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はじまりの恋
ヒヨコの受難
 そろそろ昼休みも終わる頃。ほんの少しざわめく窓の外を横目に、俺は準備室を後にした。そしていつものように渡り廊下を過ぎ、中二階の踊り場から二階へと続く階段に向かう。しかし踏み出そうとしたその足がふいに止まった。

「……」

 目の前で手摺りの陰に隠れながらも、無防備に二階を見上げる背中。あまりにも背後への警戒がおろそかなその姿を、若干呆れつつも眺めていた俺は、興味本位でその背中を指先で押してみた。

「ひっ、わっ」

 最近見慣れたその背中、もとい黄色い頭は、悲鳴を飲み込みつつも面白いくらい飛び跳ねた。

「神楽坂、何してるんだこんなところで」

「……びっくりした。藤堂か」

 一瞬ぽかんとした表情を浮かべ、相手が俺であることを認識すると、がっくりと力尽きたように床へ両手をつき神楽坂はうな垂れる。その様子に首を傾げれば、盛大なため息がそこから聞こえた。

「もー、藤様。一体いままでどこ行ってたのさ」

「……あのなぁ、いい加減やめろよその呼び方。俺は歌舞伎役者かなにかか。しかも、既に俺の名前じゃなくなってる」

 身体を起こして階段に腰掛けた神楽坂に顔をしかめ、俺は目を細めた。しかし、へへっと子供っぽい表情で笑うその反応に肩の力が抜けた。
 下級生辺りから広まったらしい妙なあだ名が、近頃三年の女子にまで広がり始めてきた。藤堂の藤だけとって――フジ様。最近はそれに乗っかり、女子だけでなく神楽坂を筆頭にクラスメイトが面白半分でその名で呼ぶ。

「良いじゃん藤様、高貴な感じで」

「……」

 嫌がる俺を無視し、神楽坂はニィッと口端を上げて笑った。無性にその無邪気すぎる顔に腹が立ったので、とりあえず緩んだ口端を指先で摘んで引き伸ばしてみた。

「いでででっ、頼むから笑顔でそういうことすんの止めて、藤堂って何気に黒いオーラ怖いからっ。実はサドでしょ」

「勘のいい奴って、面倒くさいな」

 顔をつまんでいた手を勢いよく払い落とされ、思わず眉をひそめると、神楽坂の顔がさっと青褪めた。

「ひー、ごめんごめん。なにも見なかったし知らないから」

 慌てて上り階段を這うように上がっていく神楽坂の後ろ姿を見ながら、ふいにいつも神楽坂をからかう峰岸の気分がわかってしまった気がする。反応が大袈裟すぎて見ているのが面白い。

「もー、まじで藤堂って二面性ありすぎ。ニッシーの前だとデレデレなのにさ」

 しかし神楽坂の言葉でぴくりとこめかみが震えた。これだけ能天気そうなのに、なぜこうもこの男は鼻が利くのか、甚だ疑問だ。

「なにも見なかったし、知らないんじゃなかったっけ?」

 ため息交じりに出た声は、思いの外感情の抜けた平坦な声音になっていた。そしてそれを聞いた神楽坂は目を丸くしたまま固まる。

「えぇっ? こっちも地雷っ」

「いや、悪い。別に脅すつもりはない」

 あまりにも怯えた顔をする神楽坂を見ると、さすがにやり過ぎたと自身にため息が出てしまう。意外とあの人は俺にとって鬼門になりえることがある。

「い、言わないって誰にも。だってニッシーといる時の藤堂ホント幸せそうだし」

「え?」

 自分の言葉に俺があ然としていることなど、全く気づきようがないくらい神楽坂はぶんぶんと顔を左右に振る。そしてなぜか両手を前に出して俺を遮ると、再び階段に腰掛けた。

「なんかさ、こないだ見た時。あぁ本気で好きなんだなぁって思ったんだよ。藤堂って誰に対しても気配り屋さんだけど、いっつもどっか冷めてんじゃん? けどニッシーと一緒にいる時は陽だまりみたいな感じで暖かくてさ、雰囲気……あ、れ? 顔が赤いよ、藤様」

 ふいに顔を上げこちらを見た神楽坂が急にニヤニヤとし始める。そしてそれと共に口角がぐっと上がり、俺を見る目に悪戯の色を含んだ。そんな表情に思わず、というよりも無意識に、俺は神楽坂を踏み倒した。

「ちょっと、まじ勘弁っ。俺そっちの気はない。踏まれても嬉しくないからっ」

「神楽坂、うるさい」

 足を避けて悲鳴の如く大声を張り上げる神楽坂の口を押さえると、何故か背後から悲鳴が聞こえてきた。

「お前が騒ぐから人集まっただろ」

「藤様がいたいけな級友を足蹴にするから悪いんじゃん。ってか、いまの俺って貞操の危機的シチュエーション?」

 舌打ちした俺にあはは、と軽過ぎる笑い声を上げた神楽坂に苛っとしながら、その軽そうな黄色い頭を叩いて仰向けの身体を跨ぎこした。

「最近女子に毒されてきたな」

「自分が餌食にされない為には、自ら色に染まっとくと擬態しやすいでしょ」

 一応これ処世術――そう言って反動をつけて勢いよく起き上がると、神楽坂は制服の埃を叩き笑う。

「ふぅんところで、だいぶ人が集まったけど……お前なにから逃げてたの?」

 神楽坂の処世術とやらを聞きながら、手摺りにもたれ俺は一番最初の疑問を思い出した。きょとんとした表情を浮かべる神楽坂に首を傾げると、その顔が見る見るうちに青褪めていった。

「元はといえば藤堂が委員会サボるのが悪いんだからなっ」

「は? サボってないだろ。元々出る予定じゃ」

 急にジリジリと後ろへ下がり始めた神楽坂に眉をひそめるが、突然くるりと方向転換をして脱兎の如く逃げ出した。

「ダブル鬼畜なんて望んでないからっ」

 よくわからないことを大声で叫びながら、神楽坂は人込みをかき分けて走り去っていった。

「……意味がわからない」

「全くだ」

 神楽坂の後ろ姿を見ながら呟いた俺の独り言に、極自然に応える声――その声に振り返ると背後から伸びた腕が首に絡みついた。
 もれなく耳に痛い黄色い悲鳴も聞こえた。

「峰岸、暑苦しい。それとお前、あまり神楽坂苛めるな」

 負ぶさるように体重をかけてくる峰岸に一瞬だけ身体がよろめく。邪魔だと顔を押し退けるが、それでもなお峰岸は張り付いて離れようとはしない。

「つまんねぇんだから仕方ないだろ。お前が来ないとセンセも来ないし」

「あのな」

 いつだったかあの人がこいつを大きな猫だと称していたけれど、そんな可愛いものでは済まないだろうと圧し掛かる重みに苦笑してしまう。

「お前は友達いないからな」

「ほっとけ」  

 ため息混じりに肩をすくめると、ふて腐れたような声がぼそりと聞こえた。

「相変わらずだな、ホントお前は」

 実際に友達がいないわけではないが、峰岸が率先して誰かと一緒にいるところをいままで一度も見たことがない。

「俺は、お前がいるだけで良かったんだけどな」

「ん?」

 急に離れた腕を振り返る。しかし峰岸の言葉は鳴り響いたチャイムで、はっきりと耳には届かなかった。

「なにが良かったって?」

「お前が」

「二人とも、チャイム鳴ったぞ」

 再び口を開きかけた峰岸を遮るように、ふいに階段下から声がかかる。その声に俺たちは、揃いも揃っていち早く反応を示した。

「藤堂、峰岸、授業始まるから教室戻れよ」

「先生」

 ほんの少し首を傾げながら、ゆっくりとした足取りでこちらへ向かってくるその姿に、自然と頬が緩んだ。ついさっきまで一緒にいたはずなのに、それでも顔を見ただけでふっと胸が軽くなる。

「なぁセンセ、いまのってわざとだろ?」

「……」

 珍しく彼に対し眉をひそめた峰岸を訝しげに見れば、なぜか慌てたように彼は俺の背を押した。

「ほらっ早く戻れ」

「ま、良いけどね。俺はセンセ好きだし」

「……」

 目の前で肩をすくめる峰岸と、後ろで背を押す彼の合間で、俺は意味がわからず首を捻った。そして――先程走り去っていった神楽坂とあずみの取り合わせを階下に見つけ、更に首を傾げた。



「かぐちゃん、なんか面白いフラグ立ってるよねぇ」

「俺は、なんかもう……死亡フラグなんだけど」

 二人の会話はさすがに聞こえはしなかったが、放課後に再び峰岸に追い回されている神楽坂の姿は見かけた。
 なんだかんだと神楽坂は峰岸に気に入られているようだ。



[ヒヨコの受難/end]

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あきゅろす。
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