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■I can fly!
リコール会長の話。




 御子柴迅元生徒会長が、校舎の三階から飛び降りた。

 その噂は瞬く間に学園中を駆け巡った。

 御子柴迅元生徒会長は庶子の出でありながら、他者を威圧する貫禄と類い稀なる能力を兼ね揃えていた。その為、この家の権力が物言う学園において異例ながらも生徒会長というトップの座に治まった。

 性格は尊大で横暴。人を人とも思わない態度はまさに権力者のそれ。牙を向く者には容赦のない報復を。反発する者もいるにはいたが、圧倒的な実力差を見せつけ黙らせる。

 誰もが口を揃えて暴君と呼ぶ。しかし、その手腕は確かで付き従うものも多かった。

 風向きが変わったのは一人の転入生が来てから。

 学園の現状を知った彼は異を唱え、次々に役つきの生徒を味方につけ真っ向から会長に勝負を挑んだ。

 結果、御子柴迅元生徒会長は生徒会を解任。クラス落ちという処分が下された。事件が起きたのはそれから二週間後。

 不良クラスが集められた旧校舎。その三階の窓から御子柴元会長は落ちた。すぐさま教師が駆けつけ救急車が呼ばれた。学内は上を下への大騒ぎ。

 飛び降りる寸前、元会長は叫んでいた。

 I can fly!

 発狂したとしか思えない。もしくは自殺未遂。これまでの輝かしき栄光から一転、地に落ちた生活に耐えられなくなったに違いない。

 さらに言えば、元会長が落とされたクラスはいわゆる不良クラス。優等生のお坊っちゃま嫌いの彼らはきっとこの学園の元トップに‘熱烈な歓迎’をしたことだろう。

 今まで人の上に立っていた彼が、虐げられるなどどれ程の屈辱か。それが生徒たちの一致した意見だった。

「あれが自殺なんかするタマかよ」

 本来の穏やかな口調はどこへいったのか。憎々しげに吐き捨てたのは副会長。

「発狂……というのも違和感あるな」

 戸惑いを浮かべる書記。これまでの傍若無人ぶりを知っているため、その噂を信じられずにいる。

「でも、飛び降りたのは本当だよー?」

 どこか楽しそうに言うは会計。興味なさげに欠伸をしつつもその瞳は喜色に揺れている。

「こら、不謹慎だぞ」

 そんな会計をたしなめる声一つ。御子柴を会長の座から引きずり下ろした張本人。転入生の現会長。

「だって、いいザマー」

 態度を改める様子のない会計を睨み付ける。が、どこ吹く風。そっぽを向いて舌を出している。現会長は諦めてため息を一つ落とした。

 それから副会長と書記の物言いたげな視線を受け止める。御子柴の奇行に不安を感じているのだろう。

「……嫌がらせ、ということは考えられないか?」
「……嫌がらせ?」
「あいつなら嫌がらせでそれぐらい平気でやりそうだろ?」

 それは確かにすごく、ものすごくあり得そう。忌々しげに納得する副会長と書記を、会計はただ一人愉快げに眺めていた。





「迅君は三階から飛び降りたら死ぬの?」

 そう言葉を発したのはどこにでもいるような平凡な男子生徒だった。平均的な顔立ちに平均的な身長。運動神経は少し悪く、成績は少し良い。名は鈴木敬太郎。

 そんな彼は何の手違いか不良クラスに在籍している。そして今いるのは学園御用達の病院の一室。広い病室のベッドの横に腰掛け、シャリシャリとリンゴの皮剥き中。

「たがだか三階から飛び降りたくらいで、死ぬわけねぇだろ」

 手にした文庫本から顔を上げもせず、不機嫌に答えたのは御子柴元会長。ベッドの上で身を起こす彼の右足は、ギブスでしっかりと固定され吊るされている。

「普通はタダじゃすまないって言われたよ」
「オレは普通じゃねぇからな」
「ふぅん」

 面倒くせぇとばかりに適当にした返事にあっさりと納得される。御子柴は一瞬、ちらりと鈴木にうろん気な眼差しを向けた。

「でも、自殺未遂したって噂になってるよ」
「あぁん?」

 聞き捨てのならない言葉に、御子柴は今度こそ文庫本から顔をあげ、鈴木を睨み付ける。人一人殺せそうな視線を向けられても、鈴木は涼しい顔。きれいに切り終えたリンゴに楊枝を刺し、己の口へと運ぶ。

「随分となめた噂じゃねぇか。誰がんなヤワだって?あぁ?」
「迅君」
「表に出やがれ」
「無理じゃない?足、折れてるんだから」

 さらりとした鈴木の返答に、御子柴のこめかみがひきつる。二度とそんな口がきけぬよう、身体に教え込ませようとするが、それに対しても軽い返事。

「無理じゃねぇよ。拳がありゃ充分だろうが」
「あぁ…そっか。でも痛いのヤだから」
「………」
「それに言ってるのオレじゃないし」
「なら、そいつら代りに沈めとけ」
「それこそ無理だって」

 オレ非力だからと言う鈴木に、御子柴は胡散臭げな視線を向ける。本当に非力で無力ならば何故萎縮することなく自分と対話できるのだと言いたい。切り終えた見舞品のリンゴを、持ち主の許可なく食べられるのかと訊きたい。

 単に神経が図太いだけなのだろうか。

「でも迅君、三階から飛び降りたら骨折するんだね」
「しねぇよ」

 したじゃんと言う意味を込めて、鈴木は視線を向ける。当然の疑問を、御子柴は鼻で笑ってあしらった。

「はっ、弘法も筆の謝りつぅだろぉが。本来ならこんなヘマしねぇよ」
「あー…、雨上がりだったらしいね」

 御子柴が飛び降りたのはちょうど雨が上がったとき。窓枠は濡れて滑りやすく、大地はぬかるんでいた。

 その為、飛び降りる瞬間足が滑った。空中で立て直したが着地でバランスを崩しかけ、うまく衝撃を逃せなかった。

 それでも不良連中は拍手喝采。

 総長すげぇっ!さすが総長!総長かっこいー!

 御子柴は不良グループの総長だった。

 ‘熱烈な歓迎’は文字通り‘熱烈な歓迎’だった。なんせ自分等の尊敬する総長がいけ好かない坊っちゃんクラスから自分達のところにやって来るのだ。御子柴初登校の日はお祭り騒ぎだった。

 そして事故当日、風紀委員長が校舎二階から飛び降り逃走したという噂が不良クラスに流れていた。それに対抗心を燃やしたのが元会長の御子柴。

 オレにだってそれくらいできる。むしろ三階からだって余裕だ。

 そして窓からジャーンプ。

 ちなみに学園から連絡を受けた御子柴父は、

 三階から飛び降りて骨折だと?軟弱な!そんなヤワに育てた覚えはない!オレなら四階からだって余裕だ!

 と叫び、実行しようとして周りの人々に取り押さえられた。

 まさに親子である。

「生徒会は動揺して変に勘ぐってるって」
「ほー…」
「委員長は大爆笑だって」

 今回廻った噂を耳にして、その真相を正しく理解できたのは風紀委員長ただ一人だけ。自分に対抗しようとした結果の骨折なのだ。笑わないわけがない。腹を抱えて笑う委員長を、風紀委員は目をまるくして見ていたと言う。

「……ヤロォ」

 もちろん、御子柴がそれを聞いて面白く思うわけがない。口元に不適な笑みを浮かべ、退院後どのような報復をするか頭を働かせる。

 ろくでもないことを考え始めたな。そう思いながらも鈴木は止めることをせず、二つ目のリンゴに手を伸ばそうとした。

「食いすぎ」

 その手を叩き落とす人物があった。片手に花を活けた花瓶を持つ、長身の男子生徒。

「あ、まー君おかえり」
「おぅ。……おい、御子柴。面倒事起こすなよ」
「あ?オレの勝手だろうが」

 御子柴の返答に、まー君は嫌そうに顔を歪ませる。

「あいつら止めるだけで辟易してんだ。この上委員長までとか冗談じゃないぞ」

 あいつらと言うのは御子柴のチームの不良どものこと。この日、見舞いに行くと言う奴らを押し止めるのにどれだけ苦労したことか。絶対に病院で騒ぐに決まっている。

「オレのために尽くせ」
「あんたのチームに入った覚えはない」
「いい加減腹くくれよ」
「迅君。まー君はオレのだから諦めて」

 僅かに険を含んだ鈴木の言葉。御子柴は肩を竦めただけで軽く流す。

「別にオレは二人纏めてでもいいんだぜ?」
「却下。敬太郎、帰るぞ」
「ん。じゃあ迅君。またね」
「次は気のきいたもん持ってこいよ」
「善処する」

 バタンとドアが閉まり一人きりになると、御子柴は頭の下に腕を差し込み仰向けに寝転がる。

 考えるのは立場は変われど変わらぬ関係の相手。さて、どんな報復をしてやろうかと。

 奸計を巡らす御子柴の口元には、小さな笑みが浮かんでいた。





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