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バレンタイン(2013)




 ザクザクとブロックチョコを切る音や、カチャカチャと湯せんする音をさえぎるように、能天気な会話がなされていた。

「錦野くん、よろこんでくれるかな〜」
「え?あんたも錦野くんにっ?」
「もってことはまさか!」
「う〜ん。親鳥は人気だねぇ?」

 ザックザックと無心に包丁でブロックチョコを削っていく。

「私?私はお兄ちゃんとヒナ鳥の方にあげようかなと思ってるよ?」
「え〜っ?百瀬ぇ?」
「パッとしないじゃん」
「ん〜っと、ヒヨコみたいだし?かわいいじゃない。餌付けできるかなって」

 ザックザックと細かくなったチョコが山積みになっていく。

「私はねー先生にあげるー」
「ああ。点数稼ぎに?」
「テストの点、甘くしてもらわなきゃだもんね」
「なぜバレたっ!?」

 ザックザック。

「………奈々ちゃんは?」

 ザックザックザック。

「な、奈々ちゃん?」
「………え?ああ、何?」
「切りすぎじゃない?」

 ふと手元をよく見れば、確かに予定より圧倒的に量の多い山ができていた。

「あぁ、つい夢中になっちゃって。ボウルとってくれる?」
「はい。誰にあげるの?」
「あげないわよ」
「え?」
「これ、自分の」

 まな板の上のチョコをボウルに入れる。別のボウルにはポットのお湯を入れ湯せん開始。

 ヘラで混ぜながら、そう言えばと競うように作っている二人に声をかける。

「二人は錦野にあげるんだっけ?」
「だったら何?」
「奈々もとか言わないでよ」
「ありえないから。それより、それ、下剤入れてみない?」
「………っ!?」
「何言ってんのっ!」

 チッ。ダメか。

「奈々ちゃんは本当に親鳥に対して容赦ないよね?」
「そう?当の錦野には百瀬くんに厳しいって言われたけど?」
「それはどっちかと言うととばっちりじゃない?」

 何となしにボウルから顔をあげると、一人は市販のクッキーに溶かしたチョコをコーティングしていた。何あれ。楽そう。

「………まぁ百瀬くんより錦野の方がムカつくわね。あのしまりのない顔見てると、意味もなくイラつくわ」
「なら、見なきゃ良いんじゃないかな?」

 さらさらに溶けたチョコの中に、生クリームを投入。

「そうできたら良いんだけどね」
「あ、そっか」

 二人そろって学級委員長なのだから、関わらずにはいられない。本当にいまいましい。

「う〜ん、困ったねぇ?」
「そう言うあんたは錦野のこと苦手よね」
「え?あー…、ちょっとね?何か怖くて。ヒナ鳥といるとそうでもないんだけど」
「ふぅん?」

 小さなビンのフタをあけ、中身をドバドバと入れる。

「百瀬くんといるとただでさえしまりのない顔が余計に情けなくなってイラつくわ。私は」
「そ…そう?……ねぇ、それより今入れたのは?」
「ブランデー」
「えー…っと、未成年はお酒ダメじゃないかな?」
「飲むんじゃないから平気よ。………やけ酒したい」
「な、奈々ちゃん?」

 あげる相手がいなくて、つまらないからてふてくされているだけ。とてもじゃないけど皆のようにキャッキャッワイワイできるテンションになれない。

 何より、思い浮かぶ人物にだけは絶対にあげたくない。





 そんな風にかつて思った天敵が今目の前にいる。警戒心あらわに。お互いの出方をうかがい、にらみ合う。

 とは言え呼び出したのは自分なのだし、いつまでもこのままの状態でいるわけにはいかない。用意していた物を取り出した。

 奴は目に見えて不審そうな表情になる。

「………何だよ。それ」
「チョコよ。見てわかんないの?」
  
 今日この日に他の何を渡すと言うのか。あまりにバカバカしい問いに、鼻で笑って答えれば、奴は顔をひきつらせた。

「………下剤とか」
「入れるわけないじゃない。バッカじゃないの?」

 大分迷ったけど。

 小学生ならいざ知らず、今やったら悪戯ですまない。下手したら警察沙汰になる。こんな下らない理由で将来を棒にふるつもりはさらさらない。

「何?お前、オレのこと好きなの?」

 デリカシーのない質問に、思いきり呆れてしまった。

「気色悪いこと言わないでよ」
「じゃー何なんだよ!」

 ずべこべ言わず受けとれと押し付けるが、奴は後ずさった。こめかみがひきつる。

「好き‘だった’のよ!ムカつくわね!」
「逆ギレすんなよ!つか過去形ならんなもん寄越すな!」
「けじめぐらいつけさせなさいよ!私だってあんたなんかに寄越したくないんだから!」
「じゃー止めろよ!」

 あーもーまだるっこしい!足払いかけて倒して、胸を足で押さえつけて口ん中に無理矢理押し込んでやろうかしら。

「ぐだぐだと女々しいわね!男なら黙って受け取りなさいよこの軟弱者!」
「お前こそ受け取って欲しいなら少しは下手に出ろよな!暴力女!」

 どうせもうすぐ卒業で、そうすれば二度と顔を合わせることもないというのに。こいつは最後の最後まで人を苛立たせて。

 どうにか押し付けて、帰路にはつかずに一度教室に向かう。怒鳴り付けたせいで喉が痛い。歩く内に呼吸を整え、なんとか気を沈めようとするけど上手くいかない。

 一呼吸おいて教室のドアを開く。中には男子生徒が一人だけ席についていた。振り返った彼が、微笑を浮かべる。

「おかえりなさい。笹岡さん」

 それには答えず近づき、隣の机の上にドカリと腰を下ろした。

「そこ、机」
「いいのよ。それよりこれ」
「オレに?」

 とんっと彼の前に先程押し付けたのと同じ小箱を置く。確認の問いかけには答えずさらに小箱を近づければ、彼はありがとうと受け取った。

 あれもこれくらい素直ならばこんなにも腹立たしく感じることはなかったのに。けれど、ならば最初から渡そうなどとは思わなかった。紐を解く姿を見下ろしながら考える。

 ままならない。

「手作り?」
「ええ。当たり前でしょ」

 一粒口元に運んだ彼の表情がフワッと緩む。美味しいとの呟きに、気づかれぬようそっと肩の力を抜いた。やっぱり、他人の感想は気になる。それがどんな相手でも。

 横から手を伸ばし、一粒摘まむ。ブランデー、もう少し多くても良かったかもしれない。

「渡せた?」
「押し付けてきたわ。本当にムカつく」

 もう一粒摘まむ。

「………オレにくれたんじゃ?」
「文句あるの?」
「ありません」

 ゆっくりと咀嚼しながら旋毛を見下ろす。もう一粒摘まみ、それを彼の唇に押し付けた。目を見開いて見上げるのを無視し、強引に中に押し込む。

 チョコの姿が消え、飲み込み終わるまで指先で彼の唇を押さえた。

「………頼んだわよ」

 用は済んだとばかりに視線をそらす。返事がないのは了承とする。今度は自分の口にチョコを運んだ。

「………大学、どうせ同じとこなんでしょ?」
「うん。今度、一緒にマンション探しに行く」
「そう」

 チョコを、もう一粒。

「ねぇ、純然たる好奇心で訊くんだけどさ」
「何?」
「いつまでそうしているつもり?」

 すっと見下ろした先にある瞳は、まっすぐにこちらを見上げている。微笑をのせた表情には、迷いなど微塵もない。

「アヤが、望む限りは」
「それはいつまで」
「オレが、望む限りずっと」
「ああそう。理解できないわ」
「うん。知ってる」

 拒絶の言葉を突きつけたというのに、満足げな表情で。うっとりとした声色に、やっぱり付き合いきれないと、そう感じた。





 食べ終えたチョコの入れ物はゴミ箱に捨てて帰宅。自室に入ると、先に帰った菖蒲がベッドに寄りかかり待っていた。制服のままだからまっすぐに来たのだろう。

「おかえり。遅かったな」
「うん。ちょっと」

 コートを脱ぎ、腕を広げた菖蒲に近づく。当たり前のように膝の上に向き合う形で座った。

「笹岡さんと話してた」
「げ。苛められなかったか?」
「平気。チョコ貰った」

 ほとんど笹岡さん自身が食べてしまったけれど。

「アヤも貰ったんでしょ?もう食べた?」
「あー…、まだ」

 ちょうどベッドの上。手の届く所に菖蒲の鞄があったので手繰り寄せる。見覚えのある小箱を取りだし、中のチョコを一粒摘まむ。

 それを菖蒲の口に近づけたけど、難しい顔をするだけで口を開く気配はない。仕方なしに自身の口に運んだ。

「あ、バカッ」

 焦る菖蒲の声を無視して、口内のそれを菖蒲の口へと押し込めた。一瞬、驚いたように目を見開いた菖蒲だけれども、やがて意思を持って舌を動かし始めた。

 ろくに息継ぎもせず、普段より甘く長い口付けを交わす。

「んっ。ね?別に変なもの入ってないでしょ?」
「………アルコールがきっつい」
「そう?」

 わずかに眉を寄せる菖蒲。二粒目のチョコは指で菖蒲の口に押し込んだ。笹岡さんがしたのと同じように、唇に指を触れさせたまま、咽下するのを待つ。

 自身の唇に残っていた指の感触は、今のキスで跡形もなく消え去っていた。





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あきゅろす。
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