家庭訪問のお知らせ
「………」
「………」
コーヒーを淹れリビングに入ると、椿がソファの上でじっと携帯の画面を凝視していた。身じろぎ一つしない。
立ったまましばらくその姿を眺めていたが、一向に動く気配はない。珍しい光景。せっかくなのでスケッチブックに描き写すことにして、カップをテーブルの上に置いた。
軽く全体を写し取っても、まだ動かない。ついでなのでパーツパーツも重点的に練習してみた。
思う存分描きまくって、それからようやく椿が動いた。視線が合うとわずかに瞳が揺れる。
「……シキ」
「何だ?」
「………ごめん」
「………あ?」
再び携帯に視線を戻すと、長いため息をつく。
「何か、オレの保護者…代理がシキに会いたいって言い出した」
「保護者代理?」
何だそりゃ。
パタンと携帯を閉じ、椿がこちらに視線を向ける。あいかわらず、ソファの上に横を向いた状態で座ったまま。
「従兄弟。光太のお兄さんなんだけど、年結構離れてて。ちゃんとした保護者は忙しいからいつも代理してくれるんだけど…」
少し困ったように、わずかに首をかしげる。
「光太から話し聞いて、ならちゃんと挨拶したいって」
「ほぅ?」
カップを手にとり、椿の隣に移動する。肩が背もたれにつくような座り方をしているので正面に当たる。
何でこいつはソファに座るのでなく、ソファの上に座るのか。
「‘椿友也’の保護者代理か」
「………違うよ」
そりゃそうだろう。
弟と名乗った時、四季崎椿と言っていた。椿が名字ならばそんな言い方はしないはずだ。
確か、サキはイチだとか呼んでいたから市原だとか一ノ瀬だとかそんなところだろう。
‘椿’というのはあだ名なのか。
「保護者は忙しいんだな」
「うん。だからいつも左京…光太のお兄さんが三者面談とか来てくれる」
親、ではなく保護者という言い回しにどれだけの意味があるのか。
「………構わねぇけど、場所は?」
「………………ここが、良いみたい」
ため息と共に告げられた言葉に、一瞬顔をしかめるが、内心で首をかしげた。
「嫌なのか?」
「嫌って言うか…」
視線をさ迷わせ、言葉を探す。
「……何か、自分の身内がここに来るって、すごく変な感じ」
よく言う。
月都を勝手に上げ、ヤエやサキが来たがっていると言ったのは自分ではないか。あの時は平然としていたくせに、なぜ他人が来るという話で口を濁すのか。
それともあれはオレの関係者という認識だったのか。
「……まぁ、いい。何時だ?」
「それはシキに合わせるって」
「なら次の土曜だな」
面倒事は早く済ませるに限る。
他人に訪問されるのは好ましくない。だが、光太と会った時の事を思うと、自分のテリトリー内で対面したい。ここでなら、こいつは‘友也’ではなく‘椿’なのだ。知らない人物のために面倒臭い挨拶などしたくない。
それに、オレが渋るより先にこいつが嫌がっていた。その反応が好ましく、また先に態度に出されてしまったから文句の一つも言う隙間がなかった。
「……ごめんね」
申し訳なさそうに項垂れる姿に、笑みを浮かべる。
負い目に感じているなら、この事を理由にまた何か要求するのも一興だ。
「どんな奴なんだ。その左京っての」
「ん?光太のお兄さんで、少し似てるよ」
顔をあげた椿が、ポツリポツリと話し始める。
「優しい人で他人の事なのに自分の事のように一生懸命になるとこはそっくり」
姿を思い浮かべているのか、視線が遠くなる。
「光太はスポーツ少年だけど、左京は文学青年って感じで穏やかで…」
そこで小さく笑みを浮かべる。
「でも、だから怒った時は凄く怖いよ。左京のお説教は本当に堪える。サエさんですら左京には悪さバレないように気を付けてるから」
「サキは会ったことあんのか?」
「え?……あぁ、うん。まぁ」
視線が泳ぐ。何か隠してやがる。
サキはしょっちゅう他人の家を泊まり歩いているらしい。親しいと言っていたのだから、椿の所にも泊まったか何かしてその時に会ったのか。悟の所で椿とサキが出くわしたように。
悟が聞けば異性の家に泊まるなんてと喚きそうだが、そもそもあれを女と認識する方がおかしい。
初めて会った時には男だと思った。悟はとうとう男にはしったのだと。
少なくとも椿とサキとを並べてどちらかが女だと言ったら、悩んだあげく椿だと答えるだろう。
サキはそれだけ男らしすぎる。見た目や態度だけではなく雰囲気そのものが。
制服姿なんて違和感だらけだった。
椿とサキが会った時、あまりに親しげにしていたので、別れたと言っていた奴なのかと勘ぐった。だが、そもそもあれを恋愛対象にする悟がおかしいのだった。
それにしても、友達がいないと言っていたわりにはサキにも光太にもベタベタ触らせて。
「………シキ?」
「いや……やけに過保護だよな」
光太も、その左京って奴も。
確かに、家に帰らずほっつき歩いていれば心配の一つでもするものなのかもしれない。だが、こいつは年頃の娘なんかじゃなく‘無意味な事に全力を尽くしたい年頃’の男子高校生なのだ。
少なくとも、連絡さえ入れているなら心配する必要などないはずだ。
それをなぜわざわざ挨拶などしに来るのか。
曖昧な返事をする椿の声は重く、どうやら当人も同じように感じているようだ。
オレも同じ様なことをしていたが、親からは特に何も言われなかった。マスターに言わせればうちの母親は放任主義らしいが、マスター自身も迷惑かけないように程度しか言ってこなかった。
まぁ、留年したあげく、他人の家にいつくのは問題になるレベルなのだろうか。普通の、一般家庭では。
それでもやはり、過保護に感じる。
「……じゃあ、今度の土曜で連絡しとくね」
「あぁ」
ポチポチとゆっくりメールを打ち始める。その姿から視線をそらし、コーヒーに口をつける。
挨拶か。
お世話になりました、と?本当にそれだけで済むのか。その程度なら電話で十分だ。わざわざ来るからには、連れ戻すのが目的なのではと思えてならない。こいつとの繋がりなど何一つないというのに。ここを出ていってしまえば顔を会わせる機会もなくなる。
今みたいに、気の向いた時にこいつを描く事ができなくなるのだ。
それはなんだか、面白くない。
せめて、今描いている絵が完成するまでは手元においておきたい。
ふと視線を感じ横を見ると、椿がじっと見つめてきていた。
「……何だ?」
「……ううん、何でもない」
緩く首を振り立ち上がる。そして、台所へと移動する。その後ろ姿を、黙って眺めていた。
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