幽霊騒動 ■■■■■ ガチャリという音で意識が浮上した。 ペタペタと足音がして、再びドアの開く音。廊下に向かったのか。便所に行ったのだろう。 どっちだろうか。起きてみようかみまいか悩む。椿なら、一声かけておきたい。いや、何か用があるわけでもないが。声をかけたところで、話があるわけでもなし。 どうしてこんなことになったのかと、息を吐きそうになる。桜子とその祖母の確執など今さらだというのに。今までなら、叱られたとしてもここに来ることなどなかった。それがこうやって来るようになったのは以前に一度、いや二度上げてしまったからだろう。どうこう言うつもりはないが。 桜子に任せれば無理矢理にでも連れていくだろうと連絡した。だがなぜか家出を公認するとか言い出して。あれは意見を変えやしない。そういうところが母親によく似ていて、だからこそ祖母の疎まれているのだ。 労力の無駄になる上、椿が疲れた様子を見せていた。長引かせるのは得策でないと折れたはしたが。どうして、こうなった。 息を吐き、狭い中寝返りを打つ。何となしに瞼を開くと椿の後頭部が目に入った。 「……椿?」 ならば先程部屋を出ていったのは月都か。ぼんやりとその頭を眺めていたが、ちょっと待て。何でここにいるんだ。寝室で寝ているはずではないのか。 なぜと、うまく回らない頭で考えていると、椿がわずかに動いた。ゆっくりと振り返る。覚醒していないのだろう、眠たげな表情には不思議そうな色が浮かんでいて。次いで、嬉しそうに微笑む。そんな顔を見せられたら、ここにいる理由などどうでもよくなった。 「椿」 「うん」 呼べば答える。頬を膝にのせ、嬉しそうにこちらを見つめている。胸が満たされて、気づけば手が動いていた。 けれどふと。これは夢でないかと。起きたら傍にいるだなんて、そんな都合のいいこと。手が止まる。椿の顔が寂しそうに翳る。 あぁ、やっぱり夢だ。夢に決まっている。ならば躊躇う必要などない。再び手をのばし……悲鳴が聞こえた。 …………あ?何だ? ゆっくりと身を起こす。声が聞こえたのは廊下の方向。そういやさっき、誰かがつか、月都が出ていった。何をやっているんだこんな夜中に。 傍らに視線を戻せば、椿がぼんやりと見上げてきている。夢ではなかったのか。早まらなくてよかった。一つ息を吐き、立ち上がる。 廊下に出ると、右手側のドアが開いていて眉をひそめた。何勝手に入りこんでんだと思うものの、すぐに寝ぼけて間違えたのだとわかった。泊まっていることを忘れ、自分の部屋に戻ろうとしたのだろう。位置関係としては、月都の部屋と同じ位置のドアだ。 中を覗き込む。明かりは消えたまま。月都は床の上に尻餅をついていた。 「……おい」 「っ!?…………シキ?」 「何やってんだ」 ビクリとした月都が、涙目で這うようにして近寄ってくる。足にしがみつくと、震える指で壁の一面を示した。 「ゆ……ゆ、ゆ、ゆ」 「あ?」 「ゆう……幽霊、が、」 「……は?」 何馬鹿言ってんだと顔をしかめる。示された先を見て、すぐに合点がいった。そういうことかと、喉奥で笑いを堪える。 「どうしたの?」 ゆったりとした声に振り向けば、様子を見に来たのだろう椿がいた。顔を上げた月都が、ヒッと悲鳴をのみ込む。おかしくって、肩が振るえる。 月都のしがみつく力が強くなる。椿が首をかしげた。 「月都、よく見ろ」 「へ?」 パチリと室内の電気をつけ、足を軽くふって促す。再び壁に目をやった月都が、あ、と間抜けた声を出した。 壁にかかっているのは完成したばかりの一枚の絵。浴衣を着て座り込んでいる椿の絵だ。寝ぼけた月都は、これを幽霊と見間違えたのだろう。だとしたら出来は上々だ。 「何?」 状況を理解できず首をかしげる椿に、肩を竦めてから絵を示す。室内を覗き込んだ椿が、あ、と声を漏らした。 「出来てたんだ」 「ああ」 ほぅと息を吐いて絵を見つめる。その様子に気分がよくなった。 「こいつ、それ幽霊と見間違えたんだと」 「え?あぁ……って、え?」 納得しかけた椿が驚き月都を見る。月都は気まずげに顔をそらした。 「じゃあ、さっきオレのこと見て変な声出したのって」 「うっ」 「はぁ……一体ヒトを何だと」 「だ、だって……」 椿は呆れたようにため息を漏らした。居心地悪そうにしながらも、月都が立ち上がる。 「だ、大体、どこいたんだよ。起きたとき、いなかったろ」 「え?あぁ……」 チラリと椿がこちらを見て、すぐに月都に視線を戻す。 「……水、飲みに行って。そのまま寝てた」 水。それでだったのか。テーブルの上にコップがあったかは思い出せないが。 とにかく、もう夜中だからとっとと寝ろと二人を追いやる。一度、絵をじっくりと眺めてから電気を消した。 それにしても、変に目が冴えた。水分でもとろうと台所に向かうと、先客がいた。椿が流しの横におかれたコップに手をのばしている。こっちで飲んでいたのか。 …………ん?水を飲んでいたのは台所で、寝てたのはリビング? 「シキ?どうしたの?」 「あ?あー、いや、水」 あぁと微笑んだ椿が、棚からコップを取りだし水を注ぐ。 「はい」 「あぁ。ありがとな」 何となく、そのまま壁に寄りかかりコップに口をつける。椿も、残っていた水をゆっくりと飲んでいる。 「……月都は?」 「ん?先にベッドに戻ったよ」 そりゃそうか。 「……水、めずらしいな。寝つけなかったのか?」 「あー……うん。ちょっと」 歯切れ悪く視線をそらされた。どうかしたのだろうかと眺めていると、チラチラとこちらの様子をうかがってくる。 「椿?」 「んー、その……やっぱオレ、ソファで寝たいんだけど、ダメかな?」 「……月都、寝相悪かったか?」 「ううん」 「寝言か?」 「違うよ。ただちょっと……寝つけないだけで。ダメ?」 「……いや」 思わず答えれば、椿はほっと安堵して見せた。本当に、寝つけずにいたのか。 そもそも、ベッドの方がゆっくり休めるだろうからと譲ったのだ。寝つけないと言うなら代わることに否はない。疑問は、残るが。 時間をかけ水を飲む。その後、椿はソファに、オレは寝室へと向かった。 「……じゃあ、おやすみ」 「ああ。おやすみ」 寝室に入り、月都のいるベッドに潜り込む。まだ起きていた月都が、疑問の声を上げた。 「あれ?……シキ?」 「ああ」 「椿、は?」 「こっちじゃ寝れないってんで代わった」 「……オレのせい?」 「いや」 「そっか」 納得したのかはわからないが、しばらくして背後から寝息が聞こえてた。いつもと同じはずなのに、いる人物が違うというだけで、何だか妙に座りが悪い。椿は、それで寝つけなくなったのだろうか。 そういや、どうしてソファの横で寝てたのか訊きそびれた。 <> [戻る] |