[携帯モード] [URL送信]

おかえり




 何度か体勢を整えなおしつつ、部屋の前まで着く。

「………鍵、カバンの外ポケットに」
「あ、はい。えっと、これですね」

 もう一度体勢をなおそうとして、ふと椿に視線を落とす。鍵を開ける姿を、何故か複雑そうに見つめていた。

「………椿?」
「はい。どうぞ」

 どうかしたか尋ねようとした瞬間、ドアが開いた。

 視線を戻すと、椿は額を肩に押し当てていて、表情を確認できなくなっていた。とりあえず、休ませる方が先だと玄関に足を踏み入れる。

 声をかける前に椿の靴が脱がされる。椿が身動ぎをした。

「ありがとう。もう………」

 大丈夫だから下ろしてと言うのを無視して、ベッドまで運ぶ。横たわらせようと下ろしたが、椿は上半身を起こしたままだった。軽く睨む。

「少し、休めば、平気だから」
「少し休んで平気なら、休んでから帰ってきてたろ。もう、今日はいいから休め」

 電気をつけていないので、明かりは開けっぱなしのドアから入ってくるリビングのものだけ。顔色はよく見えなくなってしまっているが、表情は辛そうだ。しかも、手をベッドについてどうにか起き上がれている状態だというのに。

 何か言いたげに椿の唇が動きかける。しばらく待ってみたが言葉にするのを諦めたようで、閉ざしてしまった。クローゼットに向かう。

「着替え、適当でいいな」

 手前にあったものをとりだし、手渡す。椿は酷く申し訳なさそうにありがとうと言った。その態度に、短く嘆息する。

「………今さら、この程度で遠慮されてもな。最初ん時は濡れてる上に意識なかったじゃねぇか。しかも寝汚くずっと寝続けてたくせに」
「いぎ………」
「何なら、また着替えさせてやろうか?」
「あ」

 僅かに驚いた様子なのは、あの時オレが着替えさせてやっていたということに今まで気づいてなかったからなのだろうか。次いで、勢いよく頭を横に振る。勢いよすぎて、止めたあと余計に気分悪そうにしていた。

 ………本気での言葉でなかったとはいえ、そこまで拒否されると少し堪える。

「まぁ、いい。着替えて寝とけ。後で何か食べれそうなら………」
「あ」
「ん?」
「………ゼリー、食べたい」

 片手で口元を覆ったまま、少し迷うそぶりの後、椿が言う。

 珍しい。

 どうせ、何も食べたがらないだろうと思いつつの言葉だったので、少し驚いた。

「わかった。買ってきておく」

 安心したように、椿は表情を緩めた。そうして、立てた膝にぐったりと寄りかかる。もう、起き上がっているのも辛いのだろう。

 熱はなかった。何度も口元をおさえているので、吐き気はあるのかもしれない。薄闇の中、力なく座り込む姿。

「………椿」

 描きたい。

 そんな場合ではないというのに、唐突に思った。グッと言葉を飲み込む。椿はじっと、こちらを見ている。

「………おかえり」

 何か言わなくてはと、代わりに口をついてでたのは何でこのタイミングでと思うようなもので。

 言ってから気づいた。帰ってきたのがこちらで良かったと。学校で具合が悪くなった時、連絡がいくとしたら向こうの家なのだ。そうなれば、連れて帰られるのも、向こうだったのだろう。

 無理をしていた。それでも、こっちに帰ってきてくれて本当に良かったと、自分勝手にもそう思ってしまった。

 僅かに目を見開いた椿は、また何かを耐えるように表情を歪める。

「うん………ただいま」

 噛み締めるように返された言葉。

 顔を隠すように、膝に埋めてしまった。その体勢は、まるで泣いているようで。

「ドア、少し開けたままにしてもらって、いい?」
「………わかった」

 何かを言いかけた寸前、先に椿が声をかけてきた。頭を軽く振って、気持ちを切り換える。

「じゃあ、ちゃんと休んどけよ」

 顔を埋めたまま、椿が頷く。その肩を、抱き寄せてしまいたい。そんな思いを断ち切り、部屋を後にする。

 出る瞬間、背後でくぐもった声が聞こえた気がした。何と言ったのかまではわからなかったけれど。

 リビングは明るく、その眩しさに数度瞬く。少しだけ明かりが入るよう、隙間を作りドアを閉める。ふぅと、息がこぼれた。

「大丈夫そうですか?」

 リビングでは、椿の友人が所在なさげにしていた。

「とりあえず、休ませた。ありがとうな。送ってくれて」
「いいえー。貧血か何かですかね」
「………貧血」

 そうか。本当にそういう、しばらく休めば何とかなる場合もあったのか。最初の時を思い出してしまったせいで、勝手にまた寝込む気がしてしまっていた。

「………じゃあオレ、もう帰りますね」
「あ?あぁ、悪い。飲みもんも出さずに」
「お気になさらず。無理はするなと伝えといてください」
「わかった。道はわかるか?」
「はい。わりと近所なんで」

 それではと、あっさり帰るのを玄関で見送る。

 何となく、物珍しさを覚えた。椿の周りの人間は、ほんの数人しか知らないが、過保護なまでに心配性な奴ばかりだったからだろう。

 まずは、ゼリーを買いに行って。それから自分の夕飯をどうにかして。これからの動きを確認しつつ、財布をとりにリビングに戻る。

 梅雨時は、体調が悪くなると言っていた。今日は雨が降っていたとはいえ、まだ梅雨入りしていないのに。そんな、詮なきことを思った。





[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!