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端午の節句(2012)




 頑張って、一生懸命に新聞紙を折り畳んで顔を上げると、すぐ側でジュースを飲んでいたはずの人がいなくなっていた。

 できあがったばかりのそれを持ってリビングから廊下を見てもいない。トイレのドアをノックして中を覗いても、お風呂場の浴槽の中にもいなかった。

「おにーちゃんどこー?」

 キッチンではお母さんがご飯を作っていた。

「あら、陽菜ちゃん。お兄ちゃんならさっき二階に行ったわよ」

 二階。

「もうお昼ご飯できるから、下りてくるように言っておいてくれる?」
「はーい」

 二階。二階。

 手の中のそれをしっかりと抱きしめて、階段に向かう。下から見上げると果てしなく遠く思えて、怖かった。

 でも、おにーちゃんは二階にいる。

 勇気を振り絞って階段をよじ登る。二階はめったに来たことないから、広く感じて少し怖い。迷いそうになる。

 怯みそうになったけど、一つだけドアが開いていて中からガサガサ音がした。

「おにーちゃん!」

 やっと見つけた嬉しさから、背中にいきおいよく抱きつく。

「ひな?どーした?」
「おにーちゃんに、プレゼント!ひながつくった!」

 大事に抱えていたそれ、新聞紙で作ったカブトをおにーちゃんの頭に乗せる。おにーちゃんは最初驚いた顔をしたけど、すぐに嬉しそうに笑ってくれた。

「ありがとう!」
「ふふふ…おにーちゃんは、なにしてたの?」
「これをさがしてたんだよ」
「こいのぼり!」

 おにーちゃんが手に持っていたのは小さな鯉のぼり。外にあるやつと違って、手で持てる大きさ。

「ひながよろこぶかとおもって」
「おにーちゃんだいすき!」
「おにーちゃんもひなだいすき!」

 ぎゅうって抱きつくと、ぎゅうって抱き返してくれて。嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。

「ひな、おっきくなったらおにーちゃんとけっこんする!」
「……ひな。おにーちゃんとはけっこんできないんだよ?」

 なのにおにーちゃんがそんなことを言い出すから、嬉しかった気持ちが悲しみに変わる。裏切られたと思った。

「なんで?おにーちゃん、ひなのこときらい?」
「すきだよ」
「ひなもおにーちゃんすき。だからけっこんする!」
「すきでも、おにーちゃんとはけっこんできないんだよ」

 どうして、おにーちゃんがそんないじわるを言うのかわからなかった。

「やだっ、なんで?ひな、おにーちゃんと、けっこん、するのっ」





 結局、オレはその後わんわん泣き出して。声を聞きつけた‘お母さん’がおにーちゃん、菖蒲に泣かされたと思い説教していた。

 当時のオレは、好きな人とは結婚するものと思い込んでいた。だから、どうして好きなのに結婚できないのか理解できなかった。

 まぁ、今はできるわけないとわかってるけど。

 あの時と同じリビング。窓からは同じように暖かな陽が差し込んでいて気持ちがよい。目を細めるようにして外を眺めていると、声がかけられた。

「あら、陽菜君。いらっしゃい」
「おばさん。おじゃましてます」
「菖蒲、寝ちゃってるの?一緒に出かけるって言ってたのに、しかたないわね」

 おばさんの言葉に苦笑して下を向く。菖蒲、昔は兄だと思い込んでいた同い年の幼なじみが、オレの膝を枕にぐっすりと眠っている。

 片方の手は重ね合っているから、空いてる方の手で菖蒲の髪を撫でる。

 親同士の仲がよく、ほとんど一緒に育てられていた。同い年と言ってもオレは三月生まれで、菖蒲は五月生まれ。

 幼い頃の約一年の差は大きくて、小学校に上がるまで本気で菖蒲の事を兄だと思っていた。そして、両親は二人づついるものなのだとも。

 何てバカだったんだ。幼い頃のオレ。

 自分の黒歴史に黄昏ていると、おばさんが緑茶と柏餅を持ってきてくれた。

「はい。どうぞ」
「ありがとうございます」
「ふふっ、重かったらどかしていいからね」

 むしろこの重さは心地よい。菖蒲が気持ち良さそうに寝ている限り、動かすつもりはない。

 とは言え、せっかくいただいた柏餅を無駄にするわけにもいかず、慎重に口に運ぶ。アンコの甘さとお茶の渋味が相まって、ふんわりとした幸せに包まれる。

 外は昨日の雨が嘘のような青空で。白い雲を背に泳ぐ鯉のぼりも気持ちがいいだろうな、なんて。ぽかぽかした陽射しに、オレまで眠気を誘われそうになる。

 これでここが縁側なら、もう言うことはないだろう。

 のどかな風景を眺め、菖蒲の髪をすきながら時を過ごす。しばらくすると、わずかに身動いだ。

「……ん」
「起きた?」
「……陽菜?」

 瞼をぱしぱしと瞬く菖蒲に笑いかける。つられたように菖蒲も笑い、片手を伸ばしてきた。

「……夢、見てた」
「夢?」

 頬を辿る指先のくすぐったさに首を竦める。でも触れる感触は嬉しくて、払うことはせずに好きにさせておいた。

「昔の夢。陽菜、オレと結婚するって泣いただろ?」
「それはアヤがオレとは結婚したくないって言ったからだよ」

 意地悪く言えば指が頬を離れる。菖蒲は、ふてくされたように唇を尖らせた。

「したくないとは言ってないだろ。できないって、言ったんだ。オレだって、陽菜と結婚したかった」

 そう言って、菖蒲が身体を起こす。重ね合っていた手を、指を絡めて握りしめ、コツンと額を合わせた。鼻先が触れ合う。

「陽菜は?まだおにーちゃんと結婚したい?」
「おにーちゃんとじゃなくて、アヤとしたい」

 至近距離で見つめ合ったまま答える。ふっと笑う吐息が触れ、弧を描いた唇が重なる。

 はむはむと、優しく何度も唇を食まれ、それから舌が入ってくる。互いの舌を絡め合い、角度を変えて夢中でキスをする。

 口内に溜まった唾液を飲み込むと、ペロリと唇を一舐めして離れた。そのまま菖蒲が肩に顔を埋める。

「んっ、アヤ、くすぐったいって」

 すんすんと匂いを嗅いだかと思うと、ペロペロ舐めたりあぐあぐと甘噛みしたりし始めた。

「アーヤ」

 咎めるように呼び、握り合う手を軽く引っ張る。ようやく止まったけど、肩に頬を乗せたまま動かなくなった。

「今日はアヤの誕生日プレゼント買いに行くんだから」
「オレは陽菜がいればいいんだけど?」
「オレはとっくにアヤのだよ?」
「足りない」

 もっと欲しいと首筋に唇を押しあてられる。

「続きは後で。ね、アヤ。オレにアヤの誕生日祝わせて?」

 はぁと息を吐いた菖蒲が顔を上げる。その表情には仕方がないなという笑みが浮かんでいた。

「陽菜のお願いは断れないからな」
「ありがと」

 それじゃあ早速と立ち上がりかけて、でも菖蒲がじっと見つめてきたから首をかしげる。

「どうしたの?」
「……あん時のカブト、大事にしてたのにボロボロになって捨てられたんだよな」
「……あぁ、でもアヤすごく怒ってくれたよね?オレ、嬉しかったよ」
「当たり前だ。陽菜の手作りだったんだから」

 結婚できないというのが衝撃的すぎて、カブトのことはあまり覚えていなかった。でも、捨てられたときにとても怒って、大事にしてくれていたんだと嬉しかったのは覚えている。

 結婚はできないけど。でも、毎年柱に傷を刻んでいくように、一緒の思い出を積み重ねていけたらと。

 過去も現在も未来も、オレの全部は菖蒲のものだから。

 ずっと、隣にいようと、握り合った手に力を込めた。





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