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***




 泣き顔が好きだ。

 自分の手で泣かせたい。

 けど、傷つけたい訳じゃない。

 唇に噛みつき、血を一舐めした。それだけ。後は首筋に触れていた手を後頭部に回し、抱き寄せた。片手は握りしめたまま。泣き止むまでずっと、その体勢でいた。

 いくら、目の前で泣いてても、あんな光景を見せられて楽しめるほどお気楽にできてない。あの三年生、諦めた風ではなかった。また何かしでかすかもしれない。

 宥めるようにかのと先輩の髪を撫でながら、気を落ち着かせていく。

 嗚咽が収まるのを待ち、手を引いて保健室につれていく。目元を冷やしてる内に荷物をとりに行こうとしたら、かのと先輩は手を離すのを嫌がった。

 すぐに戻るからと言い聞かせ、一度教室に向かう。泣きつかれたせいか、まだショックなせいか、かのと先輩は終始無言でされるがままだった。

 少し休ませてからまた手を引いて部屋まで送る。一人になりたくなさそうだったけれど、構わず部屋に押し込めドアを閉める。

 そしてそれきり。

 オレはかのと先輩から距離をとった。

 生徒会の仕事があるから一切の接触を絶ったわけではない。用があれば声をかけるし、話しかけられれば返事をする。けれどそれだけ。なるべく会話を早く切り上げ、視界に姿を映さないようにしていた。

 言いたいこと、訊きたいことがあるだろう。突然の態度の変化に不安がっていることだろう。わかっていて、無視をした。自ら手を差しのべるつもりはなかった。

 生徒会室の窓から、外を眺める。今日は休みで、誰も来る予定はないはず。最近様子がおかしいと詮索してくる同室者が煩わしく、けれど行くあてもなくここに来た。

 ぼんやりと、何をするわけでもなく窓の外を眺める。

 不意にドアの開く音がして、視線を向けるとかのと先輩が目を見開いていた。なぜここに。そう考えて、休みの日でも部活動が行われてる場合、誰かしらは常駐することになっているのだと思い出す。補佐であるオレには関係ないから失念していたが。

「………庚」

 呆然と名を呟かれ、軽く会釈する。挨拶もそこそこに、出ていこうとした。駆け寄ってきたかのと先輩に腕を掴まれ、阻止される。

「庚っ」
「………何ですか?」

 そっけないを通り越し、冷たい声で問いかける。かのと先輩がびくりと振るえた。それでも手は離れない。むしろ力が強まる。
 腕を掴む手を、眺める。

「はっ…話が、あるんだけど…」
「オレはありません」
「……っ」
「離してください」

 手が震えている。今、どんな表情をしているのだろう。

「な…んで……怒って、る?」
「怒ってませんよ?」
「じゃ…じゃあ、呆れた?幻滅した?あんな姿見て、愛想がつきた?それとも……っ」

 言いつのる声を遮り、先輩の身体を近くの机の縁に押し付ける。涙を湛えた瞳が驚愕に見開かれる。先輩の足の間に、片足を押し込んだ。

「金本先輩」
「……なっ…ん」
「あの三年生に襲われて、怖かったんですよね?また、同じ目に遭いたいんですか?」
「な、にを…」

 左手を背に回し、身体を密着させる。吐息が触れるほどの至近距離で瞳を覗き込む。右手で頬を包み込み、親指で、ゆっくりと唇を撫でる。

「……んっ」
「前に、言いましたよね?好きだって」

 戸惑いに揺れる瞳を、じっと見つめる。

「オレも、あの三年生と同じなんですよ?」
「……そんな、こと」
「あるんです。あんな光景見せつけられたら、自制がきかなくなる。今だって、押し倒して、メチャクチャに犯してやりたいのにっ」
「………庚」

 傷つけたい訳じゃ、ない。

 けれど傷つけてしまいたい。

 他人に傷つけられたままだなんて許せない。自分の手で、その傷を上書きするように、新たな傷を作ってしまいたかった。

 だから距離をとった。

 あんな不安定な状態で放置されて。理由もわからずいきなり避けられて。不安になると、傷つくとわかってやった。あいつにされたこと以上に、心を占めれば良いと。

 傷つけてしまいたかった。

 けど、傷つけたくなかった。

 だから距離をとった。

 あんな風に目の前で触れられて、自制できるわけがない。同じことをしてしまいそうで、けど、そんなことしてしまいたくなくて。

 だから、

「だから、距離をとったの?オレを、傷つけないように…」
「………っ」

 先輩の肩に、額を押し付ける。

 わからない。傷つけたかったのか、傷つけたくなかったのか。自分でわからなくなっていた。多分、どっちも本心だから。

「………ら、いい。庚になら、いい」
「はっ……同情かよ」

 どうせ、離れられるのが怖くて、それならいっそといったところだろう。それを、狙ってはいたけれど、今は、乗れるような気分じゃない。

 動く気力なくいると、不意に頬に手が触れた。顔をあげさせられ、唇に、唇が触れる。

「………今、自分が何したかわかってんのか?」
「わかってるよ。バカに、しないでっ」

 先輩が気を落ち着かせるように呼吸し、けれど涙は零れ落ちる。

「オレが…どんな、思いで、ふっ…い、いたか、知らないくせにぃ…」

 次から次へと流れる涙を、ぼんやりと眺める。

「な、なつかれて、嬉しかったけど、他の、二年とも、仲、いいしっ……キ、キス、された気もするけどっ、普段と変わんないしっ、気のせい、だったのかなっとか、な、泣いてる人には、だ、誰にでも、するのかな…とかっ。気…づいたら、目で、追うようになって……し、しかも、あんな、どうしようもない時に、それも、思い浮かべた、瞬間に、こ、来られたりしたら、もうっ……ひっく……」
「………かのと先輩」
「さ、触られたとこ、全部、庚に、上書き、して、ほしいとかっ、な、のに…くっ…いきなり、避け、られるしっ」
「………先輩」

 背に、両手を回し、力の限り抱き締める。

「お、犯したいとか、言われて…う、うれしっ…嬉しく、思っちゃったのにっ、ど、うじょうな、わけ……」
「いいんですか?そんなこと言って。調子に乗りますよ」
「い、いい今更、じゃんかぁ」
「ははっ」
「さ、っきまで、へこたれてたくせっにっ」

 現金なのはわかってる。でも、うだうだしてる内に予想以上の成果を得られて、しかも、今流れてる涙はオレを思ってなのだ。

 テンションが上がらないわけがない。

 先輩の頬を両手で包み、涙を舐めとる。瞼に唇で触れて、それから唇を重ねた。何度も何度も啄み、わざと音をたてる。

「……ん…ふっ」

 重ねる内に座らせて、その前に膝をつく。見下ろすような体勢で、何度も繰り返す。

「……こ、う…もっと」
「先輩……かのと…」

 深く深く重ねる。先輩の手が、腕をしっかりとつかんでいる。嬉しいと、言われたのだ。ならばその言葉に応えて、このままここで……

 ガチャリ。

 突如響いた音に、視線を向ける。ドアを開けた体勢のまま、硬直した会長がいた。

「……………」
「……………」
「……………」

 徐々に、会長の顔が赤くなっていく。その様を、場違いなまでに冷静に眺めていた。

「っ!?…わっ、悪いっ!」
「しずちゃんっ!?」

 あぁ、タイミングが悪い。

 飛び出していった会長を、かのと先輩が慌てて追いかける。その後ろ姿を見送ってから、ゆっくりと立ち上がる。ため息が零れた。

 まぁ、言質はとったしいいか。

 のんびりと後を追って廊下に出る。会長の手を両手で握りしめたかのと先輩が、必死に首を横に振りながら言い訳をしている。その勢いに、会長は押されぎみだ。

「……会長。今日、何か仕事ありますか?」
「へ?……い、いや、急ぎのはないが…」
「暇なんで、何かあるならやりますよ」
「そ…うか?なら頼む。……あ、そうだ。ほら」

 ハンカチを取り出した会長が、それをかのと先輩の目元に当てる。

「ちゃんと冷やしとけよ」
「う…うんっ」

 そそくさと生徒会室に入っていくのは、友人のキスシーンなぞを目撃してしまった気まずさのせいだろう。

 取り残されたかのと先輩に視線を向ける。唇に指先で触れ、ぼんやりと立っていた。先程の感触を思い出しているのだろう。

 知らず、笑みを深める。

「かのと先輩」
「へっ?……な、何?」

 深めた笑みのまま、自分の唇を軽く指で叩く。

 続きは後で。

 そう、ささやくような声で伝えれば、かのと先輩の顔は真っ赤になった。





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