感触 ■■■■■ 食事は問題なく終わった。 ほとんど口煩い母娘が話しかけ、椿が答えるといった形だった。そこにおとなしく話を聞いている月都が時折口を挟む。 話を振られることもあったが、適当にあしらっていると桜子が面白そうに口元を歪める。さらには夢子が意味ありげな視線を向けてくることもあり、不愉快だった。 椿は二人の質問に一つ一つ丁寧に、時々適当に答えていた。だが、どことなくいつもと様子が違う気がする。同年代の異性が相手で緊張しているのだろうか。そういうタイプではないと思うが。 桜子と話の合うやつなどいないと思っていたが、不思議なことに椿と話が弾んでいた。つーか、授業の話の何が楽しいんだ。学校サボってるくせに。 最初、桜子は椿が留年したという話をきいて眉をしかめた。それでも、言葉を重ねる内に瞳に好奇の色が浮かび始めた。椿に興味を持ったようだ。どういった興味かは知らないが。 帰る時にはまた来いと言っていた。椿に。だから気に入ったのだろう。あいつは社交辞令など口にしない。 何があったわけでもない。それでも妙に疲れて、帰るなりソファに座り込んだ。背もたれに寄りかかり、大きく息を吐く。 隣に椿の座った気配がした。薄目を開けて横を見ると、椿は踞るようにして横になっている。 珍しい。 こいつはよくソファの上で横になっているが、人が座っている時には並んで座る。 「椿?」 「……少し、疲れた」 背もたれに顔を押し付けるようにしているため表情は分からない。けれど、言葉通り声には疲れがにじみ出ていた。いや、強張っていると言った方が近いか。 顔は見えない。表情もわからない。どんな眼をしているのかさえ。それでも、なぜかあの雨の夜の事を思い出した。 あの時とは場所も時間も何もかもが違うというのに。 あの時、目の前にあったのは一枚の絵。 今、目の前にいるのは子供のように休んでいる人間。 まったく違うというのに、なぜ思い出したのか。なぜ、同じような空気を感じたのか。 答えが出る前に、自然に手が動いた。延びた先はスケッチブックではなく、隣で丸まっている椿の髪。 触れた瞬間、僅かに震えたが、何も言われなかったのでそのまま撫でる。サラサラとした髪が、絡まることなく指の間を流れる。その感触を楽しんだ。 以前に知らない人は苦手だと言っていた。その時は冗談だと思っていたが、今の状態を見る限りあながち嘘でもなかったようだ。 そういえば、悟達に会った日も帰ってしばらくは横になっていた。 敬語云々の方が適当な説明だったのだろうか。食事中、当たり前のように丁寧な口調で話していたし。 「……仲、良いんだね」 「……ん?」 思考に耽っていたせいで、反応が遅れた。撫でていた手を止める。頭の上に置いたまま。 「あいつらか?」 「……うん」 仲良し家族、なんて言い方バカにしてるととられてもおかしくはない。けれど、 「それ、あいつらに言ったら喜ぶぞ」 「………そう、なんだ」 「あぁ」 いつもの淡々とした澄んだ声ではなく、暗く沈んだ声。本当に疲れているのだろう。 「椿」 「………ん?」 軽く頭を二度叩く。 「好きなだけ休め」 途端、身体がピクリと動き、直ぐにギュッとより丸くなった。その肩が震えているように見えるのは気のせいだろうか。 「………ありが、とう」 僅かに掠れた声が、泣いているように思えた。 その後は特に会話もなく、いつの間にか眠ってしまった椿の髪を飽きることなく撫で続けた。うとうとし始め、このまま眠ってしまおうかとも思ったが一つソファの上で寝る意味がわからず、タオルケットをかけてやってからシャワーを浴びに行った。 風呂から出た後、自然と寝ている椿の様子を見に行きそうになった。けれど真っ直ぐ寝室に向かい、電気を消してベッドに寝転がる。 暗闇の中、手を見つめる。 まだ、髪の感触が残っている。 「忍達が挨拶に行ったんだってね」 「うん。話聞いたの?」 「大体。光太、複雑そうだったよ」 「そっか」 椿と共にシャーウッドに来たら、後からサキがやって来て当たり前のように並んで座った。 聞くともなしに聞いていた二人の会話に、ふと眉を寄せる。 「お前、光太とも仲良いのか?」 「へ?」 こちらを見たサキが首をかしげ、椿と見比べる。 「あれ?もしかして言ってない?」 「あ、うん」 何をだよ。 「あたし、一緒に住んでんだよ」 「………は?」 思わず溢れた間抜けた声に、サキは楽しそうに笑い、椿は少し困ったように首をかしげた。 「前は姉貴と二人で暮らしてたんだけど、姉貴、結婚しちゃってさ。何か、別に良いよって言われたから結婚相手の家に転がり込んだんだけど…」 そこで一旦言葉を区切り、笑みを深める。 「その結婚相手の名前が七里塚左京」 「………は?」 「アハハ。だから光太達とは兄弟みたいなもんだし、こいつとは従兄弟みたいなもんなんだよ。ね?」 「うん」 「てか、マジビビったよね。顔合わせ行ったら何かいんだもん」 「うん。でも、サエさんと一緒に暮らせるって知って嬉しかったよ」 「イイコ、イイコ」 何だそりゃ。 理解しきれなくて、頭を押さえて俯く。色々、突っ込みたいことがある。 「……つーか、それ、悟は?」 「は?言うわけないじゃん。関係はともかく、一つ屋根の下なんて言ったらうるさそうだもん」 確かに、知ったら何をしでかすか。頭いてぇ。 無意識の内に店内を見回すと、隣の椿がマスターに声をかけた。 「マスター、今日六郷さんは?」 「ん?休みだけど…何か用事あった?」 「ううん。ならいいんです」 つい、凝視してると目が合う。 「何?」 「…いや」 「六郷さんて?」 「ウェイトレスさん」 「ふぅん?」 「あれ、皆揃って何してんのー?」 カランと扉が開き、またうるさいのが来やがった。寄ってきたヤエも当たり前のように並んで座る。 「何って、サ店でコーヒー飲む以外に何すんの?」 「えー、じゃあ、何話してたの?あ、コーヒーお願いします」 「あたしと椿が同棲してるって話?」 「え?何それ。本当に?てか、今シキと同棲してんじゃん」 「本命はあたし」 「じゃあ、オレは悟と同棲しようかな」 「どーぞ」 同棲じゃなくて居候だ。大体、ヤエは前に悟んとこ住み着いてたんだから今さらだろうが。 言うことは幾つかあるが、こいつらの会話に割り込むと無駄な体力消耗しそうだから無視する。 適当に聞き流そうとしていたら、ヤエが椿に声をかけた。 「あ、そだ。椿、来週よろしくね。楽しみにしてるから」 「あ、うん」 「………は?」 「ん?何かあんの?」 「椿んとこの学祭、連れてってもらうんだ」 「何か、一般客として行くって言ったら、ヤエも行きたいって」 「ふぅん。いってらっしゃい」 いつの間に仲良くなってんだよ。会ったって聞いたのは一度きりだし、それは学祭に行くって話の前だぞ。 あの後に連絡とるなり会うなりしてたのか? ふと、目の合ったヤエがニヤリと笑った。 「あれぇ、もしかしてシキ、聞いてなかった?」 何か文句あんのかよ。 ギュッと手を握りしめた。 <> [戻る] |