ずっと
叔母を見送り玄関のドアを閉めると、途端疲れが押し寄せた。
椿はまだしばらく帰ってこない。ならばシャーウッドにでも行ってのんびりしたいところなのだが、叔母はこれからマスターに会いに行くと言っていた。のんびりできないことはないだろうが、今の今まで顔をあわせていたことを思うと気乗りしない。
どさりとソファに腰を下ろし、設置されたばかりのテレビの暗い画面をぼんやり眺める。
ほとんど押し付けられるようにして譲られたが、つける機会はあまりなさそうだ。一つ伸びをして、スケッチブックに手をのばした。
やらねばならないこともあるが、そちらにはなかなか手がのびない。一つ物が増えただけで印象の変わった様子を、惰性のように描いていく。
描き続け何度か紙を捲り、一つのびをする。窓の外は、すでに暗くなっていた。椿はまだ、帰ってないのだろうか。
廊下へ目をやろうとしたら、台所の方から椿が姿をあらわした。
「あ。おかえり」
「ああ。ただいま」
微笑まれ、空気が和らぐ。自然と頬が緩んだ。
………ん?
「逆じゃないか?」
「ん?………あぁ、でも何か、シキ、すごく集中してたから」
そういう問題なのだろうか。
隣に座った椿を、じっと見つめる。気づいた椿が、笑みと共に首を傾げる。
「………おかえり」
「………ただいま」
伝えれば、照れくさそうに答える。誤魔化すように、椿は視線をテレビに向けた。
「テレビ、棚にぴったりだったんだね」
「ああ。つか、多分元々そこにあったやつだからな」
椿が僅かに首を傾げてこちらを向く。
「前に言ってた、ここの持ち主の親戚って」
「叔母だな。元々叔母が住んでて、引っ越すって時にオレが悟んとこにいついてたから、どうせならって」
場所も条件も良かったんでありがたく受けた。
「………台所の棚」
「ん?あぁ、あの出入り口がありそうなとこにあるやつ?」
「ああ。あれ、解体しねぇとどかせねぇだろ?」
なんだってあんなもんあるんだか知らないが、廊下側のドアを塞いでる棚がある。あれはどちらのドアよりもでかいから、そのままでは外に出せない。それをどうにかするのが面倒だってんで、他に貸さず声がかかった。
「ついでに、他の大物の家具や家電も新しく揃えたいってんで、ほとんどまんま借りた」
この、ダイニングと分けるために置かれてる棚もその一つだ。テレビはまだ使うと持っていっていたから、十中八九、これが元々ここにあったやつなのだろう。
「そうだったんだ。タペストリーは?」
「それもだな」
棚がある限りは使えないドアを隠すため、廊下側にタペストリーが掛けられている。
「使わない細々した物もおいてった」
「それで、使ってる様子のない物があったんだ」
「ああ」
納得したと頷き、椿はカップに口をつける。膝の上においたままだったスケッチブックをテーブルに置き、とっくに冷えきってしまったコーヒーに手をのばした。
今日は、どうだったのか。
訊いてもいいのか悩む。関係あるなしで言えば、ないのだ。気になるというだけで。
じっと見つめていると、気づいた椿が首を傾げた。
「………今日は、楽しめたか?」
「………特に、楽しんでくるようなことでもなかったんだけど………まぁ」
考えながら、椿は答える。
「会うのは久しぶりだったけど、連絡自体は時々してるからそこまで真新しい話はないし………思ってたより、忙しそうだなってくらいかな」
「へぇ」
「あ、シキによろしくって言ってたよ」
思わず、苦い顔になる。
「今回は、会いたいとは言ってなかったから。まだしばらくバタバタしてるみたい」
困り笑いで続けられた言葉に、そうかと返す。小さく息を吐いた。
自分でふった話でこんな反応するのもどうかとは思うが、あまりよろしくしたくないと思ってしまうのだから仕方ない。
何とはなしに、じっと椿を見つめる。
「ん?」
「………描きたい」
「あんな集中してずっと描いてたのに?」
可笑しそうに、椿が笑う。
椿を、という意味だったのだが。まぁ、いいか。
「そんなにだったか?」
「帰ってきてたのに、気付いてなかったでしょ?」
「………それもそうか」
クスクスと笑っている。
その姿を見つめていたら、不意に手が動きそうになった。ぎゅうと握りしめ、どうにか抑える。
「ご飯炊けたら、いつでも夕飯にできるよ」
「………そんなにたってたのか」
「うん」
ふんわりとした、優しい笑み。
描きたい。触れたい。手を強く握る。
どうすればいいのだろう。どうすれば、ずっとこうしていられるのか。ずっと、描けるのか。
いっそ、もっときちんとモデルとして雇えばいいのだろうか。専属の住み込みとして。けれど、そしたらその分稼がねばならない。そうなると、椿の絵ばかりを描いているわけにもいかないだろう。ままならない。
ため息がこぼれる。
「………シキ?」
何でもないと笑いかける。
せめて椿が高校を卒業するまで。それまでここにいてくれれば。
最初に考えていたタイムリミットより、ずっと延びているのだ。不満に思ったって仕方がない。それでも、
もっと、ずっと、………そう願ってしまう。
<>
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!