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はじまりの恋
邂逅/19
 勢いよくカーテンを引くと、それに遮られていた光が部屋の中に広がる。射し込む光から逃れ、深く布団を被るその姿はまるで幼い子供みたいだ。

「藤堂、もう昼になるぞ」

 無理やり起こすのは忍びないと思いながらも、僕は藤堂の肩を布団の上から強く揺すった。けれどそれを嫌がるように身動ぎして、藤堂は頭さえも布団に潜らせてしまう。そしてそんな反応に僕は、思わずため息をついてしまった。

「半分起きてるんだろ?」

 うたた寝などで眠りが浅い時はすぐに目を覚ますのだが――自分で朝が弱いと言っていただけのことはある。一度熟睡してしまった彼を起こすのは、本当に至難の業だ。それは以前に実家に泊まりに来た時に体験済みだ。

「完全に起きるまで、最低三十分はかかるもんな」

 ため息混じりにそっと布団の端から様子を窺えば、そこには眉間に皺を寄せ、目を瞑る藤堂の顔があった。

「お前の低血圧はバイトと勉強のし過ぎだ」

 普段からひどい低血圧で寝覚めが悪いらしいのだが、藤堂の場合は完全に不摂生な生活リズムが原因だ。いくらバイトと勉強の両立のためとはいえ、この年頃で睡眠時間が平均五時間は少なすぎる。
 人の食生活をずさんだと言うが、藤堂の生活も大概だ。

「とはいえ、そろそろ起きないとな」

 今日は土曜日なので夕方からバイトがあるはず。寝かせておいてやりたいとは思うのだが、一度家にも帰らなくてはならない。僕は心を鬼にしつつ、再び藤堂の肩を揺すった。

「藤堂、起きろ」

「……ん」

 ひたすら揺すり続ければ、小さな唸り声が聞こえて来た。また寝入ってしまわぬよう、僕は更に強く肩を揺する。すると布団が大きく揺れ、その中で藤堂の身体が動いたのがわかった。

「起きたか?」

「……した」

「ん?」

 くぐもった声に首を傾げれば、寝起きで掠れた返事が返ってくる。

「……起きました」

 そろりと布団の中を覗くと、眠たげな眼差しがこちらを見上げた。しかしそれを見た僕が声を上げて笑った途端、不服そうにその目が歪む。

「佐樹さん、元気ですね」

 もぞもぞと布団から這い出てきた藤堂は、いまだ眠気が覚めていないのか、枕を抱き身体をうつ伏せたままこちらを見ていた。けれど寝起きでローテンションな藤堂の頭を撫でれば、ふっと口元に笑みを浮かべる。
 しかし笑った藤堂に油断していると、急に伸びてきた腕に引っ張られ倒れそうになる。

「ちょ、なにす……」

 その勢いに僕は慌てて身を硬くするが、抵抗虚しく、寝返りを打って身体を仰向けた藤堂の上に僕は落ちた。

「おはよう佐樹さん」

「おそようだよ、馬鹿」

 僕の身体を抱きしめ、楽しげに笑う藤堂にため息をつくと、僕はこの腕からの脱出を試みた。けれど身体に力を込めれば込めるほど、抱きしめる腕の力も強くなる。

「藤堂、離せ」

「ちょっと待ってください。もうちょっと」

「そんなこと言って、そのまま寝るだろお前」

 どこかゆったりとして来た藤堂の声音に気づいて、すぐ横にある顔を盗み見れば案の定、藤堂は再びうつらうつらとし始めていた。

「ホントに寝起き悪いよな」

 その様子に呆れながら、僕は腕を持ち上げ藤堂の頬を摘み軽く引き伸ばす。無駄な肉が付いていないので、ほんの少し引っ張っただけでも、藤堂は眉をひそめて瞼を持ち上げる。

「起きろ」

「……わかりました」

 渋々といった面持ちで僕の身体を離し、藤堂はひどく気だるげに起き上がる、が――僕はとっさに藤堂の身体を押して、再びベッドへ沈めてしまった。突然突き飛ばされた藤堂は状況が良く飲み込めていないのか、驚きの表情を露に目を瞬かせている。

「いきなりなんですか」

「や、ちょっと。思わず」

 戸惑った目で僕を見つめる藤堂に乾いた笑いを浮かべ、少しずつ僕は後ろへ下がり距離をとる。そして近くのテーブルに置いていた袋を鷲掴み、それを藤堂に向かって放った。

「とりあえず、なんか着ろ」

「……あぁ、そういうことですか」

 うろたえる僕を尻目に、藤堂は肩を揺らして笑うと、再び身体を起こした。そしてそれと同時に僕はふいと視線をそらして、ビニールの擦れる音と、微かに聞こえてくる衣擦れの音にだけ聞き耳を立てた。昨日寝る時、着替えさせてやれるものがなくて、とりあえず丈の足りないスウェットは履いているものの、サイズが違いすぎて上に着れるものがなく、藤堂は上半身だけ裸だった。
 しばらくそのまま下を向いていると、ふいに身体を抱き寄せられる。

「これでいいですか?」

 突然のことに思わず肩が跳ねる。慌てて顔を上げれば、小さく首を傾げた藤堂が、僕を見下ろし笑みを浮かべていた。けれど僕は、とっさに抱き寄せられた身体を引き剥がそうと腕を突っ張る。

「ボタン留めろっ」

 確かに藤堂はデニムを穿き、シャツを着てはいるが、シャツに関してはボタンが一つも留められておらず、羽織っているというのが正しい。

「今更、ですよね? 朝まで一緒に寝てたのに、ひどい反応ですね」

「言うな、言葉にするなっ」

 少し驚いたように目を瞬かせる藤堂の表情を見ると、一気に顔が熱くなる。元々なぜか藤堂に対してだけは、目のやり場に困ってしまうのに、一晩、藤堂の素肌に触れて同じベッドで寝ていたことを考えると――いまは正直、いつも以上の羞恥で卒倒しそうだった。

「佐樹さん? そんなに嫌だったなら、言って」

「……察せよっ、気づけよっ、こっちは死ぬほど恥ずかしいんだよ」

 困惑したように眉をひそめた藤堂の言葉を遮り、押し退けると、僕は身を翻し戸の向こうに隠れた。そしてそんな僕の反応に藤堂は肩をすくめ、ため息をつきながら小さなボタンを留めていく。

「まぁ、嫌じゃなかったなら良いですけど」

「その話はしなくていいっ」

「……ホント、佐樹さんは可愛いね」

 にこにこと笑みを浮かべた藤堂がゆっくりこちらへ近づいてくるが、僕は逃げ出すようにキッチンへ足を向けた。

「あれ? 佐樹さん朝ごはん作ったんですか」

「もう朝昼兼用だ」

 欠伸を噛み締め、のんびりとした足取りでカウンターへやってきた藤堂は、目を丸くしながらそこに乗せられている皿を見つめる。しかし作ったといってもそう大層なものではなく、ハムエッグにトースト、そしてサラダ。とりあえず切って焼いて盛ったというだけの代物だ。

「あぁ、もう十一時だったんですね。佐樹さんは何時から起きてたの?」

「んー、九時くらい」

 椅子を引いて目の前に座った藤堂が、カウンターテーブルの上にある時計を見ながら小さく首を傾げる。その仕草に僕は肩をすくめ、珈琲をカップに注いだ。

「着替え、わざわざ買いに行ってくれたんですね」

「休みの日に起きてすぐ、制服着るのってテンション下がるだろ」

「ありがとうございます」

「うん」

 至極嬉しそうに笑う藤堂の表情につられ、思わず頬が緩んでしまう。けれどそんなふわふわとした気分が恥ずかしくて、無駄に誤魔化そうとしたら、力み過ぎた眉間にしわが寄ってしまった。しかしそんなことはお見通しなのだろう、藤堂はますます笑みを深くする。

「やっぱりこういうの良いですね。朝起きたら佐樹さんがいて、一緒にご飯食べて、何気ない時間を過ごせるって、すごく幸せな気分」

「大袈裟だな」

「でもホントにそう思います」

「んー、まぁ。思うけど」

 思わず素っ気ない物言いになってしまったが、藤堂の言うようにのんびり過ぎるほどのんびりとしたこの時間は、確かに自分も幸せを感じる。もっと一緒にいる時間を増やすことができれば良いとさえ思う。けれどそれは簡単そうでひどく難しい。

「ねぇ佐樹さん」

「ん?」

 二つのカップを手に、カウンターへ回った僕を藤堂はじっと見つめる。

「なんだ?」

 その視線に僕が首を傾げれば、カップを手から取り上げられテーブルに置かれた。藤堂の行動の意図が良くわからずますます首を捻ると、今度は手を取られ隣り合わせの椅子に座らされる。

「土曜日の夜は、ここに来ても良いですか?」

「え?」

 まるで自分の気持ちが見透かされていたみたいで、藤堂の言葉に僕の心臓は跳ね上がった。

「もちろん佐樹さんが都合の良い時ですけど。一緒にいさせてくれませんか」

 毎週日曜日、藤堂はバイトが休みだ。土曜日のバイト終わりに来てくれれば、次の日は夕方か夜まで、時間を気にせず一緒にいられる。しかしそれは普段でも少ない藤堂のプライベートな時間を、僕が奪ってしまうことにもなる。だからそう思っても口には出せなかった。

「迷惑ですか?」

「……じゃない。迷惑なんかじゃない」

「一緒にいても良い?」

「あぁ」

「じゃぁ、土曜日はここに帰ってくるので、都合の悪い日は連絡くださいね」

 気恥ずかしさと嬉しさで頭も気持ちもごちゃ混ぜで、自分がいまどんな表情をしているのか、それさえわからなくなる。俯いてじっと握られた手を見つめていると、ふいに持ち上げられた指先へ唇が寄せられる。
 おまじない――貴方が幸せになれるように。

 ふと初めて出会った時の、藤堂の言葉を思い出した。いつも何気ない素振りで繰り返すこの行為に含まれる優しさは、いつも自分を温かさで包み、癒してくれる。

「なぁ、藤堂」

 その優しさに、自分はちゃんと応えられているだろうか。

「なんですか?」

「進路って、どうするんだ」

「え? 進路ですか?」

 突然なんの脈絡もない問いかけをされ、藤堂は一瞬固まり、ゆるりと首を傾げる。

「……とりあえず、家を出ていまのバイト先で働きながら、そこで紹介してもらった専門行く予定です」

「え、家出るって、もしかしてあれから親御さんと、うまくいってないのか?」

 専門学校へ行くまでは予想出来ていたが、まさか家まで出るとは思いもしなかった。

「うまく、というか……なんでしょうね。赤の他人同士が一緒に暮らしてる感じです。けど、いまは生活の面倒も見て貰ってますし、干渉し合わないので楽ですけどね」

 ふっと困惑したような表情で笑う藤堂の様子からは、まったく好転の兆しは感じられない。

「だから……毎日バイト入れてるんだなお前は。働き過ぎだっていうのに」

「なにかと入り用ですから」

 苦笑いを浮かべて肩をすくめる藤堂に、思わずため息をついてしまった。いつからそう考えていたのか――正直、胸が痛むばかりで知りたくもない。

「いま、言うつもりはなかったんだけど気が変わった」

「なんですか?」

「卒業して家出るなら、ここに来い。ここで一緒に暮らそう」

 僕が藤堂に返せるものは、多分これくらいしかないと思う。叶うなら僕は、藤堂の家族になりたい。でもそれは現実的に考えると無理な話だ。だからせめて、彼の帰る場所になれればそれだけ良い。

「いますぐ決めなくても」

「……俺は、どんなことがあっても佐樹さんがいるところに必ず帰ってくるから」

「藤堂?」

 ふいに過ぎる触れるだけの優しい口付けと、自分を見つめる彼の温かな微笑み。やはりすべてを見透かされているような気がする。

「俺の最後に帰る場所は佐樹さん、貴方だよ。ありがとう、すごく嬉しいです」

 その優しさにひどく泣きそうになる。
 僕らのはじまりは思いがけぬ巡り合せだった。けれどいまは、それさえも必然に変わり始めたような気がする。

 もしかしたら――本当のはじまりは、これからなのかもしれない。

「ん、わかった。じゃぁ、ここでお前のこと、待ってる」



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あきゅろす。
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