邂逅
雷鳴が轟いていた。風が唸りをあげていた。雨粒が、家屋を叩き壊そうとしていた。
幼心にそれは何か恐ろしい怪物のようにも思えて。明かりの消えた広い部屋の中で、一人眠れずにいた。
枕を強く握りしめ。布団の中に潜り込んで。けれど瞼を閉じることはできなくて。
音に怯えていた。
そして限界は唐突に訪れる。枕を抱きしめたまま部屋を抜け出して。暗く長い廊下を走りはせず、けれど早足で進む。
目的の部屋の前まで来て、どうしようか悩む。それでも外の音に急かされるように襖を引き、細い隙間から中を窺う。
中央の一組の布団。そこで眠る人が気配に気づいたのか身をわずかに起こす。枕元のスタンドが灯され、目が合った。
眉をひそめるその人に、小さな声で眠れないのだと告げる。呆れたようにため息をつかれ、布団がめくられた。
その行動にほっと息をつき、気が変わらない内にと急いで潜り込む。スタンドが消される直前、視界に入ったその人の顔には微かな笑みが浮かんでいて。
嗅ぎ慣れた絵の具の匂いを胸一杯吸い込み、瞼を閉じる。
外の音が止んだわけではないけれど、とても満たされていた。
背中合わせの体温に、そんな昔のことを思い出す。今の自分にはあの人のように絵の具の匂いが染み付いているのだろうか。あの頃の自分のように、満たされた気持ちでいるだろうかと。
目を覚ましてもしばらくは動けないまま。背後の気配を慎重に探る。どうやらまだ熟睡しているようだと判断し、起こさないようそっと身を起こした。
こちらに背を向け、わずかに丸まり規則正しい呼吸をしている。見慣れた姿のはずなのに、なぜかひどく奇妙に感じだ。
しばらくその寝姿を眺める。どこかで、振り向きはしないかと期待しながら。いつかのように、触れてみたいとも思ったが、ゆっくり息を吐き、寝室を後にした。
懐かしいことを思い出したせいで人恋しくなったのだろう。
おそらく椿は起きてこない。だから軽く朝食をとり、外へ出かけた。まだ、講義が始まるには早すぎる。どこかで時間を潰さなくては。
これ以上側にいたらなんて、よくわからないことを思いながら。
帰途に、声をかけられた。
「あれ、四季崎?今帰り?」
「あ?…ああ。バイトか?」
「うん」
ちょうど駅を出たところ。恐らくは同じ電車に乗っていたのだろう六郷と、並んで歩く。
「そういや、月末に同窓会あるけど、行く?」
「いや」
「やっぱり。一度ぐらい顔出しなさいよ」
「めんどくせぇ」
「もー、そういうこと言わないの」
まったく、と嘆息するのがわかった。ちらりと隣を窺えば、難しい顔をしてまっすぐ前を向いている。
「四季崎の連絡先、知ってる人いないから皆気にしてるわよ。ちゃんと生きてるのかって」
「何だそれ」
「悪目立ちしてたから。不良だの喧嘩してるだの」
きちんと勉強していれば授業に出なくても叱られなかった。だから小中でサボり癖がついた。高校に進もうと思い、中三ぐらいからは顔を出すようになり、高校ではわりと真面目に出ていたはずだ。
ただ中学が同じだった奴がそれなりにいて、そこから学校をサボる=不良といった噂が流れていた。
喧嘩に関しても、やはり小中の頃に因縁した話だが………あれはオレじゃねぇ。思い出しただけで腹立たしい。
「………それ、信じてたのか?」
「えー?信じるも何も、話したことすらなかったじゃない。判断できないって」
まぁ、そうだろう。学校の人間と会話した覚えはほぼない。好奇心あらわに声をかけられたり、いちゃもんつけられたりは何度かあったが、適当にあしらっていた。
中には物好きもいたが、基本的にクラスの連中の顔も名も覚えていない。だから、同窓会など行っても楽しめるわけなどない。
教室ではいつも一人でいた。
大人しく教室にいることは少なかったし、心地よく感じていたわけだが。
ふと、何時だったか思い浮かべた情景が脳裏をよぎった。教室の中、一人喧騒から離れて席についている姿。
「どうかした?」
「………いや。………まさかこうやって並んで歩くことがあるとはな」
「あぁ…まったくね。在学中は一度も話したことなかったのに。何がどうなるかわからないわね」
今でこそこうして会話しているが、高校時代はこいつの存在すら認識していなかった。卒業後に知り合い、クラスメイトだったのだと知った。
もし、少しでも周りに興味を持っていたら。もし、あいつより先に知り合っていたら、何か違ったのだろうか。
そこまで考えて、緩く頭を振る。仮定の話など無意味だ。何が変わるわけでもない。今更。
「四季崎、今日は寄ってく?」
「いや」
「何だ、残念」
短い言葉に小さく息を飲む。が、続いたセリフに意味を理解した。
「四季崎が来たら喜ぶのに」
誰が、と言われなくてもわかった。気づかれぬようにそっとため息をこぼす。
「………だからヤなんだよ」
「えー?何で?」
「うっとうしいだろうが」
「もー、そういうこと言わないの」
クスクスと楽しそうに笑う姿を視界から外す。何となく、早く帰りたいと思った。
シャーウッドの雰囲気ははっきり言って気に入っている。あそこでのんびりするのは心地がよい。だが、好ましくないことも、ある。
ここ最近はうまいこと避けられていた。喜ぶ顔など見たくない。それはあいつの、だけではなく。
まだ無理だ。こうして話に聞いているだけで、心がざわめく。まだ見たくない。けれど、もう少しだろうと、ぼんやりと思う。
少しずつ、他に気が逸れていっているのがわかる。だからもう少し。あと一息で気にならなくなるはず、だ。その他が何かなのかはとりあえず置いておくとして。
「じゃあ………その内顔出しなさいよ」
「あ?…ああ」
いつの間にか目的地にたどり着いていた。短く別れの挨拶をして、裏口に回る姿をなんとなしに眺める。
ふと、悪戯心が疼き、声をかけた。
「………そういや、誰もオレの連絡先知らないつってたな?」
「え?うん」
振り返り、首をかしげる六郷に笑みを浮かべる。
「一人だけ、知ってる奴がいるはずだが?」
「え?嘘」
「ついてどーすんだよ」
「誰?」
「さあな」
それだけ告げて家路に着く。後ろで呼び止める声が聞こえたが、気にせずに歩を進めた。
せいぜい悩めばいい。一緒にいる奴ではなく、少しでもオレのことを考えれば。後、少しだけ。そうすればこの感情から離れられるはずだから。
だからこれくらいのわがままは、いいよな。
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