一寸先の事 陳列棚に、見覚えのあるパッケージを見つけた。考えるより先に手に取り、じっとそれを見つめる。 昨夜は、遅くまでシキと話していた。他愛ない話。それでも、気づけば夜は大分更けていて。 高校なんて行きたくないと言い出されて、行っておいて損はないと思いながらも、その気持ちはわかるから何とも言いにくかった。ただ、オレも春から一年生のやり直しだから同学年だねと。 そしたら高校とはという話になり。 サエさん含め、周りに高校生は何人もいたし、オレに至っては中高同じ校舎内のためあまり違いなどないように感じていた。 ただ、話していてふと。本当に何となく、シキのことを思った。どんな高校生だったのだろうと。 芸術選択が美術だったとは聞いた。部活には入っていたのだろうか。制服は、ブレザーか学ランか、それとも私服だったのか。一時期は、悟さんのところにいたとも言っていた。ならば、この近隣の学校だろうか。 その時は、そんなことをつらつら思っただけで終わった。 シキに、花見に誘われて、もうそんな季節かと。始業式前にもう一度、顔を出しに行った方がいいだろうと考えて、そう言えばと思い出してしまって。 そうしたら、気になって仕方なかった。 訊いたら、教えてくれるだろうか。もし、訊ね返されても、話せることは少ないけれど、それでもと。 商品を手にしたまま、レジに向かう。 「いらっしゃいませー」 「お願いします」 ピッとバーコードが読み取られ、金額を告げられる。袋は断り、セロテープの貼られた箱と釣銭を受けとる。 「……終わるの、待ってていい?」 その質問がくると予想していたのだろう。男前な笑みと共に了承される。断られることはないとわかっていた。 コンビニを後にし、近くの公園のベンチに腰を下ろす。しばらくぼんやりしてから、買ったばかりの箱を開ける。中からチョコを一つ取りだし、包みを外し口に入れる。陽射しが暖かい。 遅くまで、話を聞いて、話をした。本当に、大したことのない、些細なことばかりだけれど。気づいたときには大分夜が更けていて、慌てて風呂に入った。 優しく、ハンドクリームを塗ってもらって。包み込む手を、握り返してしまいたいなんて。そんなことをしたらきっと、離せなくなってしまうのに。 瞼を閉じる。風に揺れる木の葉の音。どこか遠くで、鶯の雛が鳴く練習をしていた。耳を澄ませて、時をゆっくりと過ごす。あまりにも満ち足りていて、気が塞ぎ込みそうだ。 待ち人は、数時間もたたない内に来た。近づいてくる気配に、瞼を開ける。ひらりと手を振られたので、振り返した。 「珍しいね」 「そう?」 こうして訪ねるのは初めてではないけれど。 「それ、菓子買うの初めてでしょ?いつもは飲みもんじゃん」 「あー…うん。ちょっと、今気に入ってて、これ」 「ふぅん?」 何となく、視線をそらしてしまった。 「で?」 隣に腰を下ろし、単刀直入に訊ねてくる。すぐ傍らの温もりに、少しだけ心が軽くなった。 「うん。ちょっと」 「ちょっと?」 「……うん」 首をかしげて覗いてくるのに、笑みで答えた。それから地面に視線を落として、息を吐く。 「ちょっと、自己嫌悪に陥って」 そしたら、サエさんに会いたくなった。 「そ。嫌なことでもあった?」 地面を見つめたまま、ゆるく頭を振る。 「逆だね。満ち足りていて……忘れたかったことを忘れられるのはいいんだけど、忘れちゃいけないことまで、忘れてしまいそうになる」 「そ?」 「うん……それに、勝手だなって」 「勝手?」 うん、と小さく答えた。 隣からサエさんの視線を感じるけれど、そちらを向きはしない。自嘲が溢れる。 「今まで、散々無理って言ってたのに、実際蓋を開けてみればオレが好きになったのは男だよ」 「そだね」 「しかも、シキに触れられるのは嫌じゃない……ってか、むしろもっと触れてほしいとか……」 「へぇ?」 楽しげな相槌に、思わずジト目を向ける。サエさんはクツクツと笑っていた。一つため息を吐いて、また一つ、心が軽くなる。それから自分の手を広げて見つめた。 「他人に触れられるの、苦手なくせに、シキには触れてほしいなんて勝手だよね」 「そう?好きな相手に触れられたくないって方が珍しくない?」 「それはまぁ……そうかもしれないけど」 「大体、同性好きになる予定じゃなかったとしても、世の中何が起こるかなんてわからないっしょ。一寸先は闇だから楽しいんだよ」 手を下ろし、サエさんの方を向く。楽しげに細められた目が、真っ直ぐに見つめてくる。 「何があるかわかってたらつまらないじゃん」 「……そうだね」 「それに、好意を向けられること自体が嫌なんじゃなくて、その先が嫌なんでしょ。なら、シキを押し倒したりしない限りは自分勝手じゃないって」 「いや、そんなことしないよ」 「じゃ、いいじゃん」 「う〜ん」 確かに、自分がされて嫌なことをしないようにというならばそうかもしれないけれど、そういう感情を向けられるだけで嫌っていう人もいるわけで。 まぁ、シキはあまり気にしないでいてくれてるみたいだけれど。そもそも、応じる気がないから男も女も関係ないのかもしれない。 「むしろ一回押し倒しちゃえば?」 「…………いや、何でそうなるのさ」 「もちろん無理矢理はダメだけどさ、生殺しの状態でぐだぐだ悩んでるより、いっそ当たって様子見てみたら?それで砕けたら慰めるし」 「生殺しでも、傍にいたいんだよ。それに……無理だし」 「だろうね」 サエさんが軽く肩を竦める。答えなど聞く前からわかっていたのだろう。 そもそも、すでに告白しているのだから、もう当たって砕けているのだ。追い出されていないから、砕けたとは言いがたいのかもしれないけど。 隣では、サエさんがクツクツと笑っている。 「……サエさん、何か楽しそうだね」 「そう?」 サエさんが立ち上がって、手を差し出してくる。その手に自分の手を重ねた。 「でもさ、こうなってくると、本当に……」 言って、サエさんはわずかに顔を歪める。それに答えるのに、微笑を浮かべる。眉尻が下がってしまっている自覚はあるけれど。 「うん。本当に、ね」 その先の言葉はサエさんを傷つける刃にしかならないから、口に出さない。 繋いだ手に力を込め、立ち上がる。 一寸先は闇で、だからこそ楽しいのだとサエさんは言った。そう、わからない方がいいことだってあるのだ。 サエさんの望みが叶わないことも、オレの願いが叶わないことも知ってしまっている。知らない方が幸せなのに。 いつまで、シキの傍にいられるのか。その期限だって知りたくない。それでも、いつまでもいられるわけないとわかっている。だから、手を握り返すことができない。 けれど、今繋いでいるこの手が離されることがないのも知っている。離すつもりもない。だから、大丈夫。きっと、何があっても立ち直ることはできるはず。 だから、拒絶されるまでは、傍にいたい。 <> [戻る] |