睦月の療養
奈月に罵倒された。
立場が逆ならオレだって……できるかどうかは別として、したくなるだろうから何も言い返せない。でも、インフルじゃなかっただけまだマシだと思う。言ったら余計怒られそうだけど。
そんなわけで、ただいまオレは自室に隔離状態となっていた。
どのみち起きあがるのすら億劫なので、部屋から出やしないけど。
一眠りし、少し楽にはなったけれどまだしんどい。自分のせいではあるけれど、室内は病人の部屋のにおいで。こんな風邪菌だらけの所にいたら治るものも治らない気がする。額につけた冷却シートも、冷たさを失っていた。
軽いノックの音が響き視線を向けると、返事もしていないのにドアが開かれる。
そっと、将兄が顔をのぞかせた。目があうと、ほっとした表情を浮かべて入ってきた。仕方がないので、どうにか起きあがる。
「寝てていいって」
ゆっくりと首を振る。それは嫌だから起きたのだ。
上体を起こすと、布団から離れてしまった背中が寒さを感じた。何か羽織るものをと探そうとしたら、将兄がイスに乗せてたちゃんちゃんこを肩に掛けてくれた。
「……ありがと」
「具合、どうだ?」
「良かったら寝込んでなんかない。でも、少しは楽になった」
「そっか」
良かったと、将兄が笑みを浮かべる。ぼんやりと、その姿を見上げる。
「ん?」
「……窓、開けて」
「開けたら寒いぞ」
「少し、換気したい。このままだと悪化しそう」
それもそうかと、将兄は窓に向かってくれた。
その姿を確認し、小さく息を吐く。すでに冷却していない冷却シートを外す。
「熱、下がったか?」
「……少し」
ひっぱってきたイスに腰を下ろした将兄が、手をのばしてきた。
「……んっ」
冷たい。
「気持ちいい……」
額に触れた手が思いの外気持ちよくて。瞼を閉じて、ほぅと息をつく。一瞬、手がピクリと動いた気もしたが、しばらくその冷たさを堪能させてくれた。
「……まだ、熱いな」
「そう?」
離れてしまった手が名残惜しくて、将兄に恨めしげな眼差しを向ける。将兄はぎこちなく視線をそらした。まぁいいやとベッドサイドに置かれた新しい冷却シートをとろうとして、それより先にと横のペットボトルを手にした。
常温のスポーツ飲料で喉を潤す。
「明良」
呼ばれて視線を向ければ、将兄が冷却シートを手にスタンバっていた。抵抗するのも面倒だし、いいやと素直に顔を少し近づける。
やっぱ、こっちの方が冷たくて気持ち良いや。もう一度、瞼を閉じて気持ちよさに浸る。
「……結構、辛そうだな」
「んー?結構、楽になったよ。し……っかり、休んだし」
「そうか?」
つい、零れかけた言葉を、別の言葉に代える。気付かれはしなかったようで、内心ほっと息をつく。
病で弱って、気がゆるんだのかもしれない。気をつけないと。
「なら、何か食えそうか?」
「んー……あんま、食べる気、しない」
「薬あるから何か胃袋に入れないとって、おばさんが。リンゴとか、ゼリーとか、桃缶とか」
「…………ゼリーなら」
「わかった。じゃあ、もらってくるな」
「え?」
瞼を開ける。
将兄に視線を向けた。
気づいた将兄が、ん?と訊ねてきたけれど、何も誤魔化す言葉が出てこない。頭がうまく動かない。
将兄を見つめたまま閉口していると、やがて将兄はふっと優しい笑みを浮かべた。そしてオレの頭をグシャグシャと撫でる。
「大丈夫。すぐ戻ってくるから」
違う。そう言わなくちゃいけないのに、音にならない。パタンと閉じたドアから目をそらし、ベッドを睨みつける。ぎゅっと、唇をかみしめた。
間違えた。反応するような事じゃなかった。なんて事なく、よろしくと送り出すべきだったのに。気をつけようとして、すぐこれだ。
将兄の、嬉しそうな笑顔を思う。あんな顔、させたくなかった。きっと一人部屋に残されるのを寂しがったと、傍にいてほしいと望んだと思ったのだろう。それはあながち間違いではないけれど、でも、だからこそ悟られたくなかった。
喜ばせたくなんて、ないのに。
だって、いつもいつもそうなのだ。オレが体調を崩すと、いつも将兄が看病してくれる。だから、刷り込みのように安心してしまう。将兄の顔を見ると、もう大丈夫。すぐに治ると。
そんな風に信頼してしまっていること、気づかれるわけにはいかない。
嫌だな。もう。
ちゃんちゃんこを外し、頭まで布団を被り横になる。何かが床に落ちる音がしたけれど、確認する気はない。もう、何も考えたくない。
寝てしまおう。
それでなかったことにできるわけではないけれど。何かが変わるわけでもないけれど。それでも。
もうすぐゼリーと薬を持った将兄が戻ってくる。布団を被ったまま返事をしなければ、寝てしまったと判断してくれるだろう。しばらくは起きるのを待つかもしれないけれど、その内に帰るはず。
今は、顔を見たくない。
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