会計が狼狽えてる話。 互いに顔を背けたまま、ただ握り合った手に意識が集中する。心臓がばくばくだ。 「あ、あのさ」 「な、何?」 意を決し、風紀委員長が口を開いた。 「オレがさ、風紀委員長なって少しした頃から、名前で呼んでくれなくなったろ?」 「……あ」 「何か理由とかあるのかなって」 「……そ、それは……だって」 風紀委員長の問いかけに、会計は狼狽える。 理由らしきものがあるにはある。けれどそれは本人には言いにくい。何せ、他の人が下の名前で呼んでいるのが羨ましかったり、風紀委員長になって人気が跳ね上がってしまったり、忙しくなったせいで距離ができた気がしてしまって寂しかったりといったものなのだ。 特に、一番の理由は上記のことから自分の気持ちを自覚してしまったことにある。自覚したら、それまでと同じように接することができなくなった。名前を口にすることすら、緊張するようになった。 「もう、名前で呼んでくれねぇの?」 「……ま、前みたいに呼んだ方が、良い?」 ああ、と頷きかけた風紀委員長は、けれど思い直し否定の言葉を口にする。 「いや……できれば、下の名前で」 「えっ!?」 勢いよく、会計は風紀委員長を見る。その際、握った手の力を強めてしまい、風紀委員長も会計の方を向いた。会計は顔を真っ赤にしてはくはくと息をしている。風紀委員長は思わず息をのみ、手の力を強める。 「い、いいの?」 「ああ」 「あ……じゃ、じゃあ、オレのことも、下の名前で、呼んでくれる?」 「っ!喜んでっ!」 風紀委員長もまた、他の人が下の名前呼んでるのを羨ましく思っていた。例えば二組のあいつだとか、文化祭で総合司会やってたあいつだとか、最近会計にアタックしてると噂になっているあいつだとか。後から出てきたくせにしっかり下の名前で呼んでいるのを見るのは、なかなかおもしろくないものがあったのだ。 食い気味に応えた風紀委員長に、不安げだった会計が嬉しそうに顔を綻ばせる。 それから、じっと風紀委員長を見つめた。風紀委員長も、期待を込めて会計を見つめ返す。 「……じゃ、じゃあ……」 「ああ」 先ほどまで顔を逸らしていたのが嘘のように、今度は視線をそらすことなく見つめ合う。知らず、二人の距離は近づいていた。 「……えっと」 「ああ」 ほぼ、額をつきあわせるほどに顔が近づく。相手の呼吸が肌で感じられる。高鳴る鼓動が、聞こえてしまいそうだ。その至近距離に、息が苦しくなる。どちらからともなく、握り合う手にぎゅうと力を込める。 「……その」 「ああ」 掠れた声。 会計が、風紀委員長の名を呼ぼうと唇を湿らせ、短く息を吸い込んだ。そして口を開き、 ガコンッ! 「っ!?」 突如響いた音に、二人は勢いよく視線を向ける。 そこには、副会長がいた。二人に背を向けた状態で、自販機からペットボトルを取り出している。身を起こし、それから副会長は二人の視線が自分に向いていることに気づいた。不可解そうに眉をひそめ、それからああと納得する。 「もう戻るから。気にせず続きをどうぞ」 どうぞと言われても。 すちゃっと軽く手を挙げた副会長は、白い光沢のあるパジャマ姿だった。その上から臙脂のロングカーディガンに袖を通していた。 実は副会長。少し前から談話室の入り口にいた。飲み物を買いに来て二人の姿を見つけてしまい、甘ったるい空気に入りたくないなとしばらくの間ぼんやりしてしまっていた。 とはいえ、いつまでもぼんやりしているわけにはいかない。幸いというか、二人の世界に入り込んでしまっているので、声をかけなければ気づかれることはないだろうと当初の目的を完遂することにした。 静寂の中、思ったよりも自販機の音が響いてしまったのは誤算だったが。 副会長のどうぞ発言に、会計がはじかれたように立ち上がる。 「つ……つづ、続きってっ」 「いい雰囲気だったろ」 「あ……う……」 顔を真っ赤にした会計が、狼狽えたように何度も風紀委員長と副会長を見比べる。そうして、限界とばかりに副会長に突進した。 「ち、違うよっ!」 副会長の背中にへばりつき、違う違うと繰り返しながら額をぐりぐりと押し付ける。背後に呆れを向けた副会長は、次いで咎めるような視線を風紀委員長に向ける。視線を受けた風紀委員長は気まずそうに顔を逸らした。 どうでも良さげに溜息をこぼした副会長が、わかったから落ち着けと会計を窘める。会計はおとなしくなったが、副会長の背中から離れない。と言うか、どうも風紀委員長から隠れているようだ。 会計の落としたカーディガンを拾い、風紀委員長がソファから立ち上がる。 「あー…本当に話をしてただけだ」 「そうか?」 カーディガンを会計の代わりに受け取った副会長は、片眉を軽く上げる。疑わしげな表情だが、追求したりはしない。深く関わる気がないからだ。 「まぁ、オレは戻るから、話なり何なり好きにすればいい」 「オ、オレももう戻るっ」 副会長の背中から、会計が主張した。 副会長は己の背後を見て、と言ってもかろうじて髪が見えるだけだが、それから風紀委員長に視線のみでいいのか?と訊ねた。風紀委員長は苦笑を浮かべる。 「用はもう済んだからな」 そもそも、結果報告をするために談話室で会計に待っていてもらっていたのだ。しかも、本来はメールでも事足りた。用という程の用ではない上、その報告すらすでに終えている。引き止める理由はない。感情面では別だが。 会計は申しわけなさそうに顔を覗かせるも、風紀委員長と目が合いそうになると慌てて引っ込んだ。 「そうか。なら少しオレの部屋に寄ってくれないか?英語の宿題で、どうしてもうまく訳せないところがあるんだ」 「いいよ。てか、オレも予習してたとこだし、良かったら少し一緒にやる?」 「それは助かる」 会計と副会長の穏やかな会話を、風紀委員長はただ眺める。気兼ねなく部屋を行き来する関係が、少し羨ましい。いや、羨ましくない。二人が親しい友人だと知っている。友人関係は羨ましくない。……親しいのは羨ましいが。 それじゃあと、副会長が風紀委員長に別れを告げる。風紀委員長はああと返した。会計が、おずおずと副会長の背中から顔を出す。今度は風紀委員長と目があっても引っ込まない。 「えっと……色々ありがとう」 「いや。じゃあ、また明日」 「う、うん……お、おやすみなさい、想君」 「っ!?」 言い逃げるように一息で言い切ると、会計は早く早くと副会長の背を押して談話室を後にした。残された風紀委員長はしばらく硬直していたが、やがて油が切れたロボットのようにぎこちない動きでソファに戻り腰を下ろす。 そうして、両手で顔を覆った。 「―――――っ!!!」 声にならない悲鳴を上げ、ソファに突っ伏す。じたばたと暴れ、とても他人には見せられない様だが、そんなこと気にしている余裕はなかった。 ようやく呼んでもらえた名前。恥ずかしそうに赤く染まった顔。うわずった声。こんなにまでテンションが上がるだなんて、思ってもみなかった。 嬉しさで悶える風紀委員長は、この時すっかり忘れていた。 自分の部屋で会長が待ち受けているということを。 <> [戻る] |