お誘い
「左京が、今度食事でもしに来ないかって」
「食事?」
「うん。前は会えなかったから、それでって」
そう言って、椿は視線をさ迷わせる。どうしたのかと眉をよせれば、箸を止めわずかに首をかしげた。
「ちょっと。サエさんに変なこと言われて……そんなんじゃないのにね」
「サエ?」
「うん」
それ以上の説明はなく、ただ曖昧に笑うだけ。重ねて訊ねても返事はないだろうと諦め、煮魚を箸で崩す。
「都合が良ければでいいから。話がしたいとかじゃなくて、本当にただ顔を見ておきたいみたいで」
このタイミングでか。
今朝までならば気にしなかっただろうが、今椿の保護者代わりに会うのは気まずいものがある。どんな顔をして会えばいいというのだ。
けれど、悪い気はしない。何より、どんな所で暮らしていたのか見てみたい。
「明後日」
「ん?」
「……は用があるからそれ以降で。月都ん所と被らなきゃいつでもいい。任せる」
「……………わかった」
瞬いた後返事をし、すぐに俯きもそもそと箸を進め始める。それでも、じわりと染み出てくる嬉しそうな空気は隠しようがない。
気づかれぬよう、そっと笑みを浮かべた。
まだ帰ってきていないと思い家に着けば、椿はすでにいた。台所で黙々と夕飯の支度をしていた。その後ろ姿を眺めていると、何とも言えない感情がわき上がってくる。ずっと、こうしていられればいいのにと。
諦めようとする必要はないだろう。どうせその内出ていく。そうすれば縁は切れ、会うことはなくなる。後は時間の流れがどうにかする。
焦る必要はない。どうせ無理なのだから、せめて傍にいる今だけは。少しぐらい、勘違いしたくなるような状況に浸っていたい。
里芋を口の中に放り込む。
当たり前のように椿が飯を作り、それを共に食べる。あまりに馴染みすぎて、もうずっと前からそうしているような錯覚を覚える時がある。実際は、まだ半年を過ぎて少しだというのに。
いつまでこうしていられるのか。その考えに蓋をする。
「……あぁ、後」
「ん?」
言い忘れていたことがあったと口を開けば、椿が箸を止め首をかしげた。
「あいつのいない日にしとけよ」
「……あいつ?」
さらに首をかしげた椿が、動きを止め暫し考える様子を見せる。やがて思い至ったようで、あぁと呟いた。
「忍?……うん。それなら大丈夫だよ」
なら、いいんだが。
本当に大丈夫なのかと、念を押すような視線を向ければ、わずかに困ったような笑みを浮かべる。
「言ってなかったっけ?忍、家出てるから」
「……そうなのか?」
「うん。よく帰ってるけど、毎日のようにってわけじゃないし。ずらすのは簡単だよ」
やけに帰ってこいだなんだ言ってたくせに、本人は家を出てたのかよ。前に来た時、無理矢理代わって来たみたいな話だっだが、何わざわざんなことまでして来てんだ。
関係なくはねぇだろうが、デバってくる場面でもないじゃねぇか。
そんな考えが表情に出てたのか、椿が困惑気味に見つめてくる。困らせたいわけじゃねぇんだが、どうにも虫が好かなくて仕方がない。
「何て言うか」
「ん?」
「忍には何度か一緒に住もうって誘われてて」
「……何だそれ」
「それを断ってたのに、ここに押しかけるようにして住み着いたりしたから。それで面白くないってのもあるみたい」
それであの態度だったってわけか。最初から喧嘩腰だった理由がよくわかった。
「断ったのか」
「ん?うん。そうする理由もないし」
理由がないから、あいつの所にはいかなかった。ここには、いたいからいる。そのことに、気分が良くなる。
―――いらないって言われたら仕方ないけど
不意に脳裏を過ったのは、椿が以前口にした台詞。
自身を落とし物に例え、拾ったオレの物だと言っていた。いらないと言われたら仕方がない。けれど、いらないと言わなければ。そうすればずっとここにいるだろうか。
そうなら良い。
本当に、そうなれば良い。
ずっと、傍にいれば諦めがつかなくなるだろうに、そう思うのを止められない。付き合っている奴がいる。たった一人、執着している相手がいる。
それでなくとも、サキや光太とやけに仲がよく。親戚だからと、付き合いが長いのだからと割りきれない。
なつかれて、好意を寄せられている自覚はある。でなければここにはいない。わがままを言ってまで居座ろうとはしない。
けれどそれは、
「……………シキ?」
「ん?」
「それじゃあ、左京と相談してみて、決まったら知らせるから」
「ああ、頼んだ」
ぼんやりと思考を巡らせて、椿の声に我に返った。
意識したからといって、何も変わりはしない。それまで通りの日常。各々、したいように過ごし、夜になれば眠る。
ただ、同じベッドの中、触れることのない背中がこれまで以上に熱く感じる。どうにか眠りについても明け方、耐えきれなくなって身体の向きを変えた。
こちらを向くことのない後ろ姿。明かりの消えた寝室の中、その後頭部をただ眺める。
ゆっくりとした呼吸。目の前にある艶やかな髪。ほんの少し動けば触れられる距離だというのに。
手をのばすことができずに、指先がチリリと痺れる。
深呼吸し、閉じていた瞼を開く。目に入るのは高い冬の空。鋭い風が頭を冷やす。こんな日にまで一体何を考えているのか。
自分の思考回路に呆れながら、柄杓に水を掬った。
パシャリと跳ねる音。湿る石の色。もう一度水をかけ、それからしゃがみこむ。すでにマスターが来たのだろう。きれいに掃除されたそれを、ただ眺める。
肌を刺す冷たい空気。吹き荒ぶ風の音。ぼんやりと、時が過ぎるのを待つ。
やがて、様々なことを振り切るように小さく息を吐いた。瞼を閉じ、両手を合わせる。
願うことも、伝えたいことも何一つないが。
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