休息
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「シキ、ヤエって知ってる?」
夕食中、椿がやたらこっちを気にしていると思ったらおもむろにそんなことを訊ねてきた。
「……お前、あいつ知ってんのか?」
「知ってるって言うか、声かけられた。今日。悟さんからオレのこと聞いてたみたいで」
「よくお前だってわかったな」
「うん。そこはサエさんが…今日会っててそれを聞いたからって」
「ほぅ?」
二人で会ってたのか。悟に知れたらまためんどくさそうだ。
先日もそうだった。初対面のはずがやたら親しげな二人に腹をたて妙な勘繰りをしていた。
付き合ってらんねぇから、放置してきたが。
それにしても、ヤエか。
「……何か、いきなり友達認定されて驚いた」
「なんだそりゃ」
「さぁ?……シキのことはライバルって言ってたんだけど…」
「何のだよ」
「それを聞きたかったんだけど……」
眉をしかめれば、椿は首をかしげた。何のかまでは聞いていないのだろう。また、適当なことでも吹かしたに決まっている。
そもそもライバルと言うならサキのはずだ。あいつは悟の愛人だと公言して憚らないのだから。
「二人とも来たがってたよ」
「……どこにだ?」
「ここに」
「連れてくんな」
即答すると椿が首をかしげる。
「……友達じゃないの?」
「違げぇ」
さらに首をかしげた。
あいつらは悟の関係者に過ぎない。二人とも悟のところに入り浸っているから顔を合わせる機会が多かったが。
「違うの?」
「あぁ」
「ふぅん?」
納得したのかしてないのかわからない調子で椿が返事をする。そのまま食事を再開した。
「あ、そう言えば…」
「あ?」
「シャーウッドのマスター、シキの叔父さんなんだってね」
「…言ってなかったか?」
「うん。今日サエさんに聞いた」
サキに話した覚えはない。大方、悟から聞いていたのだろう。
「月都も親戚だって言ってたよね?」
「あぁ…いや、マスターは父親の弟で、月都ん所とは母親同士が従姉妹」
「あ、そうなんだ」
その後は特に会話もなく食事を終えたが、椿の様子がおかしい。あれこれ訊いてきたくせに心ここにあらずで、ただでさえ遅い食事のペースがいつも以上に遅かった。
「どうした?」
「………え?」
余計なこととは思いつつも、珍しくペースを乱している様が面白くて食器を洗う椿に後ろから声をかけた。
「何か、あったのか?」
「……あぁ…あったって言うか…何か、色々余計なこと考えちゃって」
「余計なこと?」
「うん。余計なこと」
それ以上は言う気がないようで、振り返ったまま手を止め、口を閉ざしてじっと見つめてくる。
「何だ?」
「……何か、楽しんでない?」
その質問にただ笑みでのみ答えると、椿は小さく息を吐き視線をそらす。
「……今更だけど、オレ、シキの事何も知らないんだよね」
「今更だな」
「うん」
何か聞きたいことでもあるかのだろうか。しかし特に興味の無さそうな表情を見る限り、ただ思い付いたことを口にしているようだ。
「お互い様だけど、名前さえちゃんとは知らないんだよね」
「………あ?」
名前を知らないはずがない。確かに、こいつの名前は椿というだけでそれが姓なのか名なのか知らない。まぁ四季崎椿と名乗っていたので名なのだろうが。
しかし、こいつはオレのフルネームを知っているはずだ。
こちらの疑問に気づいたのか、椿がわずかに首をかしげてからあぁと呟く。
「最初に名前を教えてもらった時、寝ぼけてたから覚えてない」
そうではない。その時はきちんと名乗っていない。
そして、合点がいった。こいつは勘違いをしているのだと。
「………どうしたの?」
「……いや」
知らずに笑みを浮かべていたらしく、椿が不審そうな顔をした。笑みを隠すように口許を手で覆う。
その勘違いを正すつもりはない。
悪くない。
「……つーか、あいつらにもちゃんとは名乗ってねぇからな」
「え?そーなの?」
「あぁ」
悟やトメにフルネームは名乗っていない。長い付き合いの中で知られはしたが。そして、ヤエとサキにいたっては名乗ってすらいない。
会ったときにはすでに知っていた。
「……そっか」
呟く椿の声がわずかに明るく感じた。
気分転換と称して近所の小さな神社に来ていた。境内の隅に腰を下ろし、スケッチブックを開く。
赤く色づき始めた紅葉。木々の隙間から覗く透き通った空。薄く伸びた雲。裏手を向いているので、奥にはボロボロの物置が見える。
取り出した色鉛筆で、白い紙に線を引いていく。参道の脇で小学生の遊ぶ声が聞こえた。その声をBGMに目の前の風景を少しづつ写しとる。
時折、風にそよぐ葉。
時が穏やかに流れる。
色鉛筆を置き、完成した絵を見る。一息つき、ペットボトルのお茶を飲んだ。悪くはない。
境内の方に目をやれば、遊んでいた子供たちはすでにいない。一度大きくのびをして、肩の凝りをほぐす。
そして、スケッチブックをめくる。
ここからは写生ではない。
黙々と、先ほどと同じように手を動かしていく。けれど使う色は全く違う。完成に近づくと、絵の中ほどに大きく線を入れる。細かいものもいくつか。
そして最後に縁を描き込み、手を下ろす。
すぐ横からほぅ…と息をつくのが聞こえた。
「……?椿?」
見れば隣に椿がしゃがみこんでいた。じっと絵を見つめている。
「何やってんだ」
「……ん?……あぁ、散歩してたらシキがいたから。何してるのかと思って」
いるのに全く気づかなかった。気配がまるでない。
絵に視線を戻す。
「セピア色の写真?」
「あぁ」
一枚目は普通の写生。二枚目は同じ風景を写真として描いた。それもそうとう古い。折れ曲がり、破れ、所々掠れている。
「見ていい?」
訊ねる椿にスケッチブックを渡す。受け取った椿は立ち上がり、絵をじっと眺めた。そしてゆっくりと紙を捲る。
その姿を横目に荷物を片付ける。お茶を飲み、一息つく。そろそろ帰ろうと立ち上がっても、椿はまだ熱心に絵を見ていた。
「帰んぞ」
「………え?」
顔をあげ、首をかしげた椿に眉をひそめる。
「帰らねぇのか?」
「あ、ううん、帰る」
言って、けれどふと目を見開く。自分の言葉を確かめるように己の唇に触れ、俯く。
「……どうした?」
意味のわからない反応を訝しげに思うが返事はなかった。しばし考えるそぶりを見せ、ようやく顔をあげた。
「何でもない。一緒に帰る」
ふんわりと、笑みを浮かべて。
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