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水無月の憂鬱




 雨が降っている。

 出かける用事があるのにこの天気とは。別の日に変更してしまいたいけど、向こうはあまり先延ばしにしたくないだろうししょうがないか。

 どうせいつかはこうなると思ってた。おめでたいことでもある。ただ、あまり気乗りはしない。

 はーあと溜息をつきながら、出かける準備をした。

「お。明良」
「……将兄」

 家を出たら将兄に声をかけられた。タイミング良いんだか悪いんだか、将兄もちょうど出かけるところのようだ。気持ち早足で近づいてきた。それも嬉しそうに。

「……将兄、とうとう頭だけじゃなくて目まで悪くなったんだ」
「何だよ藪から棒に。つか頭だけじゃなくって」
「だって眼鏡」

 そう。将兄は眼鏡をかけていた。視力は悪くないのに。つまりは度が入っていないということなのだけれど、視力まで悪くなったのかと訊いとくのが礼儀だろう。

「いや、これ伊達だから。どう?」

 傘を持っていない方の手で、くいと眼鏡を軽く上げて見せてきた。感想を求められても。

「……伊達ってか似非だよね。似非眼鏡。なんか胡散臭い」
「胡散……そうか。明良は眼鏡ない方が好みか」
「いや、好みとかじゃなくて。てかどっちもどっちだから」

 ちぇーとか言いながら、外した眼鏡を胸ポケットにしまってしまったがちょっと待て。他人の感想に左右されるなよ。誰のでもって訳ではないんだろうけど。

「で?明良はどこ行くんだ?」
「んー?買い物?指輪買わなくちゃで」
「へぇー。アクセとか珍しいな。良い店紹介しよっか?つか、ついでに見繕ってやるよ」
「いらない。どうせ七葉でしょ?知ってる。そこ行くつもりだし。それに将兄、相手知らないんだから見繕いようないじゃん」
「ん?自分用じゃねぇの?」
「うん。てか婚約指輪だし」
「…………え?」

 ザァザァと雨が降っている。雨粒がリズミカルに傘を打っている。そういや、二人が知り合ったのは雨の日だったとか言ってた気がする。確か傘を借りたとか貸したとか。

 ぼんやりと考えて、ふと音が一つなくなっているのに気づく。あれ?と思って足を止めると、将兄は数歩後ろで立ちすくんでいた。驚愕に目を見開いて。

 何をしているのかと顔をひそめるも、ほぼ無意識に行っていた会話を思い返してすぐ、原因に気づいた。きっと愉快な勘違いをしているのだ。

「…………え?婚約指輪?」

 やっぱりそれか。

「うん」
「え?明良?は?何時の間に?てか、え?相手……?」

 混乱してる。混乱してる。

 このまま勘違いさせといても面白いけれど、下手に話が広がってしまったら困る。残念だけれど、訂正しておかなくては。

「……オレじゃなくて友達。婚約したけど、指輪まだだからって相談されて」

 みるみるうちに将兄の表情に安堵が広がった。その様に溜息を吐き捨て、歩みを再開させる。パダパタと、将兄が早足で隣に並んだ。

「だよなぁ!明良まだ高校生だもんな!」
「言っとくけど、その友達二人とも高校生だからね。男の方が同学年で、女の子の方がいっこ下」
「それ、まだ無理だろ」
「だから婚約。じゃなきゃきっともう籍入れてる」
「へぇー」

 恋人すっ飛ばして婚約したと連絡受けた時は、多少驚きはしたけれどそれ以上に納得の方が大きかった。もうほとんど家族みたいになってたし。

 納得しつつも何だかなぁと思ってしまうのには理由がある。女の子の方が結構なわがまま娘なのだ。あいつ、すごく良い奴なのにアレが相手とか。まぁ、あの二人が他の人と付き合うの、想像できなくはあるけど。てか、事の経緯を聞いたら、お兄さんが可哀想なことになってたし。

「結構長い付き合いなのか?」
「小学校の時からだから……まぁそれなりに」
「小学校からか。ませてんなぁ」
「……ん?」

 付き合いって、恋人としての方か。訂正するほどの事じゃないし、まぁいっか。

「じゃあ幼なじみみたいなもんか」
「そうなるね」
「へぇ」

 良いなとでも続きそうな、羨ましげな声色。一瞬感じた視線。強く傘の柄を握りしめ、じっと前を見据えた。

 将兄と奈月だって、幼なじみじゃないか。それを言ったところで、的外れな言葉が返ってくることがわかっている。考えただけでイラッとするのだから、わざわざ口に出したりしない。

「……明良は、さ」
「んー?」
「好みのタイプとか、あんのか?って何だよその表情っ!」
「いや、だって。いきなり何を言い出すのかと」
「いや、そーいや聞いたことないよなって思って」

 そりゃ、言った憶えないし。

「で?どうなんだよ」
「えー?」
「なぁ、いいじゃん」

 聞いたところでどうする気なのだろう。答えたとして、紹介してくれたりとかは到底なさそうなのだけれど。

「……好みはまぁともかく、密かに憧れてる先輩はいるね」
「……えっ?」

 ショック受けるなら最初から聞くなよ。

「だ、誰だ?オレの知ってる奴?」
「将兄が誰を知ってて誰を知らないか把握してないし」
「そりゃそうだけど」

 まぁ、確実に将兄も知ってる人だけど。

「……将兄は髪が短い方が好みなんだっけ?」
「あーまぁな」
「…………そういや奈月、前は髪長かったよね」
「だな。似合ってたのに切っちまってもったいなかったよな。まぁ、短いのも雰囲気変わって良かったけど」
「ダメだこいつ」
「何か言ったか?」
「何も」

 何であんなわかりやすいアピールに気づけないんだろう。気づいていて、知らない振りしてる気配はないし、馬鹿としか思えない。

 二人には、早くくっついてほしいのに。そうしたら、きっと――。

 溜息を一つ吐く。雨音がひどく耳障りだ。





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