猫の日(2019) 「今日は猫の日です」 「…………そうですね」 「なので是非これを……」 「ごめんなさい」 「そんなぁっ!何でだよっ!せっかく用意したのにっ!」 「ごめんなさい」 むしろなぜいけると思ったのか。 黒猫に行ったら茶番が繰り広げられていた。ケーがイチに猫耳カチューシャを持って迫っている。イスの上で正座して。しかも敬語。 あいつ、本当にバカだ。 即拒否したイチは、ケーのすがりつきそうなほど必死な姿に困惑している。けどつけてやる気はなさそうだ。本当に、あいつバカだ。 「バン。邪魔」 「ああ。悪い」 入り口で呆れていたら、後ろから声をかけられた。 「サエも来てたんだな」 「今来たとこだけどね。何?ケーもいんの?」 嫌そうに表情を歪めた。気持ちはよくわかる。 今日、あいつの姿を見かけることも、名前を聞くこともなくてとても平和だったのに。まさかここで遭遇してしまうとは。できることなら帰ってしまいたい。 「あっ、猫耳カチューシャ!ケーさんそれつけるんですか?」 「んなわきゃねぇだろ!あ?これはイチのための物だ」 「え?イチさん猫耳カチューシャつけるんですか?」 「つけないよ」 奥から出てきたスズが、目をキラキラさせて二人に駆け寄った。けれどイチの言葉を聞いてガッカリしている。 スッと、サエが横を通り抜けた。 「何?ケー、イチの猫耳姿見たいの?」 「あぁ?」 座ってるイチの肩をグッと抱きよせる。ケーの顔が険しくなった。どうしてそう、火に油を注ぐようなマネをするんだ。サエは。 「あ。サエさん。こんにちはー」 「うん。こんにちは。……オレは見たことあるよ。イチの猫耳姿」 「はぁ?」 「サエさん?」 あまり、かかわり合いたくない。けど回れ右してしまうわけにもいかず、足を動かす。 「ほら、あのパーカー」 「あぁ」 「パーカー?」 首をかしげたスズに、そうとサエが笑いかける。 「猫耳フードのパーカー。しかも尻尾つき」 「何それ見たいっ!」 興奮して腰を上げたケーが、勢い余ってイスから落ちかけた。 「……持ってくるだけで良いなら」 「着てるとこが見たい!」 「それはごめんなさい」 「そんなぁっ」 「えー。オレも見てみたかった」 二人の反応を見て、サエがけらけら笑ってる。 何となく近寄る気になれなくて、カウンターの少し離れたところに腰かけた。さて。どうしたものか。とっとと用を済ませてしまいたいのだが。 「いらっしゃい」 「リュウさん。いたんですね」 「おーう。いいのか?向こう入らないで」 「むしろ入りたくないです」 「ははっ」 本当に、どうしたものか。 「オレよりスズの方が似合うよ。貸そうか?なんだったらあげるし。元々貰い物だけど」 スズがアゴに手をあてて考え込んだ。 「いや。それならむしろ、お揃いもしくは色違いの猫耳パーカーでお泊まり会をしたい」 「ごめんなさい」 「えー!」 ひどく真面目な顔をして何を言い出すのかと思えば。またもや間髪いれずにイチは拒否した。スズと、なぜかケーまでガッカリしている。 もし実行されたとしても、ケーは参加できないだろうに。 「スズは猫より兎の方が似合いそうだよね」 「サエさんそれ名前」 「兎は言われたことないですね。猫か犬なら犬っぽいと言われたことはあります」 何かそれはよくわかる。わかるけどこの話はいつまで続くのか。早く終わらせてくれ。ため息を吐き捨てる。 「あ。わかった。じゃあオレは犬耳か兎耳の探してくるんで、イチさんは猫耳で」 「いや。それ、オレの方はさっきと何も変わってないから」 「じゃーもー関係なくパジャマパーティーしましょうよー」 「あ。わかった。じゃー猫耳パーカー諦める代わりに、このカチューシャを……」 「……佳祐さん」 あいつ、まだ諦めてなかったのか。必死すぎる姿が気色悪い。そもそも男にんなもんつけてどうすんだよ。 イチが、一つため息を溢した。 「猫の日楽しみたいなら、別にオレに拘らなくても……」 言いつつ、イチはカチューシャに手を伸ばした。 とうとう折れたのか?サエは怪訝そうに眉をひそめ、ケーとスズは期待に瞳を輝かせた。 「……はい」 そっと、イチはカチューシャをつけた。 ………………ケーの頭に。 「……うわー、似合わないなー」 「……まぁ、ケーさんもどっちかって言えば犬っぽいですからね」 がっかりだよという、何とも言えない微妙な空気が流れる中、当の本人であるケーだけは様子が違った。 「イチがっ……つけてくれたっ……。もうこれぜってー外さねー」 「やめな」 あいつ、本当にバカだ。 サエに同感だ。今すぐはぎ取って捨ててしまいたい。 「ところで、バンはいつまでそんな離れたとこにいんの?」 「あ。バンさんだ。こんにちはー」 「……うん。こんにちは」 一緒に店に入ったから仕方ないのだけれど、話に夢中になって忘れてしまっていれば良かったのに。 挨拶はしたものの、腰を上げる気にはならなかった。 「イチに用があるんしょ?」 眉間に皺が寄るのが自分でわかった。思わずイチに目をやる。そっと首を横に振られた。イチが話したわけではないのか。 「そうなんですか?」 「まぁ」 スズの質問に口を濁しつつ、諦めて腰を上げる。 「少し頼み事をしていて」 「あぁ?んでてめぇがイチに用あんだよ」 今の今まで幸せに浸ってたくせにこれだ。サエは全部わかってるみたいにニヤニヤ笑ってるし。 「いいだろ。別に。ほら」 「ありがとうございます」 渡した小さな紙袋の中身を、イチが確認する。 「確かに。じゃあ……」 「ん。ありがとう」 渡された紙切れをすぐにポケットにしまう。本当はすぐに確認してしまいたいし、そうした方がいいんだろうけど、こんな注目を集めてる中でなんてしたくない。 「確認しなくて良いんですか?」 「……まぁ」 純粋に不思議そうな瞳をスズが向けてくる。何となく、視線をそらしてしまった。 「イチのことは信用してるから」 「バンがっ、信用とかっ」 心底おかしそうにサエが笑う。こいつは本当にムカつく奴だ。 「イチ。それ、何なんだ?」 「大したものじゃないよ。頼まれ事されたからその見返り」 こっちには殺意のこもった視線を向けてきてたくせに、イチに対してはぶんぶん尻尾を振っている。確かに犬だな。 「じゃあ、オレはこれで」 「どうせまた後で会いそうだけどね」 「あ、オレは後で向こうに遊びにいきまーす」 適当に手を振って、返事の代わりにする。 袋の中身を気にするケーの声や、パジャマパーティーやりたいというスズの声を背に店を後にした。ドアを出てすぐ、渡された紙切れを取り出す。 きれいに折り畳まれていたそれを、開く時間すら惜しい。 中の文字を、真剣に目で辿る。 目を通し終え、一つ息を吐く。ここに突っ立っていても仕方がない。わかってはいる。でも、その名前から目が離せなくて。 そっと、指先でなぞってみた。 < [戻る] |