特別な日
「……椿」
「……んー?」
「どっか入るか?」
うとうとし始めた頃、シキが手を止めて顔を覗き込んできた。
「……もう、いいの?」
「ああ」
スケッチブックを閉じて、シキが立ち上がる。何か、もったいないなと思った。でも、ここにいたら寝てしまう。こんなとこで眠れば風邪を引いてしまうから助かった。
ゆっくりと立ち上がり、足を止め待つシキを追う。
どっかにと言った通り、まだ帰るつもりはないようだ。時間が時間なので、入れるような所はあまりなく、しばらく歩いて明かりのついているファミレスを見つけた。
暖かい店内に入り、席に着く。熱いコーヒーを一口飲んで、ほっと息を吐いた。
夕食は先程の海辺で、適当に買ってきたおにぎりを食べた。屋外で食べることなど滅多にないので少し、不思議な感じがした。何か、ピクニックみたいで。
カップを握りしめて、手を温める。
目の前のシキは、腕時計で時間を確認して小さくため息をついていた。
さっきまでの眠気は消えていた。
今、何時ぐらいなんだろう。大分遅いんだろうけど、携帯の充電が切れてしまっているので正確なところがわからない。
視線を上げたシキと、目が合った。
「………今、何時?」
「もうすぐ十二時だな」
家を出てから、もう二十四時間以上たっている。本当に、何なのだろう。別に、早く帰りたいとかはないんだけど。
理由が全く見えなくて、難しい顔になる。シキが外した腕時計を渡してくれた。見ると、もう本当に五分もせずに今日が終わる。
チッチッチッと規則正しく動く秒針。
シキを見て、時計に視線を戻す。
今日はよくわからない一日だった。明日はどうなんだろう。いつ帰るつもりなのか。
何か、わからないかなと色々と思い出してみる。ヒントか何か、ないかなと考えてみて、ふとあることに思い至った。
チッチッチッと秒針が進む。
ああ、もしかして。
どうだろう。多分、きっと間違ってないはず。そうだったらいいなと、期待の方が大きいけれど。
チッチッチッと残りはわずか数秒。
「………シキ」
「ん?」
顔を上げたシキの目を、まっすぐに見つめる。
チッチッチッ。
「誕生日、おめでとう?」
カチリと、時計の針が重なった。
わずかに目を見開いたまま、シキは言葉を発しない。違ったかなと、首をかしげてようやく、シキが小さく息を吐いた。
「………なんで、疑問系なんだ?」
「………自信なかったから」
でも、あってたっぽい。良かった。自然と笑みが溢れる。
「よく、わかったな」
「うん。最近の事、思い出してみたら、もしかしてって」
まるで、何かを避けるかのように家から遠ざけられたなと思った。そしたら、志渡さんの事を思い出して、桜子ちゃんの言葉も浮かんだ。
誕生日に、足止めぐらいはすると。
それは、その日がもうすぐだったからこその台詞だったんじゃないだろうかと。
この間の集まりも。あれは、シキの誕生日祝いの意味合いが強かったんじゃないかな。ヤエはせっかくだからと言っていた。それは特別だったから。ケーキのリクエストも、そのためだろう。
決定的だったのが、トメの子。
予定日に生まれたら気まずいと言っていた。
「トメのとこの予定日って、同じ日だったんだね」
「ああ」
それは確かに気まずい。
「志渡さん、やっぱり祝いに来るの?」
「多分な」
「でも、ここまでする必要ある?」
祝いに来る志渡さんを避けて、というのはわかる。けど、丸々二十四時間家を離れてまでとは、やり過ぎに思える。そんなにまでして避けたいのか。
「………去年」
「ん?」
「日の出と共に押し掛けてきやがった」
「………」
前言撤回。やり過ぎなのは志渡さんの方だった。
シキがうんざりと項垂れる。わからなくはないけど、志渡さんの気持ちも少しはわかるから何も言えない。
やっぱり、祝いたい。
時間ギリギリに言葉を伝えることはできたけど、もっと早くに知っていればと。言ってくれれば良かったのに。
でも。
「………どうした?」
「ん?何でもないよ。………ただ、ちょっと嬉しくて」
「嬉しい?」
「うん」
志渡さんを避けるだけなら、シキ一人だけで十分のはず。オレを連れて出る必要はない。なのにシキは一緒にいさせてくれた。
だから、誕生日を迎える瞬間も、終える瞬間も傍にいられた。オレだけが。他の誰でもなく。
「シキの誕生日、オレが一人占め」
知らなかったけど、事実は変わらない。シキの事を大切に思う人は、祝いたいと思う人は他にもいる。けれど、その日一日、全ての時間ではないけど大半の時間を独占できた。
シキの誕生日なのに、オレがプレゼントをもらったみたいだ。そう思うと、少しおかしかった。
やっぱり、ちゃんと祝いたい。
「シキ、明日ってか今日の夕飯、何食べたい?」
「………気が早いな」
「七里塚の家では、誕生日に好きなものリクエストできるから」
食卓にはその人の好きなものだけが並ぶ。オレは特にないから、いつも光太の好物をリクエストしていた。
誕生日というとその光景が浮かぶ。飾りつけをしてのパーティではないけれど、特別な日。
だから、一日遅れにはなってしまうけど。
「………飯じゃなくてもいいか?」
「ん?」
「絵、描かせろ」
手に持ったままだった腕時計を、シキに返しながら首をかしげる。
「いつも描いてるよね?」
「じゃなくて。前みたいなちゃんとしたやつ」
前と言われて思い浮かぶのは学祭に展示されたもの。いつものように何もせずにいる姿を練習としてではなく、きちんとモデルをということなのかな。
「わかった」
そんなことで本当に良いのだろうか。
でも、シキは満足そうにしてるし、まぁいいか。夕飯はシキの好きそうなものを勝手に見繕って作ろう。
「椿」
「ん?」
「お前は?」
「うん?」
「誕生日」
一瞬、何を訊かれたのかわからなくて問い返してしまった。
「ああ。七月。七月の十八日だよ」
シキの顔がわずかに歪む。それに苦笑してしまう。
もう、とっくに過ぎている。いつまでいられるか何てわからないから、来年のその時にはもう傍にいないかもしれない。
それでも、もしその時シキといられたら。もし、まだ一緒にいられたら、きっととても幸せだ。
そんな、夢みたいなことを思った。
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