だれる葉月
開いた窓から風が流れ込んでくる。ちりりと風鈴が鳴る。
ここ数日では一番湿度が低い。風もあるので、幾分か過ごしやすかった。ベッドに寝転び本を開く。文字を追うも、だんだん瞼が重くなってきてしまう。
昼夜逆転しないよう、気をつけてはいるつもりだけれどやはり夜更かししがちで。暑さで疲れもたまっているせいなのだろう。特に、昨日は力を使い果たしたわけだし。段々と、文字が頭に入らなくなってくる。
ちりん。ちりりん。風鈴が鳴っている。風が身体を撫でていく。ゆっくりと、瞼を開き――
「うぉっ」
「お。起きたか」
昼寝から目覚めるとそこには将兄がいた。ベッドの縁に腰掛け、団扇で自分を扇いでいる。
「ビッ、クリ、した。てか、人の部屋で何してんの」
起き上がって、開きっぱなしになっていた本を閉じる。将兄がパタパタとこちらを扇いできた。
「梨のお裾分けに来てさ。ついでだから明良の顔見てこうと思って」
そしたら寝てたから、起きるの待ってたとカラカラ笑う。
「いや、寝てたなら諦めてよ。てかもう顔見たんだから帰ってよ」「んだよ。どうせ暇だろ」
「暇じゃないから……ノド乾いた」
何か飲み物をと思い、ベッドを降りる。
「麦茶ならここにあるぞ。温くなってるけど」
「……飲む」
見れば、テーブルの上に麦茶のボトルとコップが二つ。うち一つは使用済み。台所に行く手間が省けた。それに、キンキンに冷えたのより少し温いぐらいのがほしかったからちょうど良い。
床に座り直した将兄が、コップに麦茶を注いでくれた。
「起きるまで待ってるって言ったら、おばさんが持ってきてくれて……ほら」
「ふぅん。ありがとう」
半分くらいまで飲んで、一息つく。
「で?用の済んだ将兄はいつ帰るの?」
「つめてーなぁ。昼寝してたぐらいだし、暇なんだろ?」
「昼寝してたから暇だなんて、短絡的な」
ガッカリだよと、大げさにため息をついてみる。
「オレは今、休むのに忙しいんだよ」
「おい」
「なのに将兄の相手なんかしてたら、休むどころか疲れるじゃないか」
「おい。明良」
ふぅ、と息をつく。将兄は物言いたげな眼差しでこちらを見ていた。思わず、小さく笑ってしまった。
「……ゆっくり休みたいのは本当だって。夕方から出かけるから、それまで体力温存」
「夕方から?……夏休みだからって、明良が夜遊びする不良になってしまった!」
「……何言ってんの?」
またくだらないことを言い出したと、冷たい眼差しを向ける。将兄は気にすることなく、まぁまぁとコップに麦茶を継ぎ足してきた。
「お祭だから夕方からなんだよ。ほら、湊先輩のとこの」
「湊……?……あぁ奈月の」
「うん。せっかくだし、今年も行ってみようかなって。流石に今年は手伝ってないだろうから、鉢合わせる心配なくて気が楽だし」
奈月の友人の一人が神社の血縁で、その縁あって去年の祭に遊びに行った。どうせ時間あるし、今年ものぞきに行こうかと。
「へぇ。一人で?」
「うん」
「……え?」
「ん?」
「ひ、一人で?」
「うん」
しつこいなと思いつつ答える。何故か将兄はうろたえていて、その様子に眉をひそめるも、すぐに理由を察してしまい頬がひきつった。
「……言っとくけどさ、誘う友達がいないわけじゃなくて、わざわざ誘っていくほどのことじゃないだけだよ」
「あ、そ、そうだよな!友達とプール行くって言ってたもんな!」
「昨日行ってきたんだよ。それで体力使い果たして疲れてるんだよ」
言って、テーブルにつっぷす。
パタパタと、人工の風が当たる。将兄が扇いでくれているのだろう。
「大丈夫かー?」
「んー……」
「混んでたのか?」
「混んでたよー。それに炎天下だったし。まぁ、力の限り遊んだけど」
それでもって、今こうやって力つきてしまっているわけだけれども。
「プールかぁ。そういや今年行ってないんだよな。行こうかな」
「へぇー。いってらっしゃい。頑張ってね」
「明良一緒に……」
「ヤダ。疲れたんだってば」
「いや、今日これからじゃなくてだな」
顔を上げないまま、ふるふると首を振る。
「もう、今年の分は泳ぎきった。この夏はもう、プールはいい」
「どんだけ遊んだんだ」
呆れたような声が聞こえる。
そうは言うけれど、来年はそう呑気に遊んでいられないのだ。だからこそ、今年の夏は全力で遊ぶ心づもりなわけで。先を見通してのことなのだから、呆れられる謂われはない。
「……まぁ、いいや。顔見れたし、疲れてるみたいだし、帰るな」
「うんー」
「そうそう、何時頃に出るんだ?」
「うん?」
チラリと顔を上げる。立ち上がった将兄が大したことじゃないんだけれどと笑う。
「祭、オレも行こうと思って」
「行くなら一人で行って」
「んなっ」
どこまで本気の言葉か分からないけれど、釘を刺しておいたのでオレが出る時に将兄がついて来ることはなかった。行くのを諦めたのか、本当に一人で行ったのか。とりあえず、見かけても声をかけるつもりはないし、声をかけられても応じる気はない。
そうしてやってきた神社で、お囃子を聴きながら雑踏を眺める。このお祭独特の熱気は、眺めていて楽しい。買ったラムネのビー玉を押し込み、ゴクゴクと喉を潤す。
「あ。弟発見」
ん?
「そんなはしっこで何してんの?奈月は?」
楽しげに声をかけてきたのは、奈月の友人の一人だった。片手にはアメリカンドッグを持っている。
「……一休み、です。姉は今頃家で勉強を」
「あ」
しまった、と先輩の表情があからさまに変わった。
「……そう言う恵先輩は、こんな所で一体何を?」
「ひ、一休みだよ!息抜き!ずっと勉強してたらまいっちゃうからね!」
そんな動揺しなくても。
別に、受験生だからといって、休みなく勉強しなくても良いとは思う。それをこうも過剰反応するということは、何かやましいことでもあるのだろう。
「……弟君」
「はい」
「お姉さんが何か奢ってあげよう。だからここで私に会ったことはどうかご内密に」
あ。この人絶対何かやらかした。てか下手したら何もしていない。
オレとしては、わざわざ賄賂を渡されなくても話す気はない。けど、まぁ、素直に奢られといたほうが安心するんだろう。
「えっと、じゃあそれ下さい。まだ口付けてないんですよね?」
「え?まだだけど……これで良いの?」
「はい」
「……じゃあ」
受け取った手を、ガシィッと両手で強く握られた。
そうして、この件はくれぐれも、くれぐれも内密にと念押しして去っていく。なんてか、あっという間だった。
でもあの人、自分でボロを出しそうだよな。
そう思いながら、ラムネをもう一口飲んだ。
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