剥がせば、隙間からひらりと小さな紙が出てきた。ひらひらと舞い落ちるその紙を慌てて拾い上げた僕は、思わずその場に立ち尽くしてしまった。
 そこに書かれた綺麗な文字には見覚えがあった。几帳面で真っ直ぐとした性格が文字にも現れている。

 それは、藤堂の字だ。

「どうして、お前は」

 こんなにも見計らったように僕をすくい上げてしまうのだろう。たったそれだけでもなぜか愛しい気持ちになる、それを指先でなぞれば視界がぼやけて文字がにじんで見えた。
 それでもその言葉だけはしっかりと胸におさまった。

「信じるから、ちゃんとお前のこと信じてる」

 こんな時まで優しい藤堂の想い。こらえていたものが、あっという間に溢れ出した。
 

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あきゅろす。
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