読書の長月
読み始めた小説の続きが気になって仕方ないので、昼休みも費やすことにした。友人には適当にごまかし、弁当箱と本を持って教室を出る。
校内でも、探せば案外人気のない所、人目に付きにくい所というのはあるわけで。今向かっているのもそんな場所の一つだ。
校舎の裏側に設置された外階段。非常口マークの下の重たい扉を開けると、そこには先客がいた。下へと続く階段に腰掛け、おにぎりを食べていたそいつはドアの音でこちらを向いた。
「やぁ」
「……おう」
この人物とここで遭遇するのは初めてではない。何ら不都合があるわけでもないので、そのまま外に出る。ただ、まぁ、隣に座るのも何なので、上に続く方の階段に腰を下ろした。
弁当を膝の上に広げ、本を開く。家でやれば行儀が悪いと叱られるが、今は人目がないので問題ない。ゆっくりと箸を動かしながら、視線は文字を追った。
特別、本が好きというわけではない。ただ、まぁ、それなりに読んではいる。そうやって、あまり真剣にではなくても読んでいいると、たまにはこうやって止まらなくなる物もあるわけで。なんだかそれは、おみくじみたいでおもしろい。
食べ終えて、手早く弁当箱を片付ける。コンクリの壁によりかかり、熟読し始める。
部屋の棚に多少本が並んでいて、たまに将兄が難しい顔して眺めている。どうやら興味があるようで、何時だったか自分でも読めるオススメはあるかと訊ねられた。
ならばとオレが最初に読んだ、英語に興味を持つきっかけとなった絵本を貸したら、バカにしてると文句を言われた。文句は読み終えてから言えという話だ。当時知っていた話より長かったから興味を持ったのだ。リンゴ狩りに行ったり、市場に行ったり。
案の定、ぱらぱらと捲ってみた将兄はわずかに驚いた様子で。結局いったん持ち帰ったのだから、辞書を片手に読んだのだろう。返ってきたのは数日後だった。
という話を知人、この間婚約したわがまま娘にしたところ、彼女の学校ではその絵本を教材に使用していたということだった。聞けば他にも色々と教材として使用していて、ちょうど持っているやつもあった。
将兄にそれを読んでみるか訊いてみたところ、難しい顔をしつつも挑戦してみると受け取っていった。戻ってくるのに半年以上かかったが。幽霊が出てくるとはいえ、主人公と一緒に遊んでるだけだし、難しい単語とかないから読みやすいかと思ったのだけれど。
「別に、無理して読まなくても良かったのに」
「いや、無理はしてねぇよ。時間かかっただけで」
「ふぅん」
「それ、シリーズものなのな」
「ん?うん。何?続きも読む?」
「……いや、続きは日本語版で読んでみる。てか、それも日本語でちゃんと読んでみようかなって……何だよその顔」
「え?いや、何?そんなにこれ気に入った?」
「気に入ったってか……」
「てか?」
「明良がどんなん読んでるのか興味ある」
こんなとこで健気さ発揮されても。
キリの良いところまで読み終え、ふぅと息をつく。時間を確認してみると、もうすぐ予鈴が鳴る。鳴るまで読むつもりだったが、キリが悪くなるよりはと本を閉じた。
「……じゃあ、オレもう戻るから」
「あ?……ああ」
特に必要はないけれど、声をかけないのも何なので挨拶する。そいつはスケッチブックを開いていて、ふと、そのページが目に入った。
思わず、足が止まる。
「……何描いてんの」
「あ?」
振り向いたそいつは、見ればわかるだろと言わんばかりに顔をしかめた。
いや、確かに見てわかりはするけれど。質問の意図としては、何を、ではなく、何でそんなもん描いてるのかが正確だ。スケッチブックに描かれているのは、どう見ても蝉の死骸。それも引きであったりアップであったり色々。
階段の端に落ちているからそれを描いているんだろうけど。でも、だからって。題材を選ばないにも程がある。
「……何でもない。じゃあ」
「……ああ」
単に、目に入ったからだけなんだろうなと結論づけ、校舎内に戻った。
今日は、学校終わったらすぐに帰ろう。ちょうど明日は休みだし、できたら今日中に読み終えてしまいたい。というか、読み終わるまで眠れそうにない。
案の定、眠りについたのは深夜を過ぎていた。
翌日、ベッドでゴロゴロしていると、ノックの音が響く。
「……はーい」
「明良ー……って、寝てんのか?」
「……起きてるよ」
でなきゃ返事できないって。
起きあがる気になれなくて、寝転がったままぼんやりと将兄を眺める。部屋に入ってきた将兄は、そっと近寄ってきた。
「眠そうだな」
「……んー……昨日、寝たの遅くて。眠い」
「へぇ」
どことなく楽しそうな声色に、やけに優しげな眼差し。
眠いと言っているのだからさっさと出ていけばいいのに、何故かベッドの脇に膝をついてのぞきこんでくる。
「夜更かし?」
「……ん。……それ、読んでて」
「面白かった?」
「うん」
「これ、日本語版は出てる?」
「どう、だろう?……確認してない」
「そっか」
何で楽しそうなんだろう。
と言うか、本当に、眠いから早く帰ってほしい。口にすればいいのだろうけど、頭がうまく回らなくて。何を考えるのも億劫で、訊ねられるがままに答えてしまっていた。
「…………眠い」
それでも、どうにかそれだけ訴える。
将兄は、楽しくて仕方がないって感じで笑った。意味が分からない。
「明良」
「……何?」
「おやすみ」
「……ん」
もう寝て良いってことなのだろうと判断し、瞼を閉じる。
そして、一眠りして頭がすっきりしたら、軽く腹が立った。人が眠いときにあの野郎。
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