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幽霊が出るにはまだ早い




 紹介したい人がと連れていかれたのは、先日のあのお店だった。そして紹介したいという相手は、あの時の白髪の人。

 名前はリュウさんと言って、万里先輩や、先日の二人にとって師匠のような存在なのだという。WINGsの溜まり場は別にあるけど、その関係でよくここに来てるのだそうだ。

 昼はランチをやってるそのお店で、そんな話を聞いたり、色んな事を話したりしながら食事した。並木先輩は現在、出禁をくらってるから何かあったら逃げ込んでいいとも教えられた。

 一体何をやらかしたんだ。並木先輩は。

 そろそろ食事が終わるという頃に、万里先輩の携帯に何やら連絡が。急ぎの用事のようで、ならば今日はここで解散かと残念に感じた。

 万里先輩との時を、心地よく感じ始めている。

 すぐに戻るからちょっと待っててくれる?と訊かれて、嬉しく感じる程に。

 ストローでウーロン茶を飲みながら、大人しく万里先輩が戻るのを待つ。何をしてるんだろうと思わなくはないが、何だかもっと万里先輩と話したかった。

 チビチビとゆっくりゆっくり飲みながら時間を潰す。ゲームでも持ってくればよかったか。でも、ここでやるのは勇気がいる。

 普段入るところと全然雰囲気が違うんだ。何だか落ち着いてて静かで。万里先輩にぴったり。でもって、オレは場違い。

 ぼんやりと辺りを見回す。遅々として時間が進まない。手持ちぶさただ。ふわぁと、あくびが出る。一人になって、気が緩んだせいかもしれない。寝不足だし。

 あ、やばい。

 何だかどんどん眠くなってきた。

 ふっと意識が浮上した時、思ったのはヤバい、怒られる、だった。急ぎ身を起こし、けれど黒板が見えなくて混乱する。辺りを見回し、見慣れない風景にますますわけがわからなくなる。思わず立ち上がり、ようやく万里先輩と会っていたのだと思い出した。

 次の瞬間にはしまったと思った。店内は薄暗く、他のお客さんはいなくなっている。閉店してる。取り残された。どうしよう。

 慌てて、今度はゾッとした。

 誰もいないと思っていた店内に、何かいる。カウンターの近くにそれは佇んでいた。こちらに背を向けて。全身ずぶ濡れの姿が、暗がり中に浮かんでいる。息を飲んだ。

 こちらの気配に気づいたのか、それがゆっくりと振り返る。恐怖で身体が硬直している。喉が凍りついて息ができない。今すぐ逃げ出してしまいたいのに、徐々に見えてくる顔から目が離せない。

 完璧にこちらを向いた。わずかに俯いていた顔が上がり、ひたりと見据えられる。暗く、虚ろな瞳。まるで、絵の中から抜け出したよう。静かに、首をかしげる。髪が揺れる。毛先から、ポタリと水滴が落ちた。

 こわいこわいこわい。自分の身体が小刻みに震えているのがわかる。

 それが瞼を閉じる。時間をかけて息を吐き出し、もう一度開いた時、瞳には光があった。

 だ、大丈夫。必死にそう言い聞かせる。そんなわけない。きっと生きた人間に決まっている。だから、大丈夫。

 ごくりと、唾を飲み込む。

「……あ、あの」
「うん?」

 何?とそれ、その人が首をかしげ、先を促す。

 ほら、大丈夫。言葉が通じて、会話ができる相手なら、大丈夫。バクバクいってる心臓を落ち着かせるために呼吸を繰り返し、早足でその人に近づく。

「あ、あの、お店、もう……」
「あぁ、うん。閉店したよ」

 やっぱり!

 しまった。やってしまった。どうしようと慌てたのが伝わってしまったのか、その人が安心させるように微笑んだ。

 う、わ……っ。

 さっきまで怖がっていたくせに、軽くパニックになりかけたのも何もかも全部飛んで、その表情に見とれてしまう。こんなきれいな人、今まで目にしたことがない。

「大丈夫」
「……え?」
「今日、夜の方は休みだから。雨も強いし、追い出されはしない」
「雨?」
「うん。今どしゃ降り」

 言われて、その人がびしょ濡れだったのを思い出す。

「あ、だ、大丈夫ですか?何か、身体拭くもの……」
「平気」
「で、でも……」
「うぉーい、タオルと着替え持ってきたぞって、お、西田歩君。起きたか」
「あ。リュウさん」

 奥のドアから知った顔が出てきて、わずかに緊張がほぐれる。リュウさんはこの前の時も優しかったし、万里先輩が信頼できる人だと言っていたから安心できる。

「おはよう。熟睡してたな」
「う、すみません」
「ははっ、いーって、いーって。それよりイチ。ほら。本当に風呂はいいのか?すぐ溜まるぞ?」
「はい。タオルだけで……」
「びしょ濡れなんだから着替えないと風邪ひくぞ」
「でも……」

 いいからと、リュウさんが手にしていたタオルと服を押しつける。

「スズには連絡して了承取ってある。これでお前が風邪ひいたら、オレが叱られる」
「……分かりました。ありがとうございます」
「いーって。ほら、奥で着替えてきな」
「はい」

 ニカッと笑ったリュウさんに促されて、その人はリュウさんが出てきた奥のドアに向かう。その後ろ姿を見送っていると、ドアの手前で足を止め振り返った。

「あ、そうだ。西田君」
「は、はいっ」
「バンさんが、時間かかりそうだから先帰っていいって」
「え?」
「でも雨降ってるし、待ってたらきっと喜ぶ」

 じゃあと、今度こそその人はドアの向こうに行ってしまった。優しい笑みを残して。その言葉に、表情に意識を奪われる。焼き付いて離れない。ふわふわした感覚のまま、ぼんやりと閉じられたドアを見つめていた。

「………君……西田君!」
「は、はいっ」

 聞こえた声に大きく返事をすれば、リュウさんがクツクツと笑っていた。

「大丈夫?」
「な、何がですか?」
「こっちの話。で?どうする?帰るなら傘貸すけど」
「ま、待ちます」

 元々そのつもりだったし。

 カウンターの内側に入ったリュウさんに、それならこっち来て座りなと声をかけられた。一旦、さっきまでいた席に荷物を取りに行くとコップがなくなっていた。寝ている間に片付けられたようだ。どれほど寝ていたんだろう。申し訳ない。

 そそくさとカウンターに向かう途中、どうしても奥のドアに視線がいってしまう。さっきの人は何だったんだろう。あれって、万里先輩からの伝言だよな。なら、一緒にいたのだろうか。あの人も、WINGsの関係者なのかな。すごく、優しそうだったけれど。

「……気になる?」
「なっ、何がですかっ?」
「気にしてるように見えたけど?」

 ぶんぶんと頭を横に振り、イスに腰かける。

「雨、結構強いんですか?」
「おー、バケツひっくり返したみたいだな。すぐ止むといいんだが」

 万里先輩、大丈夫かな。遅くなりそうってことだから、その頃には雨やんでればいいんだけど。入口を見つめ、それからリュウさんに視線を戻す。何か、話しかけた方がいいのだろうか。二人っきりなのにずっと沈黙とか気まずいし。

 どうしようか迷っていると、リュウさんの方から声を掛けてくれた。

「今日は残念だったな」
「え?」
「途中でバンが呼び出されるわ、大雨が降るわ」
「あ、はい」

 昨日から緊張してたから結構時間が経ってる気がしてたけど、よく考えたらまだ映画見て食事しただけだったんだ。午後は丸々一人ってか、寝ちゃっていた。この様子だと戻ってきてもすぐに解散だろう。

「ま、これに懲りずにまた遊んでやってくれな」
「そ、そんな。むしろオレの方こそ」

 また遊べたら嬉しいと言おうとしたところで、奥のドアが開いた。

「おー、早かったな」

 リュウさんに声をかけられ、着替えてきた先ほどの人はわずかに笑みを浮かべ返事の代わりにした。少し迷うそぶりを見せたその人を、リュウさんは軽い感じで手招く。

 隣に腰かけられ、思わず背筋を正してしまった。何となく緊張して、その人ではなくリュウさんを見つめる。

「ありがとうございます」
「だからいーって。雨止むまでいるんだろ?」
「いえ。弱まったら帰ります」
「スズが、会いたいから早く帰ってくるって言ってたぞ」
「……この雨なのに?」

 リュウさんがにっこり笑顔で肯定した。

「……じゃあ、それまでは」

 チラリと、隣を盗み見る。やっぱりきれいだなと思っていると、その人がこちらを向いてばっちり目が合ってしまった。そらすのもおかしい気がして、どうにかそのまま見つめる。すると、その人もどうしていいのか分からないようで、こちらを見つめたままになってしまった。

 リュウさんがおかしそうにクツクツ笑うのが聞こえるけど、本当にどうしたらいいのか。どうしようかと慌てるものの、見つめあったまま思考が固まってしまった。





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あきゅろす。
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