語らう霜月
「弟」
声を、かけられた。
一人きりでいたくて、いつものように人目に付きにくい所ではなく、誰にも見つからない所に隠れていたつもりなのに。通りがかりのついでといった気安さで声をかけられた。
校舎の外。壁により掛かり座っていた。ちょうど植え込みのすぐ傍で、敷地の外からも見えにくくなっている。かくれんぼをしている子供みたいだ。頭上で窓を開ける音がした。姿は確認していない。けれど声で誰だかわかった。
この人には見つかりたくなかったなと、ぼんやり思う。
「聞いてはいないのだけれど」
なら、何で知っているのだろう。
「振ったそうじゃない」
瞼を伏せ、ゆっくりと息を吐く。先輩の声はいつもと変わらない。だから、どういう意図で話しているのかわからない。
「……いまだかつて、告白されたことがありませんが」
「告白させなかったのでしょう?」
「……何も、聞いてないんじゃ?」
「詳しいことは、ね。好きな人に、告白すらさせてもらえなかったと泣いていたわよ」
泣いていた。
確かに、最後に見たときにはひどく傷ついた顔をしていた。見たくないから、あまり見ないようにしていたけれど。
「……特に覚えが」
「本の話をした覚えは?」
「それなら」
ありますと答えると、微かに笑った気配がした。
何だろうと考え、相手の名前を出されていなかったことを思い出す。ひっかけられたのだろう。これでは肯定したも同然だ。
最初から、この先輩相手にごまかしは利かないと、わかっていたけれど。
「親友の親族に想いを寄せるなんて、理解できないそうね」
「そこまでは言ってませんよ」
「あら、そう?」
先を促すような声に、つい、言い訳のように口を開いてしまう。
「……自然と、対象外になるだろとは思いますが、感情は強制できませんし。それを口にする神経が信じられないだけで」
「随分ないいぐさね」
逆効果だったようだ。
何故だろう。言葉選びが悪かったのだろうか。
「物語の中ではよく、親友と妹とかがくっついたりしているみたいだけれど?」
「うまくいかなかったり、後々別れることになったりしたら、色々と気まずいだろうなと考えてしまうわけでして。特に、間にいる人物との関係が」
「奈月は確実に夏澄の味方するわよ」
「それはまぁ、そうですが。……今してるのは物語の中の話ですよね?」
「そうだったわね」
さらりと返された。
「けれど、それは親族でなくても同じでしょう?共通の友人だとか、紹介されて知り合っただとか」
「それは……まぁ……」
「それに、好きだという気持ちが積もりに積もって溢れたら、言葉にせずにはいられないのじゃない?」
「どう、なんでしょうね」
そこらへんは、理解したくないんだよな。
言えばまた心証が悪くなりそうだから、言わないけれど。そんなことを思いながら、植え込みを眺める。
「恋愛なんて、くだらないと思ってる?」
「いえ、そんな」
…………心証に関しては、なんかもう手遅れかもしれない。
「くだらないとまでは。冷静に恋愛したいなと思っているぐらいで」
「冷静に、ね」
「だから、湊先輩のこと好きですよ」
「…………親友の親族にそういうこと言う神経が信じられないなら、逆また然りじゃないかしら。というか、何がだからなのか理解できないのだけれど」
随分と嫌われたようだ。言葉がすごく苦々しい。
「湊先輩は恋愛に興味ないというか、優先順位低そうなので憧れてるんです。恋愛感情とは少し違いますね」
「……悪いけど、私は映画みたいな恋愛に憧れているから」
「……そうですか。それは残念です」
およそ似つかわしくない言葉に、思わず先輩の方を見そうになった。どこまで本気の言葉なのだろうか。
「それに、冷たい人間は好みじゃない」
「…………冷たい」
確かに、そう思われても仕方ないのだけれど、ちょっと先輩にどういう人間だと思われているのか気になりはじめだ。だいぶ、イメージが悪そうだ。
「ともかく、夏澄の件、奈月の耳には入れていないから」
「そうですか」
強引に話をまとめにかかってきた。
「まぁ、入ったところで弟はどうとも思わないのでしょうけれど」
少しはやっかいだなと思う。けれどまぁ、確かにだからどうしようとはならないので、先輩の言葉に近くはある。
どうも、言いたいことがあって声をかけてきたのではなく、様子を見に来たついでのようだ。
それじゃあと、先輩が別れの言葉を口にする。はいと言葉を返した。窓の閉まる音はけれど、途中で止まった。
「……そうそう」
ふと思い出したように。
「一つ、勘違いをしているようだから教えておいてあげる」
「はい?」
何のことだろうかと、心の中だけで首を傾げる。先輩の声はひどく楽しげだ。
「私の名前、神名木湊だから」
「えっ!?」
思わず、勢いよく振り仰ぐ。
「湊って、上の名前じゃなかったんですか?」
「下の名前よ」
「うわー。苗字だとばかり思っていた」
脱力し、壁によりかかる。頭上からは可笑しそうな笑い声。先輩がこんな風に笑うのは珍しい気がするけど、理由が理由だから楽しめない。
「……あれ?じゃあ、もしかして恵先輩も?」
「そっちは苗字」
良かったと、息をつく。
「たいして親しくもしてないし、懐かれた覚えもないのに名前呼びだったから、気にはなっていたのよ。勘違いしてるんだろうなって」
「だったらもっと早く教えて下さいよ」
恥ずかしくて、顔を隠すように膝の上の腕に額を押し当てる。どうせ先輩はこちらを見ていないんだろうけど、顔を上げていられない。
「……穴があったら入りたい」
「蓋してあげるわ」
「助かります」
じゃあ、と今度こそ窓が閉じられ、ひとり取り残される。ゆっくりと息を吐き、額ではなく頬を腕に乗せた。
日差しは暖かいはずなのに、吹く風は少し冷たかった。
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